HAYASHI-NO-KO

北岳と甲斐駒ヶ岳

大仏鉄道遺構ハイク

2023-12-18 | 番外編 ハイクなど

かなりのハイペースで昔の山仲間とのハイクが続いている。
次々と旧知の方たちのリタイアを耳にする昨今だけれど
元気で歩ける内だよ…と、少しずつ足腰の衰えを自覚しながら無理はしないように動いている。
一時間に一本しか走っていない電車を利用しての晩秋の播州路低山ハイクが今年最後になる…
そう思っていたのだけれど、幻の大仏鉄道遺構ハイクの案内が飛び込む。
当日奈良北部の午前中の雨確率は80%近かったけれど、午後からは晴れ間ありの予報。

予定の10時には参加者全員が近鉄奈良駅西口地下に集まった。

 
▲ 奈良市街から程ない場所が、大仏鉄道の終着駅だった。この公園に近い場所だ。▲

大昔、鉄ちゃん時代に鉄道写真撮影でお付き合いさせていただいていた方たちに誘われて
関西本線加茂駅から奈良まで遺構跡歩きをしたことが二度、記憶には残っていた。
当時の写真はネガ諸共、震災後の建て直しの際に散逸して記憶だけしかない。
時代だなぁ~と感じたのは、集合場所。
加茂から奈良に歩いた筈だから、加茂駅がスタートだった筈だ。
ところが今回は逆ルートを辿る計画に変った。
加茂駅10時集合は神戸大阪周辺組にはかなりきついとの配慮からだった。
当時もまだ列車本数は少なかったけれど、加茂駅をスタートにしたから
利用者減による減便はこんなところにも出ているのだろうし、廃止路線が次々…なのも頷ける。

雨の懸念はあったけれど歩き始めた頃は降られなかったから、幸先良い?スタート、だったけれど
案の定、最初の記念撮影場所から暫くすると雨が降り始める。
記憶には全くない新しい道路沿いの道が延々と続いた。

 
▲ 降ったりやんだりのあいにくの天候、おまけに片側二車線の道路を見ながらの側道歩き…、左画像に見える道路を横断している陸橋は
かつてこの道路が作られる頃までは存在した隧道を壊して架けられた。
少し早かったけれど、峠を越えた辺りに作られた「国境食堂」で850円の日替わり定食 ▲

 
▲ その後も延々と車道脇を歩かされる。時代も変わった…の実感はいつしか落胆に変っていた。▲

 
▲ やっと里道らしい雰囲気の場所まで辿り着いた。この先には竹藪がしばらく続き、おぼろげな記憶が蘇った。▲



 
▲ 峠を越えて下り着いた辺りが城山台公園(大仏鉄道公園)で、周辺地図に「赤橋」「梶ヶ谷隧道」の名前を見つける。▲

 
▲「梶ヶ谷隧道」▲


▲ 「鹿背山橋台」 ▲

 
▲ 「鹿背山橋台」から「観音寺橋台」までの間には立ち入り禁止の柵があり、奥には関西本線の現役の線路が見える。
ガイド図では、小さく「観音寺小橋台」と書かれている。▲ 

 
▲ 「観音寺橋台」やっと全員揃ってカメラに収まる。▲
手前が橋台遺構、奥が現在の関西本線橋台で、鉄ちゃんならここで現在の電車を狙うだろう?? ▲



 
▲ またまた新興住宅地が広がる台地に出た辺りで、浄瑠璃寺(九体寺)是より十五丁の石柱、加茂駅近くでは岩船寺方面への案内標識 
ここは奈良県の最北部、京都府の最南部、堀辰雄の短編「大和路」の中の浄瑠璃寺を読んで訪れた、浄瑠璃寺・岩船寺の山道が浮かんだ。▲


結局、コースの後半部分になってやっと廃線跡と思しき風景の中を歩けた。
記憶が曖昧なのは仕方ないことだけれど40余年、周囲がそのまま残っている筈もない。
幾つかの遺構は朧気だったけれどそれでも何とか歩き通せた。

廃線跡歩きではなく、遺構跡歩きだし、周囲は開発されて幾つもの新興住宅地になっている。


(2023.12.15 大仏鉄道遺構歩き)

 


コメントを投稿