HAYASHI-NO-KO

雑草三昧、時々独り言

入梅眞一くんを偲ぶ会2024.06.03

2024-06-06 | 番外編 ハイクなど

▲ 1965.10 2回生の秋。槍ヶ岳に雪が降り積もった為に登頂断念した折の一枚。▲

幾つかの訃報が飛び込み始めたのはもう何年も前からだ。

それぞれの何十年だから、深く落胆することも無くなりつつある。
それでも時には、残念だなぁ~と感じることも、人間だからある。
昭和39年4月に大学に入って、4年間で滞納していた学費と交換?に
何とか卒業証書を貰って社会人になったことがあった。
もう他人事のように語る程度の材料かも知れないけれど
その4年間は、大学に行っても教室の授業・学究よりも
クラブの部室に入り浸っていることの方が、或いは元町辺りの雀荘に入っていることの方が多かった。
途中で退部したメンバーもいるのだけれど、
入学も二浪、一浪、現役入学、卒業も一年遅れ、二年遅れ、4年ですんなりを取り交ぜた同期の13名は
考えてみればもう何年も一泊の同期会を続けている。
奇跡とさえ言われ続けるほどに一人として亡くなったメンバーは居なかった。
年々同期会出席メンバーは減ってはいても続いているし、去年秋には名古屋・岡崎を巡った。
ところが、メンバーは誰一人知りはしなかったけれどその同期会開催年の6月に一人が亡くなっていた。
それを知ったのは、半年以上経った今年の正月のことだった。
正月以降何人かが、今年の一泊同期会は取り止めにして彼を偲ぶ会をやろう…ということになった。

以下は、その「偲ぶ会」の折に配布した手作り小冊子と、そこに掲出した懐かしい画像だ。
記録と言うほどのことも無いけれど、それぞれの何十年を持ち寄って彼を偲んだ。


▲ 何度かの合宿の折にも当時の国鉄利用が普通だったから眺めた、巽と坤二つの隅櫓。▼
 

▼ 偲ぶ会出席メンバーに配布したA5版手作り小冊子 ▼
 
▲ 表紙・裏表紙 1、2ページ ▲
▼ 3、4ページ  5、6ページ ▼
 
▲ 見開きになる3、4ページには、現役時代に毎年発刊していた部の記録誌に掲載していた「ワンゲル紳士録」の原稿と活字版を載せた。▲

 
▲ ダンディ入梅、長身で寡黙だけれど、酒豪・雀鬼で「役満男」だった。▲
 
▲ 卒業が決まった後、淡路島の同期の家に投宿、徹夜麻雀に耽った。 右は白樺湖で開催された創部15年の記念大会で横岳で撮ったもの。
下は 何回目かわからないほど続いていた同期会、浜名湖・舘山寺、卒業以来40年経っていた。 ▼


▼ 「偲ぶ会」当日の面々。上の浜名湖・舘山寺からでも16年経っている。▼
 

メンバー13人の内、二人は個人的な事情もあり欠席になったが、学生時代に懇意だった二人が参加、12名で彼を偲んだ。

(2024.06.03 神戸三宮)

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