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この公園の桜も終わった。
喧噪が去ると子どもたちの遊び場になる。
いずれにしても騒がしいけれど、子どもたちの歓声の方が暖かい。
ユキヤナギもそろそろ果実が膨らみ始めて、新しい葉が伸びた。
新しい葉が伸びるとアブラムシがびっしり付く。
▲ 果実は5個、めしべの柱頭が残り、周囲におしべの名残。▼
(2019.04.13・15 田町)
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レンギョウが咲き、その横にユキヤナギ。
見慣れた光景だけれど、人の目はサクラに移っている。
春に咲く花はどれも皆、周りを気にしながら咲くのだろうか。
ユキヤナギも散り始めている。
ここに咲いていた赤花種のユキヤナギも、今は白になっている。
ユキヤナギ(雪柳) バラ科シモツケ属 Spiraea thunbergii
(2019.04.03 上が池公園)
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▲ ここに咲いていたのはこの赤花種だが、今は白になっている。
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▲ 赤花種
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ユキヤナギ 咲き始めの頃 赤花種 黄葉の頃 果実の頃 カイガラムシ
ユキヤナギの花弁が落ちるとこんなに素敵になるのですね。
毎年お花が終わるともう見向きもしなかったこと
「もったいない~~~」と思いました。
ガクの上に雄しべと小房が乗って・・・
こんなの見たこともなく感動してしまいました。
是非見て来ようと思いました。
花の終わりは白くなってまた素敵になりますね。
遠出した場所で気にいったものを幾つも見つけるともう一度と言うときに、すぐには足を運ぶことは叶いませんが
近くだと何とか時間のやりくりをして足を運べますね。
それでお気に入りの一つや二つを見つけられたら
何度でも足を運んで撮っていることが出来るでしょう。
そうすればまた違った見方も出来るし、違った良さも見えてくる。
遠くへ出掛けないことの言い訳ををしている…と言われたことがありますが
長続きしないことより、長く続けられることの選択をした方が賢明だと思いました。
もったいないなぁ~と思ったものが、近くにあれば足を運べますものね。
「何度でも足を運んで撮れる」・・・
こいもにはとてもあっているようで嬉しいことです。
「何度でも生活…」楽しみたいと思います。
いつも・・・☆⌒(*^∇゜)v ありがとうございます。
そんな書き込みを読ませられると唖然とします。
世界中に何十万種もある植物類の画像一つ一つに反応出来るほど
人の知識も行動力もあるわけでは無いでしょうから、いちいち反応していては身が持ちません。
小さすぎて私にはとても撮れません…と言うのも同じでしょうか。
ほんの僅かな自分の居場所でしょうから、その周りにあるものだけでも恐ろしいくらいの「知らないもの」があると思います。
そこに好き嫌いや、趣味に合う合わないと言う感情が入って来て
どんどん範囲が狭くなるのでしょうね。
身近なものに接している限りは、大きくは知識も視野も広がらないのかも知れませんが
それが毎日のことであれば、楽しみは続く…と言うことになる気がします。
やはり自分で行動できる範囲、身の丈に合ったものが一番です。
赤花だったユキヤナギの変身ぶりにはびっくりです。
おっしゃるとおりですね。
こいもは知らないものだらけ・・・知りたいものだらけ・・・です。
今…恐ろしいくらいの「知らないもの」があると感じます。
そしてやっぱりこいもには「何度でも生活」があっていると思います。
そのスマホ片手に、はいパチリ、が普通になってしまって
ゆっくのとカメラを構えるのが馬鹿らしい…と言う方も増えました。
それでもやはり写真を撮る…と言うのは、片手ではいパチリ…ではない気がします。
じっくりと撮るものを見極めて撮る、そんな気持ちが、少しずつ無くなってしまうのが惜しい気もします。
「何度でも生活」ですよね。