今日はチェンバロの先生のとこへヴァイオリン持って音律についてのレッスンへ
先生のチェンバロはいつもはキルンベルガ―調律されてるけど私のためにミーントーンの調律にしていて下さった
教材はマルチェロのソナタd-mollの続き
普段はミーントーンでは弾かないのでしばらく間が空くと一弦調弦も違和感がありなかなかなイメージがつかめなくなる
普段の調弦はピュアな完全五度で合わせてるので少しうなりのある完全五度というのがどうもしっくりこない
それに特にf音とB音が普段より高めにとらないといけないので音痴になった感じもする
開放弦がピュアな完全五度じゃなくても指で作る完全五度を指の角度を微妙に変えてピュアにも出来るからフレットのないヴァイオリンというのはフレキシブルな楽器だな~とあらためて思う
普段・・・半音は上の音への導音的役目として狭く取ることが多いけどミーントーン調律での半音はかなり幅が広いのです
そうすることで独特なニュアンスの音程感になるのを使い曲の歌いまわしを考えるというのがテーマ
どこのフレーズのどの音程でそういう事を行うか・・・そのポイントを曲中のたくさんある音符の中で見極めることがホントの譜読みであって・・・どれだけ自分はそれが出来てるかというと・・・
世の中的・・・現実的・・・日常的にそこまでの語る音楽がどれだけあるのだろうか・・・
ホントの音楽の聴きどころを譜読みの段階で見落として演奏してるんじゃないかと思い返す
調律や調によるフィ-リングの違いにどれだけ自分が反応出来てるんだろうか・・・
師匠が伝えようとする本質をまだまだ受け止められてない
暗闇の中に何かがあるのはわかるようになったけど・・・どの方向に行けばいいのか小さな点の光もまだ見つけられてない
師匠もかなり長い時間をかけてようやく鮮明になったというのだから私もまだまだ先は長そう
芸はこんなもんだろう・・・と踏みとどまってしまったらもうその先はないから見つけられずもがいてる状態の方がまだマシだという
確かにそうかもです
現実こなしていかないといけない仕事もしつつ・・・大体こんなもんだろうなんて妥協せず追究していかないと
光の元は見つけられないな・・・と改めて思うのでした
先生のチェンバロはいつもはキルンベルガ―調律されてるけど私のためにミーントーンの調律にしていて下さった
教材はマルチェロのソナタd-mollの続き
普段はミーントーンでは弾かないのでしばらく間が空くと一弦調弦も違和感がありなかなかなイメージがつかめなくなる
普段の調弦はピュアな完全五度で合わせてるので少しうなりのある完全五度というのがどうもしっくりこない
それに特にf音とB音が普段より高めにとらないといけないので音痴になった感じもする
開放弦がピュアな完全五度じゃなくても指で作る完全五度を指の角度を微妙に変えてピュアにも出来るからフレットのないヴァイオリンというのはフレキシブルな楽器だな~とあらためて思う
普段・・・半音は上の音への導音的役目として狭く取ることが多いけどミーントーン調律での半音はかなり幅が広いのです
そうすることで独特なニュアンスの音程感になるのを使い曲の歌いまわしを考えるというのがテーマ
どこのフレーズのどの音程でそういう事を行うか・・・そのポイントを曲中のたくさんある音符の中で見極めることがホントの譜読みであって・・・どれだけ自分はそれが出来てるかというと・・・
世の中的・・・現実的・・・日常的にそこまでの語る音楽がどれだけあるのだろうか・・・
ホントの音楽の聴きどころを譜読みの段階で見落として演奏してるんじゃないかと思い返す
調律や調によるフィ-リングの違いにどれだけ自分が反応出来てるんだろうか・・・
師匠が伝えようとする本質をまだまだ受け止められてない
暗闇の中に何かがあるのはわかるようになったけど・・・どの方向に行けばいいのか小さな点の光もまだ見つけられてない
師匠もかなり長い時間をかけてようやく鮮明になったというのだから私もまだまだ先は長そう
芸はこんなもんだろう・・・と踏みとどまってしまったらもうその先はないから見つけられずもがいてる状態の方がまだマシだという
確かにそうかもです
現実こなしていかないといけない仕事もしつつ・・・大体こんなもんだろうなんて妥協せず追究していかないと
光の元は見つけられないな・・・と改めて思うのでした