昨年、2014年3月14日で廃止された東王子貨物線、ほぼ一年が経過して、その後どうなっているのだろうかと思い、現地を訪ねてみた。廃止直前の模様はこちらで掲載し、廃止直後のこともここで報告した。
東北線から分岐していく最初の踏切の辺りの様子は、廃止直後に線路側が閉鎖されたままで、それ程変わってはない。
踏切警報機にも、あの時に黒いビニール袋が被せられたまま。
変わったと言えば、レールの赤錆が . . . 本文を読む
先月で貨物線が廃止になった北王子貨物線、日本製紙北王子倉庫のその後を見てきたので、御報告まで。
まず3月17日に撮影してきたもの。これは3月14日限りで貨物線が廃止になった直後の月曜日。JR貨物の職員の方が作業されていて、踏切ごとに線路側に柵を建てて封鎖する措置がとられていた。
踏切の遮断棒も取り外されていた。
外された遮断棒は、線路敷地に。ああ、もう列車は来ないんだなと実感できた。
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北区王子五丁目にある日本製紙北王子倉庫が、廃止されることになった。それに伴い、この倉庫まで引き込まれている専用線、北王子貨物線もその歴史に幕を下ろす。この貨物駅と倉庫の施設の北側に、この地の由来を示した案内が設置されている。
場所がこれで分かるだろうか。南北がほぼ逆転している、北が下の地図である。下側に隅田川が流れている。東北線の線路と隅田川の中間に赤い矢印で示されているところが、この日本製紙 . . . 本文を読む
以前、北区赤羽西四丁目を取り上げたときに掲載した、三岩通りで一番古い建物と思われる、三勝堂書店が取り壊される。久し振りに前を通り掛かったところ、下ろされたシャッターに解体工事のお知らせの紙が貼られていた。以前、このブログで紹介した通り、この辺りの住宅開発と同時に開校された小学校である第三岩淵小学校の開校が、昭和3年である。恐らくは、ほぼ同時期に建てられたものではないかとおもわれるのが、この三勝堂書 . . . 本文を読む
北区西が丘を歩いてみて、次に進む前にこれをまとめておかないとということで、改めて歩いてみてきた。現在の北区で同潤会の行った事業は幾つかあるのだが、その中でも十条仲原と赤羽西の普通住宅の建設と経営、西が丘の勤め人向け分譲地の開発と販売は、同潤会の行った仕事をまとめてその成果を見る事が出来るという点で、興味深いと書いた。確かにその通りなのだが、その後に出て来た資料を子細に見ていくと、西が丘エリアの全て . . . 本文を読む
最近、最後まで残されていた上野下アパートの取り壊しが決まり、同潤会の名が取り沙汰されることが増えている様だ。同潤会といえば、青山、代官山などにあった昭和初期に建てられたアパートの印象が強い。だが、同潤会というのはアパートの建設をやっただけの組織ではない。関東大震災後に寄せられた義捐金をベースに設立された団体で、仮設住宅の建設、運営、廃止に木造家屋による普通住宅の建設、賃貸経営、そして鉄筋コンクリー . . . 本文を読む
引き続いて、「北区郷土誌」の「十条の今昔」醍醐清造著をテキストにしながら、十条の町の歩みを追って行こうと思う。ここで概論をまとめておいてから、引き続き十条の町々の様子を見ていこうと思っている。その中で、それぞれの地域が時間差を持ちながら宅地化していった経緯を見ていくと、中々面白いと思う。
前回は、江戸から明治に掛けての十条の変遷を追った。陸軍の砲兵工廠が水道橋から移転してきたことが、農村から . . . 本文を読む
北区の発行した「北区郷土史」という資料があり、区内各地の歩みについて詳しく、興味深い。その中から、「十条の今昔」という項があったので、それを紹介しつつ、北区十条の全体像について考えてみようと思う。
「十条の今昔」醍醐清造著から、抜粋、内容をまとめてみた。まず、今回は前半で江戸から明治、大正期の十条について。
江戸時代の十条村
村高と面積
周辺で一番大きな村であった。『新編武蔵風土記』に民家 . . . 本文を読む
北区王子から十条を書いていくに当たって、図書館で北区史を借りて読んでいる。区史というのも各区から出ていて、それぞれではあるのだが、この北区史は中々面白い。内容は豊富で分冊されている中で、「通史編近現代」というのを借りてきたのだが、北区、板橋区に跨って建設されていった陸軍の軍需工場の発展過程などについて、非常に詳しく分かりやすく書かれていたので、ここで板橋に変遷とまとめてみようと思う。
江戸時代、 . . . 本文を読む
北区の王子辺りから石神井川の北側の十条台、さらに北上して埼京線の十条駅付近、その西側の十条銀座商店街、環七を越えて稲付、赤羽台という地域は歩いてみると、中々面白い。うちから近いこともあるのだが、何度も歩いているとその魅力に気が付いてきた。
この武蔵野台地の外れに当たる地域は、近世の歩みで見ると江戸郊外の農村であったところだが、人が暮らし始めた歴史は非常に古く、旧石器時代からの遺跡があるらしい。こ . . . 本文を読む