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カズさんの旅たび

 ~歴史、文化、芸術、美食紀行。。

トルコ(その2)

2013-03-11 | トルコ
トルコの「クシャダス」は、エーゲ海の東側、アナトリア半島に位置しており、北西側の遠景に見えるチェシュメ半島から続く海岸線が大きく湾入したクシャダス湾の中ほどにある港町である。かつて高度な文明を築いた「古代都市エフェソス」の港として繁栄した貿易港で、現在はリゾート地として、国内外からの観光地として名高い。


その「クシャダス」の中心部は南西側に見える「ケセ山」(標高114メートル)の麓に広がり、すぐ先に大型クルーズ船(豪華客船)が停泊する「クシャダス港」がある。クシャダス港は、豪華客船の寄港地でもあり夏季には多くの観光客で市内は賑わうという。他にも「サモス島」までは、乗船時間1時間ほどで定期船が運行している。ちなみにサモス島とは、女神ヘラの生誕地とされ、クシャダス湾の南側から西に伸びるディレック半島の先にあり、海峡の幅は1キロメートルほどである。


ところで、このクシャダスには、今朝、午前8時半イスタンブール発(TK0314)で、「アドナン・メンデレス空港」(イスタンブール、首都アンカラに次ぐトルコ第三の都市イズミルから約18キロメートル南に位置。)に午前9時半に到着、その後、送迎車に乗り1時間ほどで到着した。

今夜の宿泊ホテルは、クシャダス港そばの「アタテュルク通り」(海岸線を走るメイン通り)内陸側に位置するホテル「リマーン ホテル(Liman hotel」(5階建て16室の小さなホテル)で、チェックインした後、アタテュルク通り沿いの海岸敷を北に向けて1キロメートルほど歩いてきたところ。


ビーチパラソルとチェアが並ぶこちらの浜辺は「クシャダスビーチ」と呼ばれ、100メートルほどの砂浜が広がる小規模なビーチである。実はクシャダスで最大のビーチは、アタテュルク通りを下り、ケセ山を回り込み2.5キロメートルほど南に行った「レディースビーチ」で、750メートルほどの長さの砂浜を持つとのこと。


規模はともかく、こちらのクシャダスビーチは、空いており、せっかくなので、ビーチパラソルとチェアを借り、エフェス(トルコを代表するビール)などを飲みながらしばらく過ごした。周りにはヤシの木が並び、青く輝く美しい海と白い砂浜が広がるビーチにリゾート気分が高まる。


その後、ビーチ後方のアタテュルク通り向かい側にあったレストラン「Dejazar Wine & Bar」で、昼食を頂く。


小エビのカクテルサラダやイエローカレーなどを注文した。美味しかったが、オーロラソース・ヨーグルトは少し口に合わなかった。。


そして今夜の夕食は、リマーン ホテルで頂くことにしたが、レストランは屋上だった。半屋上の一角に厨房が設置され、テーブル席が数組設置されている簡素なものだった。飾り気のない小さなビルの屋上といった感じで、手すり壁も低い。近づくと怖かったが、テーブル席に座ると、胸の高さで、開放感もあり意外と安心して景色が堪能できる。


「ケセ山」の斜面から麓には、リゾート・ホテルやマンションなどが建っており、グヴェルシナダ通り(アタテュルク通りはクシャダス港を過ぎると通り名が変わる)が、時計塔から大きく海に回り込み続いて行くのが見える。


その丘の麓から伸びる桟橋の先は「グヴェルシナダ」(ピジョン島)で、海賊バルバロスとして恐れられたオスマン帝国の海軍提督「バルバロス・ハイレッディン」(1475~1546)により建設された、高さ3メートルの城壁が島を完全に囲んでいる。時刻は午後8時20分を過ぎたところ。まもなく日の入りになる。。


最初に、トルコ料理でお馴染みの前菜(メゼ)を頂いた。野菜が中心で胃腸に優しく、ビールや白ワインにも良くあっている。日没後は、手作りのイルミネーションが雰囲気を盛り上げてくれる。


メインの魚はグリルしたもので、新鮮で、丁寧に焼いているためか美味しい。


肉のシシカバブーもしっかり味が染み込んでいる。家族経営ならでは丁寧な調理とアットホームな雰囲気が感じられ大変満足できた。


食後、リマーン ホテルの周りを散策してみた。北側から海岸沿いに続いてきたアタチュルク通りは、港の手前で右、左に屈折して「ケセ山」の麓を回り込んで南に向かう。その屈折する手前の内陸側に瓦礫が積み重なる2階建ての要塞スタイルの建物が40メートルほどの長さにわたり建っている。

中央にアーチ扉があり、「ホテル・キャラバンサライ」と表示がある。もともとは、17世紀初めにオスマン帝国オスマン2世(在位:1618~1622)時代の政治家及び軍事司令官オキュズ・メフメト・パシャによって建てられた商品保管庫と税関倉庫だったが、1968年から大規模な改修を経て現在の高級ホテルとなった。ちなみに、著名人では、ジミー・カーター米国大統領(任期;1977~1981)が「エフェソスの古代遺跡」を訪れた際に滞在したとのこと。


ホテル・キャラバンサライに向かって左側の路地は、歩行者専用の通りで、中央に植え込みがあり左側にはショップが並ぶバザールが続いている。


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翌朝、クシャダスからミニバスに乗り「エフェソスの古代遺跡」にやってきた。南ゲートから入場し、見学ルートを北に進むと正面に現れるのが2世紀頃に建てられた「ヴァリウスの浴場」で「ピオンの丘」の麓に広がっている。典型的な古代のローマ公衆浴場で、冷水浴(フリギダリウム)、温水浴(テピダリウム)、高温浴室(カルダリウム)、サウナ(ラコニクム)、マッサージ室、脱衣室などを完備した市民の社交場であった。


エフェソスは、古くは、ミュケナイ文化の陶器が出土するなどギリシャ世界との交流(前1500~前1400)があり、紀元前10世紀以降はアルテミス崇拝を基軸とした王権政治が敷かれた。紀元前356年に火災でアルテミス神殿は焼尽したが、後にヘレニズム都市として栄え、紀元前2世紀に共和政ローマの支配下に入り、古代ローマ帝国の東地中海交易の中心都市として栄えた。現在の遺構の多くはそのローマ時代に建てられたもの。

見学ルートはヴァリウスの浴場手前から左側に向きを変える。その正面には、(南北)約100メートル×(東西)約150メートルの「国営アゴラ」があったが、現在は瓦礫のみが積み重なっている。見学ルートは、その国営アゴラの外側を回り込む様に北側に向かう。国営アゴラと並行する様に北隣にはマーケットのバジリカの円柱が立ち並び、更にその先のピオンの丘の斜面には「オデオン(音楽堂)」と呼ばれる小劇場が望める。
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オデオンは、150年頃に建設された約1,500人が座れる(22の階段)小さな屋根付きの劇場で、当時、演劇、フルートやシンバルを用いての音楽会、詩の朗読会などが行われた。劇場の上部はコリント式の赤い花崗岩の柱で飾られており、入口はステージの両側にあった。

見学ルートはバジリカの間を通りオデオン(音楽堂)隣の市公会堂(プリタネイオン)を過ぎたところで、三差路になる。南側に行くと「ドミティアヌス神殿」があった。紀元1世紀にローマ帝国のドミティアヌス帝に捧げられた神殿で、2本の柱の間には、高さ7メートルのドミティアヌス帝像が立っていた。


北西方面にはエフェソスのメインストリート「クレテス通り」が続いていく。クレテス通りは、「ピオンの丘」と南側の「コレッソスの丘」とが重なる谷を掘り下げた切通しの道で、足元には大理石を敷き、左右は小端積みの板石で補強している。
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クレテス通り入口にあるヘラクレス門(柱のみ残る)を抜け、円柱の立ち並ぶ通りの先には「セルシウス図書館」が建っている。
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クレテス通りを200メートルほど進むと、右側に2世紀に建てられた「ハドリアヌス神殿」の遺構が残っている。手前には、円柱とアーチのみが残り、その奥に見える門の上部のティンパヌムには、手を広げた髪が蛇の女神メデューサの浮彫が施されている。
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ハドリアヌス神殿から数十メートル先に「セルシウス図書館」が建っている。セルシウス・ポレメアヌス執政官の霊廟(地下室に埋葬)として、彼の息子がローマ皇帝ハドリアヌス治世(在位:117~ 138)中に完成したもので、エフェソスの古代遺跡のほぼ中央に位置している。パピルスや羊皮紙に書かれた12万巻にも及ぶ蔵書が収められていたことから、アレクサンドリア(エジプト)、ペルガモン(トルコ)と並ぶ、古代の世界三大図書館とされている。


クレテス通りは「セルシウス図書館」の手前から北側に右折して「大理石通り」となる。道路幅に直線を描く様に、長方形の大理石が整然と敷き詰められているのに驚かされる。


図書館のファサードはその大理石通りに向いて建っている。通りからは階段を下り、広場(東西約11メートル×南北約17メートル)の先にある階段台座の上に、四対のコリント式の複合柱が二層にわたり積み上げられポルチコを形成している。


一層目には、ソフィア(知恵)、エピ​​ステーメー(知識)、エンノイア(知性)、アレテ(卓越性)と4体の美徳の女性の擬人化彫像が飾られている。これらの像は、図書館と霊廟双方の機能を併せ持ち構築されたと言われている。図書館自体は、262年の地震、その後、侵略及び火災などで破壊された。その後は何世紀にもわたり廃墟のままで、1970年から1978年の間に現在の姿に復元された。
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図書館を見上げてみると、柱頭や梁などには、アカンサスの葉、巻物、ファスケス(斧の周りに木の束を結びつけたモチーフ)などの繊細な浮彫彫刻が施されているのが分かる。更にポルチコ内の天井裏にも、それぞれ異なるモチーフの浮彫が格子型に並んでいる。
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セルシウス図書館の北隣には、矩形の敷地を持つ商業アゴラが広がっており、セルシウス図書館前の広場からアーチ門を抜けて入場できる。


その商業アゴラからセルシウス図書館の方向を振り返って見る。アゴラの建物を支えていた列柱の先に、セルシウス図書館の威容を誇る様に建っているのが見える。


商業アゴラ前を過ぎた東側の「ピオンの丘」斜面には「エフェソス大劇場」の遺構が残っている。
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エフェソス劇場は当時最大のもので、25,000人の観客が収容できた。劇場は古代世界で最大であるとされる。当初は演劇に使用されたが、ローマ時代後期には剣闘士の戦闘も舞台で行われた。剣闘士の墓地が発見されている。エフェソスの繁栄は港湾によるところが大きかったが、土砂の沈降により2世紀頃から港湾の規模は縮小されていった。これは、クレテス通りの左右にあるコレッソス山とピオンの丘から流れ込む土砂の堆積によるものであった。


劇場から西に続く直線通りは「アルカディア通り」で、左側のコレッソス山から続く稜線が途切れる平地あたりが古代の「エフェソス港」であったのだろう。現在は、約6キロメートル先が海岸線になる。
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お昼を過ぎたので、昼食を食べるべく、セルチュクの中心部、エフェソス博物館の北隣にある「Ali Baba & Mehmet Kebab House」にやってきた。テイクアウト風の店構えだが、店の前に幾つかテラス席がある。サービスするスタッフは少年と少女の二人だったが、親が厨房で調理をしているのだろう。食事中は店の前のテラス席に座ってしゃべっていた。


葡萄の葉で包んだ「サルマ」が大変良かった。前菜(メゼ)は、一つ一つの味付けが全て個性的で同じ内容でも店により味が大きく異なる。


食後は、レストランの東側にある幹線道路が交差するロータリー沿いにある、セルチュク・オトガル(バスターミナル)に向かった。このオトガルから、シリンジェ村に向かう。約20分間隔でバスが走っている。

位置は、セルチュクの町から東に約8キロメートル、バスは山道を通り15分ほどで「シリンジェ村」に到着する。村には600人が住みヘレニズム時代まで遡る古い歴史がある。古代エフェソスにとって重要な水源であり、現在もローマ水道の遺構が残っているそうだ。


今日では、村は農業(オリーブオイル、桃、ワイン)と観光を通して繁栄している。教会方面と書かれた案内板に従い、細い階段を上って行くと、山の斜面に並ぶシリンジェ村の家々が見える。同じような趣の建物が並ぶことから、景観規制などがあるのだろう。


階段を上り詰めると「マリアの泉」があり、周りにはカフェやショップがある広場になっている。すぐ南隣にあるアーチ扉をくぐると「セント・ジョン・ザ・バプティスト教会」で、泉の広場は教会の中庭の役割を担っている。


再び、セルチュクまでミニバスで戻りレストラン近くの「エフェソス博物館」で、アルテミス像を鑑賞した。エフェソスは、古代よりアルテミス女神崇拝の一大中心地で、「アルテミス神殿」(エフェソス古代遺跡とエフェソス博物館との間に位置)は、広さが縦115メートル×横55メートル×高さ18メートルで、イオニア式の柱127本を持つ総大理石の神殿とその壮麗さから世界の七不思議のひとつに挙げられるが、現在は原形をとどめていない。

その「アルテミス神殿」で祀られていた女神像は美しい姿で現存しており、展示室では、二体の大理石像が向かい合って展示されている。こちらは「美しきアルテミス(小アルテミス)」と名付けられた像で、身長174センチメートル、2世紀前半の制作とされている。作品は、胸部に卵形装飾の衣をまとっており、あたかも多数の乳房を持つようにも見える。頭部両側や足元には、獅子、馬、鹿など動物の浮彫が施されており、足首は魚の尾鰭らしきもので覆われている。そして左右の足元には、鹿(大きく損傷)を従えている。


そして、もう一体は「偉大なるアルテミス(大アルテミス)」で、292センチメートル、1世紀後半の制作とされている。多数の乳房を持つ姿は小アルテミスと似ているが、スフィンクスなどの浮彫が施された嵩高の三層型王冠や、やや細身の下半身など個性的な造りである。残念ながら足首から下は失われている。


午後3時頃に博物館を後にして、ミニバスに乗り、クシャダスのリマーン ホテルに戻った後、タクシーで4キロメートルほど北に位置する「ハマム」に向かった。ハマムは、トルコの伝統的な公衆浴場でクレンジングスパが体験できる。最初に、蒸気100%、温度50度に近い広い空間にある広い岩盤浴を思わせる室内に置かれた大理石の円柱の上に海水パンツにタオルを腰に巻いて寝そべり身体全体を温める。十分温まった所で、テッラックと呼ばれる垢すり師に身体を洗ってもらう(客と同性の垢すり師があたる)。この日は、大男のスタッフにゴシゴシ洗われヘロヘロになったが貴重な体験だった。。


リマーン ホテルには午後8時頃戻り、昨夜と同様にホテルの屋上で夕食を頂いた。クシャダス港には豪華客船が二隻停泊していた。エフェソス遺跡では、混雑した時間帯もあったが、全体的には大混雑した印象はなく気持ちよく過ごすことができた。

(2009.7.20)

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