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圭子の音楽室

圭子の音楽レッスン日記&出来事

沖縄回想録:おまけ:ムーチー

2007-01-07 17:56:10 | 沖縄回想録
鬼餅(ウニ・ムーチー)旧12月8日の民族行事に家庭で手作りし、仏壇や火の神様にお供えして悪鬼払いの祈願をします。材料はもち米900g・砂糖500g・水2~1/2カップ・サンニンの葉(月桃の葉)50枚で作ります。黒砂糖を使ったりもします。最後に蒸して出来上がりです。もち米の代わりに白玉粉300gでもOKです

あっというまの一年

2007-01-07 17:55:50 | 沖縄回想録
沖縄も一年の終わり近くになると、少し肌寒くなってくる沖縄というところは風が結講強い旧暦12月8日に作られるもので鬼餅(ムーチー)というのがある。給食でも出て、生徒達は先生~いらないなら頂戴~と大勢で寄ってくるってことはきっとおいしいに違いないと思い安心して食べてみた。細長い葉に包まれていて二ッキ玉みたいな香りと味がする。「これって何の葉っぱ?」と聞くと・・・サンニンの葉だという。校舎の裏にあるというので案内してもらった葉を顔に近づけてみるとその香りがした。ホントだ「みんな何でもよく知ってるね~」と言うと・・・「こんな事普通さ~」「先生って何でも感動して面白いな~」と返された年内最後の授業をし終業式を終え校舎内の大掃除を生徒達として港に向かって坂を下っていると・・・通り道にあるおウチからおばーやおじーが何か袋を持って出ていらした。よいお年をお迎え下さい。と言うと・・・先生も!と言って何か野菜をはじめいろんな食べ物が入った袋を渡された。えっそんないいですよと遠慮していると、校長先生に、この島の方達の気持ちですから受けて差し上げてください。と言われ・・・ありがたく頂戴しました何かこんな殺伐とした世の中でもまだこんな事があるんだ~と感動したのでした教員生活というか、組織に入って仕事をすると忘年会とか新年会とかお疲れ様会とか・・・なにかとあります。お酒が全然飲めない私はそういう場は苦手ですが出ないわけにもいかないので辛かったですでもお料理は楽しみでした。お刺身盛り合わせというと東京などでは、マグロやサーモン・イカ・タコとかですが・・・沖縄ではナンヨウブダイと言われる代表的なお刺身が必ず出ます。沖縄の魚は、海がきれいな色のせいか。とてもカラフルでこのナンヨウブダイという魚もブルーやエメラルドグリーンをしてます。身は白身ですが、この皮を少し残して盛り付けられ登場するので・・・なんか最初慣れないと金魚を食べるみたいで食が進みませんでしたしょうゆでもいいですが味噌をつけて食べたりもします。あとカツオもよく食べます。アサヒガ二という何か化石みたいな形をしたカニもお味噌汁にしますが、これは最高ですそしてイカ墨のおつゆというのもおいしいです。魚屋というか・・(沖縄はさしみやと看板に書かれてます)1パイのイカからはおつゆに出来るほどの量の墨はとれないので、イカの墨と書かれてウナギのタレの様にして別に売られています。島に住む子供達は釣りも上手でこういった釣れたてを学校の体育館で行われた私達新任教諭の歓迎会でご馳走してくれました。島の人達というか沖縄の人はお酒の強い人が多いです泡盛という沖縄を代表するお酒もあるくらいですから・・・こんな環境の中での音楽教師としてのスタートは、めったに経験出来ない事だったのかも知れないな~と今振り返り思います。続く・・

沖縄回想録:おまけ

2006-12-30 01:34:16 | 沖縄回想録
沖縄でよく食べられるお菓子をご紹介します。サーター・アンダギーと言う呼び名で、丸い形に揚げたドーナツがあります。白砂糖・黒砂糖バージョンの二つがあり、結納や結婚などのお祝いの席には必ず出てきます。材料:小麦粉1㌔・ベーキングパウダー大さじ1.5杯・砂糖600g・卵10個・サラダ油1/2カップ・揚油です。空港やおみやげ物屋では絶対あります。もう一つカタハランブーという呼び名の物があり、松風(まちかじー)というピンクに染めた結び目のお菓子とをワンセットにして結納の時に男の側が贈るそうです。理由は、サーターは男性と、カタハランブーは女性が松風により結ばれるというもの・・・カタハランブーの片方だけの膨らみは子宝に恵まれるようにとの願いもあるらしいです。なんか素敵でしょ?

生きる力

2006-12-30 01:32:50 | 沖縄回想録
沖縄のこの小さな島で音楽教師をしながら思ったことは、子供達の生きる力のすごさだった。何か子供なのに生活力があるのださとうきびやウニの収穫時期になると家の手伝いをするために学校を休む日もあるのにはちょっと驚いたけれど・・・この島ではずっとそうやって生活してきてるようだ。兄弟も多く一番上の15歳の子が病気がちの母親に代わり一番下の3歳の子を面倒見たりする。幼稚園も同じ敷地内にあるので、その子が登校する時に一緒に連れて来るのだ。しっかりと責任を持ってる様子には感心した。こんな子もいた。両親とも蒸発してしまい親戚の家で一応は暮らしている男の子だったが、自分だけの小屋のような家を作っていて、そこで自炊もし、野菜を作ったり海で魚を釣ったりして食べたりしていると聞いた。いろいろ訳ありのようで担任だった男の先生が常に心を配っていた。ある授業の時、学校には来てるはずなのに姿が見えない男の子がいたどうしたんだろう?と心配していると・・・制服のズボンを折り曲げ短パンのようにして、濡れた状態で戻ってきたどうしたの?と聞くと何か私にビニール袋に入ったものを「先生!これやるさ~!」とくれた。えっ何?と思い中を開けると大きなトゲトゲのウニが10個位入っていた話を聞くと、本土から来た私に海で捕ったばかりのウニを食べさせたかったらしく・・・島の秘密の場所に行き捕ってきたらしい・・・一人でいて海に落ちて何かあったらどうするの?と心配して叫んだが、他の先生達もこの島の子達はみんな泳ぎも達者で素もぐりで貝やウニも捕れるし危険な場所や危険な生き物の事も私達以上に詳しいですから心配いらないですよと笑われたそうなんだ・・・それにしても何て優しい子達なんだろうと感動した。ただ、このトゲトゲの中からどうやって中身を取り出すんだろうと思い聞いた。そしたら「えー中身の出し方知らないさ」と言って、休み時間家庭科室を借りてその子がさばいてくれ食べるだけにしてくれたすごく甘くてとろ~りとしていて最高においしかったまだ14歳なのに何かすごい生活力を感じたのでした。確かに勉強の面では都会に暮らす子達と格差があるのは確かだけど、人間として本当に大切なものをこの島の子供達は自然と身につけている気がすることばかりでした。子供達は私に「楽しい音楽をたくさん教えてくれて、毎日とても楽しいです。とか、ピアノでいろいろ弾いてくれたりいつも音楽室にいて一緒におしゃべりしてくれてありがとう!」とか手紙を書いてきてくれたりしてたけど、私の方こそ子供達から溢れんばかりの素直な気持ちや感動をもらうことが出来たと本当に感謝しています。そのころ小学生だった子達ももう成人を迎え、立派になってることだろうと思い浮かべるのです。現在その島にはキレイな橋がかかり、車やバスが通れるようになったので、島の学校は閉鎖され、島で暮らす子供達も本島の学校へ通学してるようだし、毎朝、島へ渡っていた第八古宇利丸もなくなってしまったよう・・・。時の流れを感じながら・・・。あの瞬間はもうあの時にしかなかったと思うと本当に貴重な体験だったと思うと共に、そういう巡り会わせに出会えたことに心から感謝の気持ちです続く・・

沖縄回想録:おまけ

2006-12-23 01:43:05 | 沖縄回想録
沖縄料理でおいしかった物のひとつに、祝料理として使われる、沖縄の代表的なお味噌汁があります。イナムドゥチと言う名前です。材料は、豚の三枚肉・椎茸・カステラかまぼこと言われる沖縄特有の少し甘みのあるさつま揚げのようで表面がたまご色で中は白です。だしはかつおと豚だしで味噌は甘口の白い味噌で、仕上げにお塩とみりんを入れます。学校の給食の時は、薄く切ったこんにゃくも入っていました。とてもおいしかったです。お吸い物の代表的なものもご紹介します。中身のおつゆと言う名前の通り、材料は豚の中身・・・いわゆるホルモンですやはり椎茸・豚か鶏肉・生姜。だしはやはりかつおとお肉のだしです。塩で味を調えて出来上がり!材料が沖縄ならではの物なので手に入らなければ別なもので代用も出来ますが・・・やっぱり味が違ってしまいます。最近は沖縄の食材を取り扱うお店も増えたのでわりと手に入りやすくなっているのかも知れません!

初めての音楽会

2006-12-23 01:42:26 | 沖縄回想録
学校というところは年間の行事が山ほどある一つ終われば又次・・・と音楽の授業以外でもいろんなことに関わらなければならない。まだこの時はクラス担任は持たされていなかったので、他の先生方よりは時間があったかも知れない。音楽会となれば音楽専任教師の腕の見せ所だ!私は、かなり張り切った。出し物もみんなで同じパートをただ歌ったり、簡単な合奏しか発表した事がなかった子供達だったけれど、春先からいろんな名曲をアレンジしていろんな楽器で演奏する事に興味を持ちスゴイ上達振りを見せた子供達だったので、さらにレベルアップさせた。小学1・2年生は「大きなかぶ」のオペレッタ3・4年生は「魔法の鈴」5・6年生は「トルコ行進曲」の合奏。小学生全員で2部合唱・・・。最初はもう一つのパートにつられてしまいどこを歌ってるのかわからなくなっていたけど、同じパートをピアノに弾いてもらいながらしか歌えなかったのに比べたらスゴイ進歩だった。子供達はやれば何でも出来るようになるのだと言う事が証明された気がした。中学生は1~3年まで一緒に「アイネ・クライネ・ナハト・ムジーク」を全楽章を短くした形で合奏させた。全員での合唱は、子供達からのリクエストで当時ブレイクしていた「青春の影」という歌を3部にアレンジしパッヘルベルのカノンに終わりの部分を合流させしめくくった。合奏のパート譜やピアノの伴奏譜を作るのに苦労したけれど、本当にこの島の子供達と私のオリジナルの音楽となり大成功だった。保護者やおじ~やおば~と言われる方の中には感動して涙して聴いて下さった方もいて、その姿に又演奏した子供達も得意気であり感動していて、音楽教師としての自信のようなものが少し湧いた瞬間でした最後に私もピアノとヴァイオリンで1曲ずつ演奏し、そして、職員・子供達全員で、やはり当時ブレイクした「島歌」を演奏して最後を飾った。歌の苦手な先生は打楽器をやってもらったり、最初照れくさそうにしていた先生方も子供の頃に戻ったような表情で歌ったり楽器を演奏されたりしていて、何か小さな島でみんながあったか~な気持ちになれた瞬間でした。本当にいい思い出です続く・・

沖縄回想録:おまけ

2006-12-16 01:05:32 | 沖縄回想録
エイサーとは7月に行われる旧盆の行事の一つです。旧暦7月15日の夜、青年男女が優雅に舞いながら太鼓を打ち鳴らし、唄にに掛け声・指笛をおりまぜ賑やかに繰り広げられるものです。パーランクと呼ばれる小さな太鼓や絞め太鼓が使われれます。太陽とエメラルドグリーンの海に響き渡る太鼓の軽快なリズムと沖縄独特のレラ抜き音階によるメロディーに指笛・・・初めて耳にするのに何か・・・遠い過去へいざなう様な不思議な感覚になるのです。カチャーシーとはよく宴会の席などでネクタイをハチマキというか顔の横にたらす様に巻き、三線を爪弾く人の音楽に合わせながら踊り狂うという感じの物ですが・・・独特の手の動きがあって・・・、私には、両手で自然の風や波を表現してるような動きに思えましたが、簡単そうでこれが難しいのです。かなりダメだしされました。結婚式も最後はこれです。そう!沖縄の結婚式もちょっと違います。別な機会に又書きたいと思います。

初めての運動会

2006-12-16 01:04:02 | 沖縄回想録
島の学校の初めての運動会の準備にかかり始めた。音楽担当教員はダンスや徒競走での音楽を選択して準備しないといけない。これまで使っていたテープはあったけれど、すべて入れかえた幼稚園・小学校・中学校すべてまとめてやるので結講いろんな曲を準備した。それから、先生やPTA参加の種目もある。沖縄の学校の運動会で必ず入るエイサーというものやカチャ-シータイムがある。これらがどういうものかはおまけの方に書きます。休み時間を利用してみんなで練習する。中々その沖縄独特のノリについていけなかったが・・・子供達も私に教えてくれた。本当に沖縄は暑い花壇の花もまめに水やりをしないとすぐに枯れてしまう好きで沖縄に移り住んだのだけど日焼けはやはり出来ればしたくない帽子やサングラスは欠かせなかったし髪も日焼けにより元々茶色がかった髪が一層赤くなるので手入れが必要だった。運動会の練習が始まると子供達も疲れ気味だ・・・。そりゃ~あの炎天下なら疲れないほうがおかしい。生徒が「先生!ここ来たら涼しいさー」と言うので行ってみると・・・そこはブーゲンビリアの花の木の下だった。いい香りがして、いい風がくるショッキングピンクの情熱的な花だ。暑い練習の中、時折ホッとする時間を持つのが上手な子供達だ。この木の下でみんなで歌ったこともある運動会は暑かったけどみんな勢一杯がんばった!島の子供達は学校の行事が大好きだ。都会の子供達のように物があまりない。だから、同じ年頃の友人がいる学校でのイベントはとても楽しくやりがいのあるものなんだと思う。私とミクロンの結婚式の時、当時の先生方と島の子供達がカセットテープにお祝いの言葉を一言ずつと、懐かしいブーゲンビリアの押し花を添えて送ってくれた。会場で流してくれた時、一人ひとりの顔が浮かび何かジーンときたのでした続く・・

沖縄回想録:おまけ

2006-12-09 10:22:46 | 沖縄回想録
島の小学校での初めての給食のメニューは、アーサー汁という浜辺によく打ち上げられてる緑色のノリの様な海草のおすましにクフヮジューシーという柔らかめの炊き込みご飯・ゴーヤーチャンプルー(苦瓜に島豆腐・シーチキン・溶き玉子を炒め塩コショウで味付けしたもの)おいしかった!それと・・・帰りの船から下りて「圭子先生!ぜんざい食べて行きましょう!」と声かけられた。えっ!こんな暑いのにぜんざいなんか食べたくないよと思いながらついて行って出てきたものは、かき氷だった・・・なんでこれがぜんざいなの?と食べてくと・・・底のほうから甘く煮たあずきが出てきたへェ~沖縄のぜんざいってかき氷の金時のことなんだと初めて知ったのでした。シンプルでおいしかったです

島の子供達

2006-12-09 00:47:41 | 沖縄回想録
息子と二人での沖縄再スタート!早起きも苦じゃなくなり、生活リズムも整ってきた。自然がくれるエネルギーというものはホントにスゴイ沖縄はもう5月位から海に入れる仕事帰りに息子と海岸に行き遊んだ事もあった!沖縄の海岸は白い砂浜なので海のキレイな色とのコントラストが素晴らしいこれまでの大変だった事等ふっ飛んだ息子も私としっかり手をつなぎとても楽しそうにして、いい笑顔が戻ったその時思いがけず大きな波をかぶりびしょぬれのまま帰宅したこともあったな~週末息子と車で海岸沿いをドライブしたり、植物園やパイナップル園に行ったりするのが楽しみで仕事も一生懸命にした。その頃、採用試験の時に知り合った友人の紹介で弦楽合奏での学校まわりの仕事をしたのをきっかけに、そこで中心的立場にいたヴァイオリンの先生が「ずっと演奏続けないとだめよ!」と・・沖縄交響楽団というオケの常任指揮者を紹介してくれて、団費免除で入団させてくれた。学校で音楽教員やってる人も沢山いて、友達の輪が広がり嬉しかった島の子供達と過ごしながら毎週平日に1回の練習に那覇まで通った。住まいの名護からは72キロほどかかった島の子供達との授業は人数少ないのでほのぼのとした授業が出来た。学校で教員として仕事して初めて知ったのが・・・子供達は常にメロディーラインが聞こえてないと歌えないということだった伴奏パートに自分達でメロディーをのせられないじゃあ教師用の本ははっきり言って役に立たないじゃんと思い、右手で常に歌のメロディーを弾き左はコードネーム使ってなんか適当な伴奏の形にしなければ・・・コードネームなんてクラシックじゃ必要ないし、馴染みがなかったのでとにかくいろんな歌に書かれてるコードネームを見てかたっぱしに弾いた慣れるととても便利なものとなった楽器もいろいろあるので、教科書の中からよりも、知ってて欲しい名曲を簡単に合奏出来るようにアレンジしやってみようと思った。最初に選んだのがモーツァルトの魔笛から魔法の鈴のテーマだった。5つのパートに分けた。四分音符・八分音符・四分休符を確実に身につけさせ、まずは一人ずつ指導した。人数少ないから出来た事・・・。自分のやるべき事がわかると、休み時間はすべて音楽室に練習に来る。子供達もとても気に入ってくれて好きになってくれたようで嬉しかった。各パートが仕上がり合わせた時は、もうみんな感動で、1階の職員室にいた先生方もこれまでこんな素敵な音を聞いたことないと言い覗きにいらした。子供達は得意気だったヤッタと思った。ヴィヴァルディの四季から春やアイネクもやった小さな島の学校の音楽室から素敵な音楽が聞こえるようになり、校長先生が何だか圭子先生が赴任されてから子供達がとても楽しそうに生き生きしてきましたよと言って下さり、そうなんだ~と嬉しかった。でも、今思えば指導要領の内容とか教材とか結講無視してやってたかもだって魅力もなにもない教材使っても面白くないし、音楽のホントの楽しさは伝えられないと思ったから新任のくせに生意気なヤツだと思われてたかもですが・・・そんなの眼中になかったです