色々な町を歩き、今改めて歩いて見て気が付いたことだが、木造の日本家屋の数は大幅に減少している。残っていても、1980年代当時程しゃきっとしていないというのか、どこかよれっとしているのも事実である。三十年近い歳月が経過しているということはもちろんだけど、それ以上に家の面倒を見るプロがいなくなったのではないかとも思う。かつて歩いた時のネガをチェックしていると、軒先に板材を立て掛けてあるような家がどこの町内にもあった。つまり町内に棟梁がいて、ちょっとした家の傷みの補修なども気軽にやってくれていたのではないかと思う。手入れの行き届いた木造の家の美しさというのは、出来たてのものとは違う手を掛けた良さがあった。今は防火対策の一環として外壁にサイディングを貼られてしまったり、ガラスの補修が出来ない為に建具をアルミサッシに入れ替えられていたりとか、そんなケースが多いように思う。維持する手を掛けられなくなっていることが、木造家屋の傷みの進行の背景にあるような気がする。
さて、今回は新富町。築地と銀座に隣接する町。明治の外国人居留地の時代には、新島原という遊郭が置かれたもののパッとせず、新富座という芝居小屋で一躍賑わいを得るようになった町である。料亭も今もあるし、どことなく粋な雰囲気を漂わせている町だと思う。撮影日は1981年10月23日と1982年1月29日。現在の画像は2010年11月8日9日18日に撮影。
スタートは二丁目1番から。東京メトロ有楽町線新富町駅から出て1ブロック歩いて振り返ったところ。奥に見えるのは中央区役所。右端の冷菓製造沢田というのがなんだか良い感じ。今は建て替えられていて、あまり面影はなくなっている。
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二丁目2番。その位置から新富橋寄りに行ってみた景色。新富橋は築地川に架かる橋だが、川は首都高速道路になっている。大野屋は足袋の名店で今も盛業中。その向こうは皆ビルになっていて、町の趣が変わってしまっている。
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一丁目4番。そのまま振り返るとこんな光景。日本近代建築要覧によると、日鉄工業KK、昭和2年築、木造二階、設計施工竹田組とのこと。今は建て直されていて集合住宅である。
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一丁目5番。これはその道の反対側の景色。東和化成に吉井病院。吉井病院は変わらず。四軒長屋だが一軒ずつ切り離されて、今も一軒分だけ残っている。このころは木造の家に会社の事務所というのも結構あったのだと思うと過ぎた年月に思い至る。
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一丁目5番と6番の間。これはもう一本新大橋通り寄りの道筋で中央区役所方向を望んでいる。奥に見えるのが区役所だが、その左手の空の抜け具合が今とは違う。この通りもビルに建て変わって、これほど日が差し込まなくなっている。ビルだらけの町になると、薄暗い日陰が多くなる。右端に写っている「MACKY'S CREEK」の看板、フライフィッシングのお店で今も営業されている。今もあまり雰囲気が変わっておらず、良い感じ。
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二丁目4番。さて、築地から続いてきている昔の電車道の角に建つ喜久屋ビル。昭和初期の重厚なビルでとても存在感があって良い。新富町二枚目の写真の左端に後ろ姿が移っている。今は無いのが惜しい。現在は昭和信用金庫京橋支店がある。建築要覧によると、この当時は全国石油会館、昭和7年?築、RC5との記載。ネットで調べると、このビルについては色々出てくるので、興味のある向きはググってみて頂きたい。
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次は少し飛んで一丁目11番。左のミツヤ第三ビルは今もある。その並びはマンションやらビルになっていて、こんな生活感溢れる通りではなくなってしまった。一軒家も数軒は残されているのがホッとする。路上駐車が目立つのはこの頃の普通。
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一丁目16番。島宇商店東京営業所に二階はエスワイ工業。横を入るとコピーセンター・ニッシン興業に雪印牛乳のビーバーズ東京とローヤルゼリーのタルニー商事。そこから振り返って少し新大橋通り方向に行った反対側。つい最近まであったようだが、取り壊されてコインパーキングになっている。隣のビルは今もある。
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一丁目10番。少し戻って、二丁目方向に行き振り返ったところ。真ん中にはタカシ産業と見える。躍金楼は今も営業されている。手前の並びはビルになっている。
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二丁目9番。そのまま進んで再び二丁目。奥に見えるのは京橋税務署の裏側。かつてはこの場所に新富座があった。これが芝居小屋なら、随分と風情のある景色になるのに...。写っているのは、料亭松し満の別棟。江戸時代から続く老舗である。何故かそちらは写していない。今はビルが建ち、こちら側で営業されている。向かい側はマンション。
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二丁目11番。その道の反対側を引いて見る。板塀の家が似合う。その並びにはウミベ質店の看板。右手手前の家は現存している。
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二丁目11番。ウミベ質店のアップ。どこか芝居の舞台装置になりそうな、良い風情。いまは建て直されていて、質屋さんはない。
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二丁目15番。更に新大橋通り方向へ進んで、その一本裏の通り。二光自動車に並んで二軒続きの同じ玄関が並んでいたり、良い感じだった。今は表通りからの巨大なビルが建っていて、こんな長閑な町があったことが信じられない有様。
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二丁目11番。もう一度一丁目の方向へ進んだ角にあった。角店なので二面の看板建築というのも珍しい。カフェパウリスタは、日東珈琲のコーヒー豆の直売店である。少し離れた二丁目で今も直売をされている。ここのカフェについては明治末からのカフェの話になって面白いのだが、ここでは掘り下げないでおく。
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一丁目17番。新大橋通りに面した正金アパート。昭和初期に建てられた民間アパートで今もあまり変わらずに聳えている。左側の並びのハコネ薬局も今も健在。ハコネ薬局はこの周辺に電柱広告を多数出していたので、他の町の写真に写っていると思う。建築要覧には、昭和6年築、RC5との記載。
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新富町は銀座にもほど近い、都心に近い町である。この当時はまだ一戸建ての家が多くて、普通の町の雰囲気があった。今はマンションやビルに変わって町の雰囲気も変わってきてはいるが、どこかにまだこの頃と同じ様な空気を持っている。いつまでそんな印象を受けるのかは分からないが、個性のある町でいて欲しい。
さて、今回は新富町。築地と銀座に隣接する町。明治の外国人居留地の時代には、新島原という遊郭が置かれたもののパッとせず、新富座という芝居小屋で一躍賑わいを得るようになった町である。料亭も今もあるし、どことなく粋な雰囲気を漂わせている町だと思う。撮影日は1981年10月23日と1982年1月29日。現在の画像は2010年11月8日9日18日に撮影。
スタートは二丁目1番から。東京メトロ有楽町線新富町駅から出て1ブロック歩いて振り返ったところ。奥に見えるのは中央区役所。右端の冷菓製造沢田というのがなんだか良い感じ。今は建て替えられていて、あまり面影はなくなっている。
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二丁目2番。その位置から新富橋寄りに行ってみた景色。新富橋は築地川に架かる橋だが、川は首都高速道路になっている。大野屋は足袋の名店で今も盛業中。その向こうは皆ビルになっていて、町の趣が変わってしまっている。
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一丁目4番。そのまま振り返るとこんな光景。日本近代建築要覧によると、日鉄工業KK、昭和2年築、木造二階、設計施工竹田組とのこと。今は建て直されていて集合住宅である。
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一丁目5番。これはその道の反対側の景色。東和化成に吉井病院。吉井病院は変わらず。四軒長屋だが一軒ずつ切り離されて、今も一軒分だけ残っている。このころは木造の家に会社の事務所というのも結構あったのだと思うと過ぎた年月に思い至る。
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一丁目5番と6番の間。これはもう一本新大橋通り寄りの道筋で中央区役所方向を望んでいる。奥に見えるのが区役所だが、その左手の空の抜け具合が今とは違う。この通りもビルに建て変わって、これほど日が差し込まなくなっている。ビルだらけの町になると、薄暗い日陰が多くなる。右端に写っている「MACKY'S CREEK」の看板、フライフィッシングのお店で今も営業されている。今もあまり雰囲気が変わっておらず、良い感じ。
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二丁目4番。さて、築地から続いてきている昔の電車道の角に建つ喜久屋ビル。昭和初期の重厚なビルでとても存在感があって良い。新富町二枚目の写真の左端に後ろ姿が移っている。今は無いのが惜しい。現在は昭和信用金庫京橋支店がある。建築要覧によると、この当時は全国石油会館、昭和7年?築、RC5との記載。ネットで調べると、このビルについては色々出てくるので、興味のある向きはググってみて頂きたい。
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次は少し飛んで一丁目11番。左のミツヤ第三ビルは今もある。その並びはマンションやらビルになっていて、こんな生活感溢れる通りではなくなってしまった。一軒家も数軒は残されているのがホッとする。路上駐車が目立つのはこの頃の普通。
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一丁目16番。島宇商店東京営業所に二階はエスワイ工業。横を入るとコピーセンター・ニッシン興業に雪印牛乳のビーバーズ東京とローヤルゼリーのタルニー商事。そこから振り返って少し新大橋通り方向に行った反対側。つい最近まであったようだが、取り壊されてコインパーキングになっている。隣のビルは今もある。
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一丁目10番。少し戻って、二丁目方向に行き振り返ったところ。真ん中にはタカシ産業と見える。躍金楼は今も営業されている。手前の並びはビルになっている。
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二丁目9番。そのまま進んで再び二丁目。奥に見えるのは京橋税務署の裏側。かつてはこの場所に新富座があった。これが芝居小屋なら、随分と風情のある景色になるのに...。写っているのは、料亭松し満の別棟。江戸時代から続く老舗である。何故かそちらは写していない。今はビルが建ち、こちら側で営業されている。向かい側はマンション。
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二丁目11番。その道の反対側を引いて見る。板塀の家が似合う。その並びにはウミベ質店の看板。右手手前の家は現存している。
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二丁目11番。ウミベ質店のアップ。どこか芝居の舞台装置になりそうな、良い風情。いまは建て直されていて、質屋さんはない。
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二丁目15番。更に新大橋通り方向へ進んで、その一本裏の通り。二光自動車に並んで二軒続きの同じ玄関が並んでいたり、良い感じだった。今は表通りからの巨大なビルが建っていて、こんな長閑な町があったことが信じられない有様。
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二丁目11番。もう一度一丁目の方向へ進んだ角にあった。角店なので二面の看板建築というのも珍しい。カフェパウリスタは、日東珈琲のコーヒー豆の直売店である。少し離れた二丁目で今も直売をされている。ここのカフェについては明治末からのカフェの話になって面白いのだが、ここでは掘り下げないでおく。
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一丁目17番。新大橋通りに面した正金アパート。昭和初期に建てられた民間アパートで今もあまり変わらずに聳えている。左側の並びのハコネ薬局も今も健在。ハコネ薬局はこの周辺に電柱広告を多数出していたので、他の町の写真に写っていると思う。建築要覧には、昭和6年築、RC5との記載。
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新富町は銀座にもほど近い、都心に近い町である。この当時はまだ一戸建ての家が多くて、普通の町の雰囲気があった。今はマンションやビルに変わって町の雰囲気も変わってきてはいるが、どこかにまだこの頃と同じ様な空気を持っている。いつまでそんな印象を受けるのかは分からないが、個性のある町でいて欲しい。
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