すずめのお宿緑地公園を出て来て、少しサレジオ教会の方へ戻って来て、その裏手の方へ入って行くと、以前訪問した円融寺に出る。この寺は、再訪しても見事なお寺だと思うのだが、内容が重複するので今回は掲載はしない。こちら方面を散策するなら、是非とも行きたいところの筆頭であることはまちがいない。その円融寺に隣接して、目黒区立碑小学校がある。ここも元々は円融寺の敷地であったところで、この小学校は明治12年の創立 . . . 本文を読む
清水池から、再び方向を転じて公園前の道を南西方向へと進んでいく。しばらく行くと、背の高い尖塔が目に入ってくる。サレジオ教会だ。
昭和22年にサレジオ修道会がこの土地を取得し、教会を建てた。東京の中でも有名なランドマークとも言える存在になっている。
さらに進んで行くと、竹藪が盛大に繁った緑の塊が目に入ってくる。それが、目黒区立すずめのお宿緑地公園である。
「今からおよそ200年前、江戸時代安 . . . 本文を読む
碑文谷公園を出て、東急東横線の高架を潜ってしばらく住宅街の中を抜けて行くと、目黒通りに出てくる。以前、ここで紹介した目黒競馬場跡や油面から更に先に当たるところで、ダイエーの東京進出一号店であったダイエー碑文谷店や自動車ディーラーが並んでいる。その目黒通りを渡って一本裏へ入った辺りに田向公園という区立公園があった。この辺りは、きれいに道路整備がされていて、町の区画が整然としている。ちょっと渋い雰囲気 . . . 本文を読む
さて、まだ目黒区が続くのだが、ここからは再び目黒と品川の関係性といった感じのコースになるので、分けてみることにした。訪問したのは、2015年1月のこと。東急東横線学芸大学駅がスタート地点になった。碑文谷公園を目指して行くのだが、途中には出桁造りの商家建築があった。碑文谷公園周辺は目黒が農村地帯だったことから、水源地として大事にされてきた歴史のあるところ。そんなゆかりもあるのだろうか?
学芸大学 . . . 本文を読む
さて、氷川神社から山手通りに出てきて、目黒川に沿って中目黒駅方向に行くと、目黒川から一本裏に入った辺りに北野神社があった。今は、大橋の氷川神社が管理している。
「およそ1700年頃創建。農民が土の中から菅原道真公の像を発見し、鎮守と崇め北野神社を創建したと言われております。
御祭神は菅原道真、鎮座地は目黒区青葉台1-16-2。
明治41年に氷川神社に合祀され、学問の神様として親しまれております。」 . . . 本文を読む
さて、再び目黒区へと戻ってきた。大橋の氷川様という方が分かりやすいのかもしれない。この神社、30年ほど前に知人が神前結婚式を挙げたので記憶に残っている。久し振りに急な階段を上ってみた。その前は大坂といわれた大山道の難所であったところでもあり、玉電の走った道でもある。玉電の目黒川沿いに入った所にあった車庫は、その後に東急バスの車庫になっていたが、首都高速道路の中央環状線の建設によって高架の4号線と地 . . . 本文を読む
烏森神社から裏へ抜けると、尾根筋にでる。これは蛇崩川の谷を望んでいるところ。
階段を下った先に西照寺という浄土真宗の寺があった。創建など、詳細は不明。
護法山西照寺という。
大きなお寺ではないのだが、今はすっかり住宅が埋め尽くす目黒の高台の裏にある谷に面白さを感じている。
見切坂を下った道が祐天寺道と世田谷へ向かう道に分かれ、その世田谷へ向かう道が伸びてきているところにでてくる。こ . . . 本文を読む
さて、鎌倉道を中目黒まで行ってしまったが、蛇崩川緑道の辺りまで戻ってくる。蛇崩川緑道のすぐ先で西へと交差する道を折れる。目黒という土地柄、今はどこも住宅地が続いている。それでも、どこか古い時代からの道筋が生きていることを感じる。
蛇崩川の作った谷間から、右手の方に参道が延びていて神社があった。烏森神社である。
「「烏森」という地名は、明治22年の町村制が施行されたときに、目黒村大字上目黒の . . . 本文を読む
祐天寺駅の商店街の外れまで歩いて行くと、東横線の線路を潜って道が延びていく。そのまま下り坂に掛かっていく道は古くからの道だという。稲荷坂という名がつけられた坂道。
「稲荷坂
この近くに刺抜稲荷大明神があるので、稲荷坂と呼ばれるようになった。一説に、この道はかつての鎌倉道の一部とも言われ、目黒でも古い道の一つである。」
最初に通った時には、その刺抜稲荷大明神が見つけられなかったので、再訪した。 . . . 本文を読む
さて、再び再開。そして、目黒川まで行っていたのだが、グッと戻って祐天寺の前からリスタート。祐天寺の隣に、浄桂院という寺がある。
「浄桂院は慶長年間(1596~1615年までの期間)に実蓮社真譽宗印上人[生年不明~慶長15年戌年(1610年)7月26日遷化]によって創建されました。 開山上人が亡くなった慶長15年は、江戸に徳川幕府が開いて7年目、2代将軍徳川秀忠公の御代であります。
昔は港区西久 . . . 本文を読む