東京 DOWNTOWN STREET 1980's

東京ダウンタウンストリート1980's
1980年代初頭に撮影した東京の町並み、そして消え去った過去へと思いを馳せる。

古老がつづる台東区の明治、大正、昭和~根岸

2012-05-30 22:24:50 | 台東区
さて、引き続き、台東区教育委員会発行の「古老がつづる台東区の明治、大正、昭和」から、根岸辺りを描いた分を紹介する。この小冊子には、台東区内各エリアのこういった話が収録されているので、とても参考になる。 渡辺 松太郎氏 台東区竜泉三丁目 「指物師に弟子入り  私がいまの指物の仕事に弟子入りしたのは、十二歳ですから、大正九年です。小学校を中退してなんです。現在で考えればお恥ずかしいんだけれども、家 . . . 本文を読む

古老がつづる台東区の明治、大正、昭和~東上野

2012-05-29 20:40:13 | 台東区
台東区教育委員会刊の「古老がつづる台東区の明治、大正、昭和」からこれまでに取り上げてきた町に関する話を取り上げてみている。今回は、東上野。 橋本 米蔵氏 台東区東上野二丁目 「凧屋二代目 四歳のとき、いまのところへきたんですよ。明治三十七年三月墨田で生まれました。うちのおやじというのがねっからの絵好きで、際物問屋に奉公して、際物問屋は季節ものを何でも間にあわっしゃうとこだから、凧なんかも得意で . . . 本文を読む

古老がつづる台東区の明治、大正、昭和~蔵前、佐竹

2012-05-27 23:24:54 | 台東区
台東区教育委員会の発行した、今では絶版になっている「古老がつづる台東区の明治、大正、昭和」から、蔵前と佐竹を題材にした分を掲載する。 捧 精作氏 台東区蔵前一丁目 「奉公での楽しみは浅草 明治三十四年に新潟で生まれて、十五の時東京に来て、でっち奉公に入りました。ただ働いて、暇も規則もなく、飯は食わし、寝かせてくれて、こづかいは盆と正月に五円くれる。まあ、ご飯だけは十分ですが、小憎たちは、汁だけ . . . 本文を読む

古老がつづる台東区の明治、大正、昭和~柳橋、浅草橋

2012-05-26 23:26:32 | 台東区
「古老がつづる台東区の明治、大正、昭和」というのは、台東区の教育委員会が区内の明治生まれの世代の人々からの聞き取りで、明治からの区内各所の移り変わりや生活、仕事、娯楽などについて話を聞いてまとめた昭和55年刊の小冊子である。残念ながら現在は絶版となっており、入手は困難であるようだ。都内の図書館では蔵書しているところもあるので、その内容を知ることが出来る。そんな中から、台東区内各地を歩いてみた縁とい . . . 本文を読む

東京・遠く近きを読む(16)丸ビルの歌ごえ

2012-05-19 22:08:36 | 東京・遠く近き
 「東京・遠く近き」というタイトルのエッセイは、登山関係の評論で知られる近藤信行氏の著作で、丸善から発行されている「学鐙」に1990年から1998年頃に掛けて全105回に渡り連載されていた作品である。氏は1931年深川清澄町の生まれで、早稲田大学仏文から大学院修士課程を修了され、中央公論社で活躍された。その後、文芸雑誌「海」を創刊し、現在は山梨県立文学館館長を務められている。残念ながら書籍化されて . . . 本文を読む

乃木邸

2012-05-06 22:58:57 | 港区
東京港区、赤坂には乃木坂というところがある。ここには、乃木邸、そして乃木神社がある、日露戦争で203高地を攻略した司令官、乃木希典の住まいがここにあったことから、その名が付けられた。そう言うことになったのは、明治天皇の崩御に際して乃木将軍と静子夫人が殉死をされたと言うことで、それまで新坂という名で呼ばれていたこの地に、乃木という名を地名として付けようと言うことになったわけである。 乃木邸は、将軍 . . . 本文を読む

三囲神社

2012-05-05 23:45:55 | 墨田区
浅草から観音様の裏へ出て、言問橋を渡ると小梅という町がある。橋を越えて左へ折れた先に、三囲神社がある。この神社の名を始めて聞いたのは、佐多稲子の「私の東京地図」を読んだ時だった。長崎から上京してきた佐多の一家の落ち着き先が、この三囲神社の直ぐとなりの辺りだった。幼い稲子は、ここから早朝割引の市電に乗って神田大和町辺りにあったキャラメル工場へ働きに出たのだが、交通費で採算割れということだったと思う。 . . . 本文を読む