東京 DOWNTOWN STREET 1980's

東京ダウンタウンストリート1980's
1980年代初頭に撮影した東京の町並み、そして消え去った過去へと思いを馳せる。

旧川越街道~板橋、練馬、和光~その十四(下赤塚、成増〈一〉)

2014-08-31 19:11:33 | 板橋区
さて、再び川越街道へと戻る。このあたりは、練馬区と板橋区の境界が入り組んでいて、川越街道も板橋区になったり、練馬区になったり、忙しい。まずは東武東上線下赤塚駅の近く。国道254号線沿い。既に閉店されているようだが、周囲がビルに建て替えられているなか、かつてのこのあたりの様子を想像出来る貴重な建物になっている。看板は、薄くなっているが、洋品店であったことが分かる。恐らくは戦前の昭和15年に国道254 . . . 本文を読む
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旧川越街道~板橋、練馬、和光~その十三(光が丘)

2014-08-30 19:20:01 | 練馬区
さて、街道から外れての寄り道も、ここが目的地だったとも言える。光が丘である。今は、広大な都立公園と清掃工場や学校、都営住宅などで形作られた、新しい町になっている。ここは第二次世界大戦中の昭和18年に、帝都防衛を目的として陸軍が成増飛行場を建設したことが今日に至るきっかけになっている。終戦後、進駐軍に接収され、米軍人向けの住宅地となった。米軍人の名を取って、「グラントハイツ」と名付けられたのだが、周 . . . 本文を読む
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旧川越街道~板橋、練馬、和光~その十二(田柄〈三〉)

2014-08-29 19:41:08 | 練馬区
前回掲載した相原家薬医門から、北へ進んで行く。ちょうど田柄が光が丘に食い込んでいるような位置で、北上していくと光が丘に近づいていくような感じ。少し大きな道路を越えると、北野神社・八幡神社がある。ダブルネームの神社。境内の記念碑より。 「由緒  古社なれど口碑によれば当社の創祀は永承年間、または康平年間と云う。御祭神は八幡神社(應神天皇)北野神社(菅原道真公)であり、上田柄の氏神様で、古くは飯綱様と . . . 本文を読む
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旧川越街道~板橋、練馬、和光~その十一(田柄〈二〉)

2014-08-28 18:57:22 | 練馬区
さて、少し川越街道から外れて、練馬区田柄へと足を踏み入れてみている。その続きである。今では完全に都市化の波に呑み込まれているのだが、僅かに畑が残されていたりもする。畑ではしっかりと農業も行われていて、かつての面影はまだ少しは残されているともいえる。 前回の阿弥陀堂のすぐ近くだが、天祖神社がある。練馬区のサイトより 「天祖神社は、その昔、神明宮と称していましたが、慶長3年(1598年)に上野伝右衛門 . . . 本文を読む
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旧川越街道~板橋、練馬、和光~その十(田柄〈一〉)

2014-08-27 18:46:35 | 練馬区
さて、旧川越街道が東武東上線下赤塚駅の手前で、再び国道254号線の新道と合流したわけだが、その先、国道沿いには新しい建物ばかりで、あまり時代を感じさせるものが少ない。これは、東京の幹線道路沿いである以上は当然でもあるが、一つには、この国道254号線の下に東京メトロ有楽町線が建設されたことも少なからず影響しているだろう思う。地下鉄の開通による更なる都市化の進展も勿論だが、道路を掘り返す工事が行われて . . . 本文を読む
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東京・遠く近きを読む(66)色と音

2014-08-26 20:54:34 | 東京・遠く近き
「東京・遠く近き」というタイトルのエッセイは、登山関係の評論で知られる近藤信行氏の著作で、丸善から発行されている「学鐙」に1990年から1998年頃に掛けて全105回に渡り連載されていた作品である。氏は1931年深川清澄町の生まれで、早稲田大学仏文から大学院修士課程を修了され、中央公論社で活躍された。その後、文芸雑誌「海」を創刊し、現在は山梨県立文学館館長を務められている。残念ながら書籍化されてい . . . 本文を読む
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旧川越街道~板橋、練馬、和光~その九(旧下練馬宿〈三〉)

2014-08-25 17:53:36 | 練馬区
旧川越街道を行く、更に下練馬宿を進んでいく。東武練馬の駅に近づいていくと、商店街も賑わいを増していく様だ。そして、道が二股に分かれるところに観音堂が設けられている。この二股、左側が旧川越街道で、右手は板橋徳丸、赤塚方面へと別れるところ。今は右手に進むと、東上線東武練馬駅の所へ出て、踏切を越えて徳丸方面へと向かう道筋になっている。 「北町観音堂(石観音堂)  ここには、天和二年(一六八二)銘の「北町 . . . 本文を読む
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旧川越街道~板橋、練馬、和光~その八(旧下練馬宿〈二〉)

2014-08-24 18:05:16 | 練馬区
旧川越街道を歩く、下練馬宿の中を進んでいる。商店街の中だが、微妙に賑わっているとも寂れているとも言い難い、その間の状況という感じ。閉店した商店も多い。しばらく行くと、浅間神社がある。その前には案内板がある。 「旧川越街道  この道は、戦国時代の太田道灌が川越城と江戸城を築いたころ、二つの城を結ぶ重要な役割を果たす道でした。江戸城には中山道板橋平尾宿の追分で別れる脇往還として栄えました。日本橋から川 . . . 本文を読む
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旧川越街道~板橋、練馬、和光~その七(旧下練馬宿〈一〉)

2014-08-23 18:41:04 | 練馬区
さて、ここから練馬区に入る。練馬区は私の地元板橋区の隣の区であり、元々は板橋区の一部であったという歴史もある。そんな練馬区を歩いて見ようと思ったときに、その切り口が難しいものだなとかんじたところが、この旧川越街道を見ていくということの発端だった。練馬区内では、大きな街道というのもこの旧川越街道のみであり、その沿道を見て歩くことで練馬エリアの歴史的な雰囲気なども掴めるのではないか、という期待を持って . . . 本文を読む
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旧川越街道~板橋、練馬、和光~その六(上板橋)

2014-08-22 18:36:34 | 板橋区
さて、旧川越街道を行く、再び旧道に入ってあるていく。ここは上板南口銀座商店街という商店街になっている。東武東上線の上板橋駅が最寄りになる。上板南口銀座商店会のサイトがあった。 「上板南口銀座商店街の商店数は約150店舗、主に生鮮3品など生活必需品中心の商店街ですが、最近は、チェーン店や飲屋が、川越街道沿いには大型店が増えています。 上板南口銀座商店街のある東上線上板橋駅は大正3年に開業した歴史ある . . . 本文を読む
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