東京 DOWNTOWN STREET 1980's

東京ダウンタウンストリート1980's
1980年代初頭に撮影した東京の町並み、そして消え去った過去へと思いを馳せる。

要町から新井薬師へ(12):中野区上高田~段丘上の寺院(一)

2015-08-30 10:19:05 | 中野区
早稲田通りから北寄りに町中へ入って行くと、落合の斎場がある。この辺りの寺町化というのは、この斎場を中心にする形で発想されているのではないだろうか。目黒でも桐ヶ谷の斎場を取り巻くように寺町が形成されていた。桐ヶ谷の斎場は歴史が古いモノだが、こちらも江戸時代にここに移されてきたものらしい。さて、その奥には幾つかの寺が固まっているので、見ていく。まずは功運寺。大きな山門がまずは目に入ってくるお寺。 . . . 本文を読む
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要町から新井薬師へ(11):中野区上高田~早稲田通り沿いの寺町その二

2015-08-23 18:24:25 | 中野区
上落合周辺の早稲田通り沿いの寺町を見て歩いている。どうやら、この辺りも明治末から大正に掛けての時代に、都心部から寺が移転してきて寺町になった様だ。その当時は、まだ市街地化していない農村部であったのではないだろうか。今では、そんな時代があったことが信じられない様子になっている訳だが。 今回はまずは、竜興寺。臨済宗妙心寺派のお寺で、寛永6年(1629)に牛込に創建され、その後は小日向に移転していたとい . . . 本文を読む
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要町から新井薬師へ(10):中野区上高田~早稲田通り沿いの寺町その一

2015-08-16 16:46:40 | 中野区
早稲田通りを歩いて行くと、山手通りと交差する上落合二丁目の交差点に出て、さらに進んで行くと寺がやたらに集まっている事に気付く。この裏手には、落合の斎場もある。そんなお寺を一つずつ見ていくことにしよう。この辺りは中野区になっている。早稲田通りを西に向けて更にいくと、最初に右手にあるのが、正見寺。 15世紀に滋賀で、駒井城主が創建したのが始まりという。その後、江戸に移り、赤坂、四ッ谷と移転した後に . . . 本文を読む
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東京・遠く近きを読む(85)『明治少年懐古』

2015-08-15 15:35:54 | 東京・遠く近き
「東京・遠く近き」というタイトルのエッセイは、登山関係の評論で知られる近藤信行氏の著作で、丸善から発行されている「学鐙」に1990年から1998年頃に掛けて全105回に渡り連載されていた作品である。氏は1931年深川清澄町の生まれで、早稲田大学仏文から大学院修士課程を修了され、中央公論社で活躍された。その後、文芸雑誌「海」を創刊し、山梨県立文学館館長を2013年まで務められていた。残念ながら書籍化 . . . 本文を読む
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要町から新井薬師へ(9):新宿区落合その四

2015-08-09 18:34:41 | 新宿区
妙正寺川を渡ると、再び道は上り坂になる。神田川は南へ向きを変えていく。この辺りの河川による浸食によって出来た地形は、複雑で面白い。今はほぼ全面的に宅地化されているのだが、やはり農村時代の面影が微かに残されているところがポイントかなとも思う。広大な面積の落合中央公園があるのだが、むしろその下にある東京都下水道局 落合水再生センターが重要。昭和39年にできたというから、東京オリンピックの年に新宿区の郊 . . . 本文を読む
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要町から新井薬師へ(8):新宿区落合その三

2015-08-08 17:59:06 | 新宿区
さて、薬王院を出てくるとその直ぐとなりには、下落合野鳥の森公園がある。元々は境内の一部であったのか、隣接地であったのか、ここもこの神田川の谷の斜面の昔ながらの姿を想像する事のできるポイントになっている。 木々の多い公園。斜面に広がる公園でもある。 小さな流れが園内に潤いを与えている。もともと、崖の波面は湧き水の出やすいところでもある。 そこから少し東寄りに歩いていると、古びた石像が街角 . . . 本文を読む
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要町から新井薬師へ(7):新宿区落合その二

2015-08-02 16:57:58 | 新宿区
遅々として更新が進まないのは、偏に多忙のせいで、楽しみにして頂いている方には申し訳ない。それでも、できる限りは続けて行くつもりなので、お付き合い願いたい。 山手通りを再度渡ってきて、斜めに町並みに足を踏み入れていく。斜めなのは、山手通りが後から出来た道だからなわけでもあるのだが、住宅地の広がるエリアである。少し行くと、神田川の谷に向けて急な坂が下っていく。 「西坂 西坂の名は、江戸時代後期の絵図に . . . 本文を読む
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