さて、進んでいくと趣のあるお寺が眼に入る。ここも田柄川暗渠のところ。
「円明院
円明院は、慧日山円明院西光寺といい真言宗豊山派の寺院です。豊島八十八ヶ所の第二十七番札所で、本尊は不動明王です。
開基と伝えられる賢栄阿闍梨の名を刻んだ文亀二年(一五〇二)の板碑があります。また、弁財天座像を線刻した文亀元年(一五〇一)のみごとな板碑があります。この板碑は、大正四年に寺の裏山の土窟から偶然発見されたもので、造立当時は田柄川の清流が門前を流れる風景が美しく、水との関係のある弁財天を信仰したものと思われます。村人たちはこれを懇ろに供養し、穴守弁財天として祀りました。毎月三日、二十一日の縁日には多くの参詣人で賑わったといいます。
参道には「血の道地蔵」と刻んだ明治二十五年(一八九二)の地蔵菩薩立像があります。別名「いぼ地蔵」とも呼ばれ、この地蔵菩薩に祈るといぼがとれるといいます。また、墓地の中央奥には延宝二年(一六七四)の石造の大日如来坐像があります。舟型の石に童形をした法界定印を結ぶ胎蔵界大日如来が空・風・火・水・地の五輪塔二基に支えられる珍しいものです。
この他に、寛政六年(一七九四)の彫刻に優れた三面八臂の馬頭観音座像などもあります。
平成二十三年三月 練馬区教育委員会」

東京では歴史ある寺と言える年代の寺。ここも良い感じの寺。

門前には石像が並べられている。

これを一つずつ見ているだけでも、楽しい。

この一番左が、最初の説明にあった「血の道地蔵」。

庫裡は新しい建物。

本堂と山門は、文化七年(一八一〇)に再建されたもの。

二〇〇年経過していると思うと、しみじみ眺めてしまう。

境内には手水舎もある。これも雰囲気のあるもの。

そして、境内で圧倒的に存在感を放っているのが、このコウヤマキの大木。

この木を見るためだけに行っても満足できると思った。金乗院のイチョウも見事だったけど、この二つを見ることが出来て満足。
「円明院
円明院は、慧日山円明院西光寺といい真言宗豊山派の寺院です。豊島八十八ヶ所の第二十七番札所で、本尊は不動明王です。
開基と伝えられる賢栄阿闍梨の名を刻んだ文亀二年(一五〇二)の板碑があります。また、弁財天座像を線刻した文亀元年(一五〇一)のみごとな板碑があります。この板碑は、大正四年に寺の裏山の土窟から偶然発見されたもので、造立当時は田柄川の清流が門前を流れる風景が美しく、水との関係のある弁財天を信仰したものと思われます。村人たちはこれを懇ろに供養し、穴守弁財天として祀りました。毎月三日、二十一日の縁日には多くの参詣人で賑わったといいます。
参道には「血の道地蔵」と刻んだ明治二十五年(一八九二)の地蔵菩薩立像があります。別名「いぼ地蔵」とも呼ばれ、この地蔵菩薩に祈るといぼがとれるといいます。また、墓地の中央奥には延宝二年(一六七四)の石造の大日如来坐像があります。舟型の石に童形をした法界定印を結ぶ胎蔵界大日如来が空・風・火・水・地の五輪塔二基に支えられる珍しいものです。
この他に、寛政六年(一七九四)の彫刻に優れた三面八臂の馬頭観音座像などもあります。
平成二十三年三月 練馬区教育委員会」

東京では歴史ある寺と言える年代の寺。ここも良い感じの寺。

門前には石像が並べられている。

これを一つずつ見ているだけでも、楽しい。

この一番左が、最初の説明にあった「血の道地蔵」。

庫裡は新しい建物。

本堂と山門は、文化七年(一八一〇)に再建されたもの。

二〇〇年経過していると思うと、しみじみ眺めてしまう。

境内には手水舎もある。これも雰囲気のあるもの。

そして、境内で圧倒的に存在感を放っているのが、このコウヤマキの大木。

この木を見るためだけに行っても満足できると思った。金乗院のイチョウも見事だったけど、この二つを見ることが出来て満足。

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