上野から少し離れて、日暮里駅に近い所だが、谷中墓地の方へ入った裏手に珊瑚樹の木が茂っている。ここが幸田露伴の旧居跡である。つまり、ここにあった家の門が、今は輪王寺に移されている。
「幸田露伴居宅跡 台東区谷中七丁目十八番二十五号
幸田露伴は、明治二十四年一月からほぼ二年間、この地(当時の下谷区谷中天王寺町二十一番地)に住んでいた。
ここから墓地に沿った銀杏横町を歩き、左に曲がると天王寺五重塔 . . . 本文を読む
上野の山というのは、いわば全てが寛永寺であったと言っても良いようなものだが、今日では見る影もないほどになっている。上野戦争で焼失したということも大きいわけだが、一方では新政府が幕府支配の象徴であったような、徳川将軍家によって作られた巨大寺院を意図的に叩き潰していったという側面も大きいのだと思う。廃仏毀釈というのも、その延長線で見ても良いのかもしれない。上野寛永寺、芝増上寺、そして廃寺になってしまっ . . . 本文を読む
上野の山は見所の多いところだが、大体いつも同じ様なところに行くだけで、奥の方まで足を踏み入れることがなかった。改めて歩き回るとなかなか面白いので、機会があれば歩き回ることをお勧めしたい。ぐるりと回ったところでそれ程のものではないし、程良く散歩というレベルで楽しめる。
寛永寺に向かう途中、黒田記念館の奥にあるのが国立国会図書館国際こども図書館である。ここは元々帝国図書館であったところで、国会図書館の . . . 本文を読む
さて、上野東叡山寛永寺、この寺には他の寺院と同様に堂宇の他に、重要な施設がある。この寺の場合、ある意味こちらの方がより重要なものになっているとも言える。墓所である。しかも、この寺の墓所には徳川将軍が眠りについている。東京国立博物館と黒田記念館の間の道を真っ直ぐに奥まで行くと、この墓所がある。一般の檀家の墓地もある。石積みの塀の石のサイズが尋常ではない。城の石垣かと思う様なもの。そして、山の向こうに . . . 本文を読む
東京国立博物館黒田記念館を訪問した時、少し奥の方も歩いて見ようと思い、寛永寺に行ってみた。上野公園には子供の頃からさんざん行っているのに、実は寛永寺には入ったことがなかった。その名は誰でも知っている存在といえるほどなのに、今は...というわけである。
改めていうまでもなく、上野公園の広大な空間は元々、江戸時代の始めに寛永寺が造営され、江戸の人たちの憩いの場として開発されたということが始まり。しかも . . . 本文を読む
さて、台東区の銅板貼り建築はこれで終わり。地区ごとにまとめてきたのだが、今回はあっちこっちの残っているものをまとめている。こうしてみてくると、現存しているのは台東区が多い。それでも、今回掲載する中にもあるのだが、根岸エリアが少ないのがちょっと意外に思える。だが、考えて見ると、現在の国道4号線よりも西側の金杉通りを中心にした町は、震災で焼けていない。そのために、出桁造りの系統や、その後の時代に建てら . . . 本文を読む
台東区の銅板貼り建築の続き。上野駅の東側の一帯は、戦災を免れた町が広がっているところだ。関東大震災では焼失している。それでも、さすがに大ターミナル駅上野駅に程近いだけに、開発も激しい。大通りに面したところには、軒並みオフィスビルが建ち並んでいる。そんな中に、銅板貼り建築も残されているし、一本裏へ入ると、意外と思えるほどに昭和初期からの町が生き延びている。
浅草へ向かう浅草通り沿いの店舗。上野 . . . 本文を読む
さて、台東区の銅板貼り建築を見ていく。かつては下谷区と浅草区であったわけだが、戦災の被害も大きかったところで、焼けなかったエリアには町ごと昭和初期からの雰囲気が残されているのが、このエリアの面白さだろう。それでも、他の地域と同じで中小企業や町工場は衰退傾向で、都心部という立地からもビル化も進んでいる。撮影したのは、2011年11月。
蔵前橋通り沿い、看板建築であるが、屋根からステーが出ていて、正面 . . . 本文を読む
台東区内には、比較的銅板貼り建築が多く残されている。訪ねて歩くには、戦災をどの辺りが免れているのかということを調べ、さらに後はひたすら歩き回って見るしかない。そんな中では、この鳥越はまとまって昭和初期からの街並みとして残されているとも言える。おかず横丁は、その名前からも分かる様に女性も労働力として忙しかった東京の町場で、惣菜を売っていたことからその名が付いた。これも、江戸以来の伝統というべきで、江 . . . 本文を読む
さて、銅板貼り建築について悲観的なことを書いてきたが、これから先減っていくことはあっても、増えることはないというのも確かなことだ。そして、千代田区から始めてみたが、一番数多く銅板貼りの建築が残されているのが、台東区だろうと思う。これは、震災復興期以前からの旧市街であり、その上戦災の被害を免れたエリアがあること、そして高層ビルが林立する開発の波からも、辛くも免れていると言う事による。まずは浅草橋から . . . 本文を読む