今年は20年ぶりの伊勢神宮の式年遷都、60年ぶりの出雲大社の大遷宮だ。出雲が遷宮の時は伊勢も遷都となる理屈だ。
伊勢神宮の主祭神は天照大御神、出雲大社は大国主大神、両神は天と地と対照的な神様で、大国主が後から来た天照に国を譲ったことは有名である。
伊勢には愛知県に住んでいたこともあって3度、出雲には2度行っている。伊勢には二見が浦の夫婦岩が、しめ縄で結ばれているが、ここで日の出を拝むのが最高なのは、天照大御神に関連しているとは、ずっと後年になって知った。
日本の最古の書物「日本書紀」は、出雲を無視して天照の歴代天皇を記しているが、出雲は「鉄」の生産地であり、ここから日本が始まったのは通説になりつつ有る。
須佐之男命(スサノウノミコト)の八俣の大蛇(ヤマタノオロチ)退治は、山で鉄を作る赤目の大蛇を、平地で稲を作る農民が懲らしめ、刀(鉄)を取り上げる出雲の神話だ。
鳥取砂丘だって、上流で鉄を作った砂鉄の残滓とは誰も教えてくれない。
山口に帰って「西のお伊勢さん(山口大明神)」が山口市に有ることを知って、早速行ってみた。三重のお伊勢さんを知っている人間から見ると、スケールは比ではないが、立派な物だった。
「1520年に大内義興が、朝廷に奏聞して勅許を得、伊勢神宮のご分霊を勧請した神社」で、「伊勢神宮から直接ご分霊を受けて、大神宮社が創建されたのは、明治になるまで日本国中で実に、この山口大神宮だけであった」という。
内宮も外宮もあり、隣に遷宮する敷地も用意してある。最初は21年ごとに遷宮を行っていたが、それ以後は戦乱など時代の世相を反映して、必ずしも21年ごとには行われず、近年は13年前の平成12年に行った、そうだ。
江戸時代になって中国地方、北九州各地から参拝者も多くなり、西のお伊勢参りとか、山口参宮とかいった。確かに関東からも関西からも、名古屋からも三重の伊勢神宮は遠い。
せめて一生に一度は行ってみたいと歌われた「お伊勢参り」が、山口に有ったとは、地元でも知らない人が多いのは残念だ。
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