東京 DOWNTOWN STREET 1980's

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1980年代初頭に撮影した東京の町並み、そして消え去った過去へと思いを馳せる。

「幻の地下鉄車庫・引込線~住民運動勝利への道程」地下鉄七号線車庫及び引込線建設反対連合会著を読む

2013-07-25 19:06:52 | 書籍
「幻の地下鉄車庫・引込線~住民運動勝利への道程」
地下鉄七号線車庫及び引込線建設反対連合会著・発行


私は図書館をよく利用するのだが、地域の資料などはそれぞれの地元の図書館が充実していて、面白い。私は板橋区の住人だが、隣接する北区の図書館も利用している。そこで出会ったのが本書だった。こんな風に、書棚を眺めているだけでも、関心を惹く資料と出会えることが図書館巡りの楽しさでもある。
本書は、平成8年に住民運動の記録として残すために発行されたようだ。そう、本書は珍しいとも言える、勝利を飾った住民運動の記録なのである。そして、その舞台となったのが、このブログでも紹介した赤羽西から西が丘に掛けての辺りであった。
地下鉄七号線というのは、今日では当たり前に営業運転されている東京メトロ南北線のことである。この地下鉄の車庫とそこに至る引き込み線がかつて赤羽台に計画されていたというのは、本書で初めて知った。やはり、隣の区の出来事というのは、なかなか知っているようで知らないものだと思う。下図は本書に掲載されていた昭和48年7月に北区が発行した地下鉄七号線の北区内の計画図である。このうち、(2)の赤羽岩淵駅までは現実に完成しており、そのまま荒川を越えてさいたま高速鉄道へと乗り入れが行われている。計画段階では、ここから向きを変えてJRの線路を潜り、旧軍用引き込み線跡を転用して、恐らくは現在の自然観察公園の辺りに車庫を建設する目論見であったようだ。


以前、このブログで取り上げた頃に、桐ヶ丘の歩みを記した資料が、北区立中央図書館にあって読んだことがある。元は弾薬庫であったところが、戦後に住宅困窮者向けに解放され住宅になったものの、水とかトイレとかにはたいへんな苦労をされたという話や、その後の団地建設で田圃が潰されていった話、いい加減な下水管の敷設工事をしたために、後で降った大雨でめちゃめちゃなことになって、大規模な再工事が行われたことなど、印象に残っている。それだけに、もともと軟弱地盤の上に作られていた軍用引き込み線の跡を大幅に強化して、これまでにない頻度で地下鉄の電車が走るようにするというのは、並大抵の事業ではなかったはずだと思う。まして、今は自然観察公園になっている場所というのも、湧き水があって、観察用の水田まで作られているように、谷間の湿地で地盤が良いとはお世辞にも言えない場所なのは、今も歩いて見れば分かる。

さらには、当時の営団地下鉄が、免許が下りる前に唐突に測量を開始したことで、住民は寝耳に水という状況になってしまったところから話が始まる。こういった、古くからの公用地の転用については、計画が表に出てくるよりもかなり前の時点から、いつの間にか用途が決まっていくようなことが多い。この件でも、軍関係の施設が縮小されていくなかで、貨物の引き込み線跡が手つかずで置かれたままになっていたことについて、皆不思議に思いつつも、見過ごしていた中で、密かに計画が進行していたような経緯が描かれている。
本書より、昭和49年当時の国鉄引き込み線跡地。まだ、枕木もレールも残存したままになっている。


最初に本書を読み始めたときには、この引き込み線が完成していたら、車庫の辺りに駅が出来たら随分便利であったのではとも思った。だが、読み進めていくと、軟弱地盤で湧き水のあるところに車庫の施設を作る工事がどんなものになるのか、引き込み線跡に杭打ちをして線路を引き直すだけでも、凄まじい工事になったことは間違いない。そういったことを考えると、この計画を食い止めたことは間違っていなかったのだなと、納得出来る。当時、その辺りまで含めて、様々な思惑が交錯したと思うが、正しい判断をされた方々に敬意を表したい。
昭和50年当時の車庫引込線用地周辺 北区赤羽台三丁目付近


何も知らずに歩き回っていたが、こんな経緯があって、今の自然観察公園になっているのかと思うと、感慨深い。こういった資料が大事に残されている事こそが、地域の図書館の良さだと改めて感じる。

コメント (2)    この記事についてブログを書く
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2 コメント

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この記事から11年後 (よ)
2024-02-23 14:56:24
桐ヶ丘団地はもはや廃墟団地になてるけどね
時間がたてば経つほど地下鉄を呼び込まなかったことが先見の明の無い、間違いであったことが明確となったよ
最早、反対運動の人たちは存命では無い人のが多いかもしれないけど大きな負の遺産を残して、存命の人は自分で自分の首を絞めちゃったね
桐ヶ丘団地 (kenmatsu_FS)
2024-02-23 20:22:32
コメントありがとうございます。
誤解があるようですが、桐ヶ丘団地が廃墟団地になっているように見えるのは地下鉄が来なかったからじゃないですよ。建設から相当の年月が経っているので、目下リニューアルの再開発を進めている最中です。そのために住人を減らして建替えなどを順次行っています。
https://www.city.kita.tokyo.jp/machisuishin/documents/kirigaokanoatarasiimachidukuri.pdf

まあ、都営住宅というのはURとも違うので隣接するURの赤羽台団地のような再開発を強引にするわけにもいかないから、時間を掛けて部屋を空にしている事情もあるだろうと思います。これからの再開発が終わった姿を見てから、反対運動の是非については考えたほうが良いのではないでしょうか?

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