東京 DOWNTOWN STREET 1980's

東京ダウンタウンストリート1980's
1980年代初頭に撮影した東京の町並み、そして消え去った過去へと思いを馳せる。

目黒・品川再訪(六)~小山八幡神社

2015-07-04 16:45:11 | 品川区
さて、目黒区から東急目黒線の線路を越えて品川区へ入り、小山の住宅街を抜けて行く。この辺りは高校の友人の家があったところで、昔から馴染みがある。だが、こんな風に違うアングルで町を歩いて行くと、これまでは見ていなかったものを見ていて、その落差が面白く感じられたりもする。そうして、小山の台地の外れに差し掛かると小山八幡神社がある。裏手からアプローチしたのだが、正面の参道からきちんと見ていくことにしよう。Wikipediaによれば、創建年代は不詳ながら西暦1030年頃に創建されたらしい。鎌倉幕府の時代であり、境内は台地の縁であるばかりではなく、小高い山の上になっていて、古墳の上にあるともいわれているそうだ。立会川のオリジナルなのか、今は暗渠化されているし、立会川自体も品川用水の全体と合わせて人工的な作り替えが重ねられてきた川のようだが、この小山八幡神社の正面の谷は河川による浸食の跡であるようだ。そこから、台地の上に急な階段が延びている。


階段を上りきったところに、立派な造りの手水舎がある。


境内から谷の方向を見たところ。


旧小山村本村の守り神として大事にされてきた神社であるという。


この辺りの神社の中では、境内も広く、立派な造りの神社であることから、小山村が栄えたところであり、荏原郡の中でもそれなりの地位を占めていたことが推測される。


社殿も良い雰囲気のものだ。


背後の本殿も荘厳な雰囲気がある。小山村時代を思わせるような大きな木々が境内に多いことも、この神社の特徴と言えるだろう。


境内社の稲荷社が隣にある。


背後の小山は、今は閑静な住宅街が広がる町になっているので、農村であった小山村を窺い知ることは難しい。だが、この境内の雰囲気はその頃の面影を残している様だ。


社殿に向かって右手には、広場のような空間があって、そちらには神楽殿がある。


そして、これはイヌシデの木。


奥の方にはシイの木。
「品川区指定天然記念物
小山八幡神社のシイ(2) 所在:品川区荏原七丁目五番十四号 指定:昭和五十三年二月十四日(第十四号)
 本樹は境内の西北隅にあり、当社ではシイ(1)に次ぐ大木である。目通り(目の高さ)幹囲り二・六メートル、樹高十六メートル、推定樹齢約百五十年である。樹勢は旺盛で樹姿も整っており、貴重な樹木である。シイは我が国中部以南の暖地に生じ、よく繁茂する常緑喬木であり、庭木として広く生育している。東京や本区でも大木が多く見られたが、今は少ない。
 昭和六十二年三月三十一日 品川区教育委員会」


台地側の裏手にでる裏参道から境内を見たところ。社殿に向かって右手側。これは裏から境内を見ているので、社殿は右側にある。


裏参道の外の様子。静かな住宅街なのが分かる。


こちらが、社殿と境内社の間にあるシイの木。
「品川区指定天然記念物
小山八幡神社のシイ(1) 所在:品川区荏原七丁目五番十四号 指定:昭和五十三年二月十四日(第十三号)
 俗に西小山八幡と称されている当社の境内には、常緑樹のシイの木数本のほか、サクラ・ケヤキ・イチョウ・サワラ・ソロなど数多くの樹木があり、豊かな鎮守の森をなしている。本樹は、当社では最も大きいシイの木で、樹容も立派であるが頂部に枯れ損じがある。目通りの幹廻り二・八メートル、樹高十三メートル、推定樹齢約二百年で、区内でも貴重な樹木である。
 平成十二年三月三十一日 品川区教育委員会」


アングルを変えてもう一枚。このシイの木は確かに見事なもの。


境内の一番奥には、大黒天を祀ったお堂があった。荏原七福神の幟が立てられていた。


そちら側にも出入り口があって、外から見たところ。この左に向かっていくと、裏参道の入口に行く。


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