私が佐竹通りの名を最初に知ったのは、木村東介氏の著書「池ノ端界隈」を読んだときだった。大正時代に木村氏は雲井塾という本人書くところの愚連隊を率いていた。その頃に喧嘩の名所として下谷一と言われていたのが、この佐竹通りだったという。そこに喧嘩の腕試しに出掛けていった話が出て来た。結局、その辺りでは一番強いという市村座の用心棒に連れが喧嘩を売ってコテンパンにされる経緯が描かれる。木村氏は、相手を尾行して . . . 本文を読む
中央本線の起点は、今は東京になっている。それ以前の話と言うことになると、かつて交通博物館のあったところにあった萬世橋駅ということになる。この駅も戦前に廃止されてから長い年月が経過し、交通博物館が移転したことで今や再開発で高層ビルの建設が行われている真っ直中ということになっている。さらにそれ以前と言うことになると、甲武鉄道という私鉄が明治22年に新宿~立川~八王子間を開通させ、その後明治27年に新宿 . . . 本文を読む
ブラタモリ、今回は荒川とのこと。ただ、この第三シリーズに入ってからのブラタモリは二週使って一つのテーマを取り上げるパターンが続いているので、次回の荒川後編の内容次第というところもあるので、今回は少し手加減しながら進めてみたい。
今回は葛飾区の葛飾区郷土と天文の博物館の協力の下で制作されていたようだが、岩淵水門辺りから水害については北区内が現場となる話であり、ちょっと不思議だなという印象を受けた。 . . . 本文を読む
文京区の郷土資料館である文京ふるさと歴史館では、「坂道・ぶんきょう」展を開催している。武蔵野台地の端に位置する文京区は台地を川が浸食して出来た谷も数多く、その結果坂の多いところでもある。古くから知られた坂もあり、文学作品に登場した坂など、坂にまつわるエピソードも豊富である。
文京ふるさと歴史館は、昔で言う真砂町、今の本郷4丁目にある。菊坂の通りの向こうの崖上というべきか。ここに寄る前か後に菊坂 . . . 本文を読む
今日、11月23日は樋口一葉の命日。一葉忌ということで、縁の文京区菊坂下の旧伊勢屋質店の一般公開が行われた。左が旧伊勢屋質店の告知、右は一葉忌の告知ポスター。文京区内の掲示板に貼られていた。
白山通り沿いの一葉が亡くなった地の記念碑には、献花がされていて華やいだ雰囲気。
旧伊勢屋質店は菊坂下にあって、一葉が通っていたことで知られる。創業は万延元年1860年で昭和57年1982年に廃業した。 . . . 本文を読む
永井荷風の作品に「おかめ笹」という一編がある。今はこれも絶版になっているのだが、この作品の舞台として登場するのが白山の三業地である。三業地というのは、料理屋、置屋、待合が官許されている地区を指していう。歓楽街なのだが、明治になって新興の三業地があちらこちらに出来たという話が語られていく。今となっては想像しにくいのだが、この小説の冒頭では九段の富士見町が花街になっていく様が出てくる。白山の三業地はや . . . 本文を読む
東日本大震災があったこともあり、この本も改めて注目されているようだ。「東京灰燼記」大曲駒村著中公文庫刊なのだが、これも今は絶版になっている。著者の大曲駒村(くそん)は川柳の研究家であり、俳句の世界で功績を残した人物である。明治15年に福島県の相馬で生まれた。昭和18年に亡くなっている。
その駒村が、関東大震災に遭遇し、その後の様子に至るまで彼が見聞した様を子細に書き残した記録がこの本である。地 . . . 本文を読む
今回のブラタモリは、前回の中野に続いて江戸の動物がテーマ。そして、取り上げられている場所は、浅草に始まって、上野動物園へと展開していった。
まず、浅草。ここは以前のシリーズでも取り上げられていたのだが、江戸開府よりも遥かに古い歴史を持っているのが浅草寺。創建は平安時代の645年とも言われる。何故、これほど古い歴史のある寺かといえば、地勢上の意味合いからというべきだろう。平安時代の東京湾は今よりも . . . 本文を読む
前々回のエントリーで田端界隈について触れたので、もう少し詳細を分かりやすくと思い、以前訪れた田端文士村記念館に触れてみようと思う。文士村というと、大田区の馬込でも馬込文士村と言っている。豊島区池袋には芸術村と言うべき、池袋モンパルナスがあったりと、各地に特徴的な人々が集い済んだエリアがあった。この田端文士村は、中心的な存在として芥川龍之介が上げられる。中央区明石町で生まれた龍之介は本所で育ち、この . . . 本文を読む
ブラタモリに刺激されて、沼袋にある中野区立歴史民俗資料館へと行ってみた。場所は新青梅街道沿いで、何かそれらしき施設があることは前から薄々知っているところだったのだが、訪問するのは初めてのこと。今までは車やバイクで前を走り抜けていただけだった。
利用案内は以下の通り。アクセスマップもある。哲学堂公園からほど近いところで、近くを妙正寺川が流れている。
川の畔には、豊島氏を太田道灌が打ち破った . . . 本文を読む