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カズさんの旅たび

 ~歴史、文化、芸術、美食紀行。。

イタリア・ヴェネツィア(その1)

2013-04-30 | イタリア(ヴェネツィア)
ヴェネツィア本島にあるサンタ・ルチーア駅前の「フェッローヴィア・スカルツィ停留所」からヴァポレット(水上バス)1番(各停)に乗船し「カナル・グランデ(大運河)」をサン・マルコ方面へ向け出港したところ。

後部座席から振り返りながらカナル・グランデの通り過ぎる美しい風景を眺めていると、北側に繋がる支流「カンナレージョ運河」との合流点に、聖女サンタ・ルチアが祀られた白く美しいドーム「サン・ジェレミア教会」が建っている。そして運河沿いには、14世紀のボヘミア司祭で、ゴンドラの守護聖人ネポムクの聖ヨハネ像が運河の安全航行を見守る様に立っているのが見える。
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ヴェネツィア本島は「西側に頭を向けた魚のような形」をしており、市街の真ん中を二部する様に「カナル・グランデ(大運河)」が北西から南東方面へ「Z字」に湾曲しながら流れている(その距離約3キロメートル)。ヴェネツィア本島では、1171年に制定されたセスティエーレ(六区制)を今も継承しており、大運河の北側を北西からカンナレージョ区、リアルト橋からサン・マルコ大聖堂や元首官邸裏の運河までをサン・マルコ区、東の造船所や港が集まるカステッロ区とし、大運河の南側を、経済活動の中心であるリアルト橋一帯のサン・ポーロ区、その北西側をサンタ・クローチェ区、南側のジュデッカ島を含んだドルソドゥーロ区とに分けている。

ヴァポレットに乗船してからのカナル・グランデはやや北側に向かい緩やかに右にカーブしていたが、その後は東方面にまっすぐ続いている。左側の街並みは北側のカンナレージョ区側にあたる。


ところで、ヴェネツィアまでは、今朝、パリ・シャルルドゴール空港を午前10時25分に出発し、ヴェネツィア・テッセラ空港に午後12時5分に着いた後、ヴェネツィア・メストレ駅前にある、今夜の宿泊ホテル(ベスト ウエスタン ホテル トリトーネ)にチェックインして、列車に乗りヴェネツィア本島の入口となる「サンタ・ルチーア駅」(乗車時間15分弱)までやってきた。ちなみに、本島内での移動のための公共交通機関はヴァポレットやゴンドラなどの水上交通になることから、ヴァポレットの72時間券(33ユーロ)を購入した(ヴァポレット乗船券は、他に、1回券6.5ユーロ、24時間券18ユーロ、48時間券28ユーロがある)。時間は切符に刻印された日時からスタートする。

しばらくまっすぐだったカナル・グランデは今度は、突然大きく右側に屈折し、すぐ目の前に現れた「リアルト橋」の下をくぐって行く。カナル・グランデに架かる4つの橋の一つで「白い巨象」とも呼ばれている 。時刻は午後4時を過ぎ辺りは薄暗くなってきていたが、橋をくぐった側は、西日がスポットライトの様に当たり、巨象がほのかに赤味を帯びた瞬間であった。
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リアルト橋の先からカナル・グランデは、再びまっすぐになり今度は西に向かっている。リアルト橋を背景に緩やかに進むゴンドラなど旅情感あふれる風景が続く。到着したばかりで、これほど美しい光景に出会えるとは感激もひとしおである。
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しばらくまっすぐ続くカナル・グランデは再び大きく左(南側)にカーブしていく。カーブした外側(ドルソドゥーロ区)には、ヴェネツィア大学を擁する「カ・フォスカリ」と、その先隣りに「パラッツォ・ジュスティニアン」が並んで建っている。パラッツォ・ジュスティニアンは、ドイツの作曲家リヒャルト・ワーグナーや、復古ブルボン朝フランスの王女ルイーズ・ダルトワの邸宅でもあった。


そして更にその先隣りの豪華なバロック様式の建物は「カ・レッツォーニコ宮殿」で、現在は18世紀頃の作品をメインとした美術館として公開されている。


カナル・グランデは緩やかに左にカーブして東側に流れを変える。南側の狭い指状の土地の上に建つのが「サルーテ聖堂(サンタ・マリア・デッラ・サルーテ)」で、1629年夏からイタリア全土を覆ったペストの終息を願い、聖母マリアに捧げる教会として建てられた。


聖堂は、巨大な八角形の建物の上部に市を象徴する大きなドームを配置した王冠型の聖体容器を思わせる形状をしている。ファサードには、大きな扉口のアーチを中心に、左右に二本ずつ円柱が立ち、福音書記者(マルコ 、ルカ、マタイ、ヨハネ)の彫像が納められている。

その先隣りの岬の突端にあるのが「プンタ・デッラ・ドガーナ」(旧:税関岬)で、塩の倉庫があり税を徴するための税関施設であったが、現在はフランスのピノー財団フランソワ・ピノー氏が安藤忠雄氏の協力を得て改装した「プンタ・デッラ・ドガーナ現代美術館」になっている。


プンタ・デッラ・ドガーナを過ぎると南側が一気に開け「ジュデッカ運河」となる。南側には、ジュデッカ島や隣接するサンジョルジョ・マッジョーレ島が姿を現す。海に浮かぶように建つ教会は「サン・ジョルジョ・マッジョーレ聖堂」で、歴史は古く8世紀後半に建設が始まったが、13世紀の地震で倒壊し、その後再建された。現在の建物は1610年のもので、鐘楼は1791年に完成している。


ヴァポレットは、プンタ・デッラ・ドガーナの対岸(北側)のサン・マルコ広場前の「サン・マルコ・ジャルディネッティ停留所」に向かっている。正面からヴェネツィアのシンボルとされる巨大な「ヴェネツィアの鐘楼」が迫ってくる。
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しかし、これから「サン・ザッカリア教会」に向かうので、下船はせず、次の「サン・ザッカリア停留所」まで向かう。サン・マルコ広場からは、東に300メートルほど先になる。サン・マルコ広場の東側には、ヴェネツィア共和国の元首邸兼政庁「ドゥカーレ宮殿」の南外観全体が一望できる。一層目はゴシックアーチ、二層目は細い柱と四葉模様の円形装飾を持つアーチで、三層目はピンクと白の大理石による菱形文様が施された大きな壁面に大窓とバルコニーが取り付けられるなど、豪華で大変美しい建物である。中央の大窓は、1404年にダレ・マゼーニュ兄弟により制作されたもの。
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右隣の運河には「パリャ橋」が架かり、隣に「プラッツォ・デレ・プリジオーニ」(宮殿の監獄)の建物がある。ヴェネツィアの犯罪者を収容するため、16世紀の終わりに建てられた。運河の奥の上部には「ため息橋」が架かり、ドゥカーレ宮殿2階にあった取調室と監獄とは渡り廊下で直接繋がっている。名前の由来は、監獄に向かう囚人がため息をついたことから付けられたが、日没時にこの橋の下でゴンドラに乗って恋人同士がキスをすると永遠の愛が約束されるのだという。1979年のアメリカ映画「リトル・ロマンス」もそんなラストシーンだった。

さて次の「サン・ザッカリア停留所」で下車する。
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時刻は、午後4時半を過ぎたところだが、この時期は日の入りが早い。。水平線の薄明により、サンタ・マリア・デッラ・サルーテ聖堂や、南側のジュデッカ島の姿が鮮やかに見える。
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目的の「サン・ザッカリア教会」は、海岸沿いから北に通りを5分ほど進んだ西側にある。ベネディクト派の教会で、洗礼者ヨハネの父ザカリアに捧げられ16世紀初頭に建設された。後期ゴシックとルネサンス様式が調和した白亜の堂々とした造りの西側ファサードから教会内に入ると、北側廊の中ほどにある第2祭壇の中央に、ジョヴァンニ・ベッリーニ(1430頃~ 1516)の傑作「サン・ザッカリア祭壇画」(玉座の聖母と諸聖人)(1505)が飾られている。
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作品は、王座に座る聖母子を中心に、足元にヴァイオリンを弾く天使、左右対称に4人の聖人が優美で繊細なタッチで描かれている。聖母子に向かって左右にアレクサンドリアのカタリナ、シラクサのルチアが寄り添い、両端には、遠近感と奥行きが感じられる様に、左右それぞれ柱の前に、使徒ペトロ、聖ヒエロニムスを配している(拡大画像)。また左右に風景のある開口部を描くことにより明るさを効果的に演出している。教会内はかなり暗いが、賽銭箱にコインを入れると、祭壇画を照らす明かりがつくのが良かった。

サン・ザッカリア祭壇画と向かい合う様に南側廊の祭壇にはザカリアと伝わるお棺が収められ、その左隣(主祭壇側)には、ヴェローナとヴェネツィアで活躍したアントニオ・バレストラ(Antonio Balestra、1666~1740)の「羊飼いの礼拝」が飾られている。こちらも美しい作品だがライトは設置されていなかった。。
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主祭壇の右奥には、サンタラシオ礼拝堂があり、アプスにはフィレンツェのアンドレア・デル・カスターニョ(Andrea del Castagno、1421~1457)が、フランチェスコ・ダ・ファエンツァ(Francesco da Faenza)と共同で描いた「キリストと諸聖人」(1442~1444)のフレスコ画がある。父なる神、4人の伝道者、聖人が描かれている。中央の黄金祭壇は、アントニオ・ヴィヴァリーニ(Antonio Vivarini、1440~1480)と義理の兄弟であるジョヴァンニ・ダレマーニャ(Giovanni d'Alemagna、1411~1450)による共作で15世紀に制作されたもの。
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そしてサン・ザッカリア教会でのもう一つの見所は、ルネサンス期のヴェネツィア派を代表する画家ティントレット(1518~1594)の「洗礼者ヨハネの誕生」(1563)である。
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今夜の夕食は、歩いて4分ほどの距離なのだが、少し時間が早いので、一旦、逆方向のサン・マルコ広場まで散策してみる。


午後6時を過ぎたので、夕食場所の「ホテル・メトロポール」にやってきた。辺りは外灯が少なく薄暗い雰囲気で人通りも少ない。今日はクリスマスで、多くの人は既に帰宅していることもあるのだろう。ホテルの前には、満潮後の高潮(アックア・アルタ)で街が浸水した際でも、濡れないようにギャングウェイ・システム(鉄の支柱と木製の厚板で作られた陸橋歩道のネットワーク)が設置されている。


ところで、ヴェネツィアでは、高潮が80センチメートルを超えると、サン・マルコ広場付近は浸水し始めるとされていることから、近隣のこの辺りも同じであろう。実は、過去2年連続でクリスマス前後は、80センチメートル超えの最高水位の冠水を記録しており、更に昨年12月に80センチメートルを超えなかったのは11日間しかなかったことからも、今回は、ずぶ濡れも覚悟でいたが、結果は浸水はなく大変ラッキーであった。。 

目的のレストランは、ホテル・メトロポール内にある「メインダイニングMET」(一つ星)である。しかし、ディナータイムには1時間も早かったことから、待ってくれと言われ、しばらく、レストランとホテルのロビーの間にあるソファーで待つことにした。この時間、他に人もいなく、ソファーの座り心地も良く、暖かいこともあり少し眠ってしまった。
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午後7時を過ぎてしばらく経ったころ、スタッフから声をかけられ入店した。今夜はクリスマス・メニュー(デグスタズィオーネ・メニュー)(ワイン付き150ユーロ)があり、そちらをお願いした。最初に、アミューズとパンが提供される。一品目は、フォアグラのテリーヌに甘えびを乗せ、青りんごとバジルソースを添えたもの。


最初のワインは、アルザス・ワイン(白ワイン)の「マルセル ダイス」 。品種のゲヴュルツトラミネールは、エキゾチックなフルーツのアロマで、花やスパイスの香りがある。
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二品目は、シチリア海老と鴨の詰め物を入れたトルテリーニと、パッサテッリ、マッシュルームにミントフレーバーを添えたもの。


次のワインは、スロベニア国境沿いのイタリア・オスラヴィア産の高級白ワイン「グラヴネル(Gravner)」。
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メイン料理は、リコリス・ハーブとマグロの上にリコッタチーズを挟んだカノーロと梨のスライスを乗せ、更に、モンターズィオ(セミハードタイプのチーズ)とピスタチオ・アイスクリームを添えたもの。。


赤ワインは、こちらもかなり高級なフランス・ブルゴーニュ産で「ヴォルネイ・サントノ」(1978年)ルモワスネ・ペール・エ・フィス 。飲み頃になった古酒を蔵出し状態で提供することで知られるルモワスネのワインで、甘草や燻香の野性的な香りが特徴のワインである。
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次のメイン料理は、大豆を乗せたホロホロチョウの胸肉とカモミールパウダー・マリネに、レモン風味のアルモニア・ソースをかけ、チコリとタジャスカ種オリーブを添えたもの。


栗のグラタン風クリームに、ヘーゼルナッツアイスクリームと白いアルバ・トリュフを添えたもの。


デザートを頂いた。


最後にミニャルディーズで終了した。ワインは、結構グレードも高く、ワインと料理とのマリアージュを楽しむ点では大変良かった。ちなみに料理だけの注文も可能だった(110ユーロ)が、ワインを頼まないならお勧めしない。料理もスムーズに出てきたが、終わってみると、時刻は既に午後10時になっていた。


店内は暗く、写真がうまく撮れなかったのは残念である(ワインはもう一種あったかも知れない。。)。。その後、ヴァポレットに乗りホテルに戻った。

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翌朝、ホテルで朝食を食べて、再び、列車でヴェネツィア本島にやってきた。今日は、これからヴァポレット61番に乗り「ムラーノ島」に向かう。「カナル・グランデ」からは、白く美しいドーム「サン・ジェレミア教会」先の「カンナレージョ運河」を左折し、すぐ先に架かるグーリエ橋を通過する。


カンナレージョ運河は北西方面に進むため、この時間、ヴァポレットの後部座席から後ろ向きに運河を撮影すると逆光になる。。


カンナレージョ区を抜けヴェネチア本島から北東部に向かう。遠ざかるヴェネチア本島の街並みの中に見える塔は「マドンナ・デッロルト教会」である。教会にはティントレットの作品が数多く展示されており、本人もこの教会に埋葬されている。
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乗船から30分弱で「ムラーノ島」にやってきた。ムラーノ島は、ヴェネチア本島の北東に位置し、 ヴェネタ潟ではヴェネチア、サンテラズモに並び3番目に大きな島である。大小の運河で七つの島に分かれ、橋により繋がっている。ムラーノ島は、ヴェネツィアン・グラスの生産で世界中に知られているが、もともと1291年より国の政策でヴェネツィアのガラス工房がこの島に集められたことがきっかけで18世紀に至るまで西洋を代表する一大ガラス生産地となった。

ムラーノ島の最南端の「ムラーノ・コロンナ停留所」で下船して南北に延びる「リオ・デイ・ヴェトライ運河」を北に向け歩いて行く。


500メートルほどで「サン・ステファノ広場」にある時計塔が見える場所までやってきた。時計塔の足元にある青い彗星のオブジェはムラーノ・グラスで造られている。こちらの広場周辺がムラーノ島の中心地になる。
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この運河沿いの通路の際に「サン・ピエトロ・マルティーレ教会」があり、左への路地の右側に入口がある。教会は1348年にドミニコ会修道院とともに建てられ、1511年に再建され現在に至っている。扉口を入った右側廊にある礼拝堂のすぐ先の壁面には、ジョヴァンニ・ベッリーニ(1430頃~1516)の手による「バルバリーゴ祭壇画」(玉座の聖母子と聖人)(1488)が飾られている。


バルバリーゴ祭壇画(画像出典:ウィキメディア・コモンズ(Wikimedia Commons) )は、幼子を抱え王座に座る聖母マリアの下にヴェネチア共和国元首アゴスティーノ・バルバリーゴ(在任:1486~1501)が跪いて、ヴァイオリンを弾く天使と左右に聖マルコと聖アウグスティヌスが見守っている。背景には白いアルプスの山並みが続いている。

アゴスティーノ・バルバリーゴが元首の時代は、15年以上続いたメフメト2世(1432~1481)率いるオスマン帝国との戦争も1479年に集結(ジョヴァンニ・ベッリーニの兄で画家のジェンティーレ・ベッリーニ(1429~1507)は、メフメト2世の肖像画を描くために派遣されている。 )し、バヤズィト2世(在位:1481~1512)治世では友好関係が続いていたが、1499年に再び戦争状態になりヴェネツィア領のレパントを失った。翌年、イスラム勢力の進出を重く見たヨーロッパではヴェネツィア、ハンガリー、スペイン、フランス、教皇庁による軍事同盟が結成されるなど、再び危機感が高まった頃である。

「リオ・デイ・ヴェトライ運河」は、すぐ先で東西に延びる大きな「ムラーノ運河」に合流する。対岸とは、緑色の鉄橋「ロンゴ橋」で繋がっている。そのロンゴ橋を渡り、ムラーノ運河沿いを東側に進んで振り返ると「サン・ピエトロ・マルティーレ教会」の鐘楼(1498~1502年築)と手前のサン・ステファノ広場の時計塔が望める。
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そのままムラーノ運河沿いを東に歩き、すぐ先のムラーノ運河から北に分かれる運河に沿って進むと、左側に「ムラーノ・ガラス美術館」があり、更に少し先の左側の広場には、手前に大きな鐘楼を持つロマネスク様式の「サンティ・マリア・エ・ドナート教会」が現れる。鐘楼は、長方体にアーチの意匠が三層に渡り続き、三層目に時計が設置されている(壊れている)。最上部には、三連アーチ窓の鐘室がある。


教会は7世紀半ばに設立されたと伝わるが、現在の建物は1140年頃に再建されたもの。後陣は運河沿いの東側を向いており、ファサードは鐘楼とバジリカの間を進んだ西側にある。後陣は、一層目が列柱が続くポルチコと、二層目が円形アーチと欄干のあるロッジアから構成されている。
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円柱や欄干を始め白い個所は大理石から造られている。特に、煉瓦を三角形に切り込み連続して飾られた文様や、煉瓦の赤と大理石の白とのコントラストが美しい。
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アプスには、金色を背景に、聖母マリアが全身を濃い青のマフォリオンで覆い、両手を胸の前で開けて立っている。これは祈りのしるしを表している。12世紀前半のムラーノモザイクで制作されている。
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次に、一旦「サン・ステファノ広場」に戻り、ムラーノ島東海岸沿いにある「ムラーノ・ファーロ停留所」からヴァポレット12番に乗船(約30分毎に運行。乗船時間は約30分)して「ブラーノ島」にやってきた。四つの小島で構成され、それぞれの島は橋で行き来できるようになっている。住宅街は各棟ごとに鮮やかな色で塗り分けられている。もともと、漁師が霧深い冬でも自宅に戻れるように自分の家を目立つ色で塗ったことが始まりとされる。現在では、外壁の色の変更は規制があり、隣と同じ色になってはいけないとのこと。


ブラーノ島の中心部には、たくさんのショップが集まっている。多くのお店では、この時期ならではのクリスマス商品や、カーテン、日傘、洋服、ハンカチなどレース木地でつくった商品などが売られていた。ブラーノ島では、15~16世紀からレース編みの産業が盛んで現在もレース商品が特産品となっている。レストランやカフェも多く、時刻は午後1時前になったこともありお腹が減ったが、この後の行程もあり諦めることにした。


次に「ブラーノ島」から「トルチェッロ島」へはヴァポレット9番(乗船時間5分、約30分毎に運行。)で向かった。トルチェッロ島は、南西にブラーノ運河、北と東はローザ湿原とチェントレーガ湿原に接している。停留所は、ブラーノ運河の西岸にあり、そこから島の東西に流れる細い運河沿いの歩道を東に向けて歩いて行く。左右には緑が広がる長閑な風景が続いており、小川沿いの田舎を歩いている雰囲気になる。


何とも寂れた印象の島だが、もともと、トルチェッロ島は、ヴェネツィア発祥の地と言われ、5世紀から6世紀にかけて数万の人々が住んでおり、11世紀に最盛期を迎えたという。その後、マラリアなどが発生したことから、ほとんどの建物を取り壊し建設資材として、本島に移って行った。現在はわずか10ほどの世帯が居住しているだけと言う。

途中に2~3軒のレストランがあり、その先に「悪魔の橋」と呼ばれる橋が運河に架かっている。手すりもなく、煉瓦と石を組み合わせた独特の形状をした階段状の橋である。


更に進むと、運河は直角に左に曲がるが、橋を渡ってそのまままっすぐ道が続いている。通路沿いには、ベンチなども置かれ公園を思わせる様な砂利道を更に進むと、広場になり、正面に2階建ての建物が建っている。前にはマリア像?が建つ円柱のオブジェがあり、左側の煉瓦造りの壁面には、紋章石板や聖人のレリーフなどが飾られ、周りに円柱、柱頭彫刻などが無造作に置かれている。この一帯は「トルチェッロ州立博物館」の屋外展示エリアになるとのこと。


左側にはこちらもトルチェロ州立博物館の施設で、14世紀の古い評議会の建物である。建物は、長方形の2階建てで南側に2階への外部階段と小さな塔がある。上部の鐘は当時のもの。広場を見下ろす西側には、ゴシック様式の2連の三葉アーチの窓がある。


対する様に右側にはビザンティン様式で建てられた「サンタフォスカ教会」が建っている。9世紀頃建てられ、現在の建物は11世紀頃に改築されたもので、正面は、エレガントな柱頭彫刻が施された5本の円柱がポルティコを形成している。ギリシア十字型の教会堂で、中央に大きなスクィンチ式の円形ドームが占めている。ドームは木で覆われ、壁面は煉瓦がむき出しのままで装飾はない。主祭壇には細長いアーチ窓の下に磔刑像が祀られている。もともと、殉教者記念堂で、ラヴェンナの聖女フォスカの聖遺物が祀られている。
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サンタフォスカ教会に向かって右側(広場の手前)には、木とトタンで造られたスナック菓子を売る小さなお店があったので、昼抜きでお腹が減ったこともあり買って食べた。。

そして、広場の右奥には「サンタ・マリア・アッスンタ大聖堂」が建っている。7世紀の創建で、9世紀から12世紀頃にかけて増改築が繰り返された。主祭壇の金色のアプスの中央には12から13世紀制作の幼子を抱き濃い青のマフォリオン姿で立つ聖母のモザイクがある。ムラーノ島の「サンティ・マリア・エ・ドナート教会」の聖母マリア像と良く似ているが、こちらは、両足の足の輪郭が分かる衣襞で表現されている。他にも「最後の審判」のモザイクがある。

※入場料は5ユーロ。教会内は撮影不可。聖母マリアと最後の審判のモザイクのリンク先画像は、共に、画像出典:ウィキメディア・コモンズ(Wikimedia Commons)。

トルチェッロ島からヴァポレット9番に乗船し、ムラーノ島からヴァポレット12番に乗り換えヴェネツィア本島のカンナレージョ区の北東沿い「フォンダメンタ・ヌォーヴェ停留所」に到着した(ムラーノ島からは乗船時間30分)。下船したすぐ路地裏にはバール・ジェラテリア・ピッツェリアと、向かい側(東側)に「イエズス会教会」のファサードがある(こちらは上部を見上げたところ)。これから、カンナレージョ区を歩いて「カナル・グランデ」に架かる「リアルト橋」方面に向かう。

イエズス会教会前の通りを南に少し行った先の橋の上から西側、ゴッツィ運河を眺めてみる。小型ボートが何艇も停泊しているが、住宅に住む個人の持ち物なのだろうか。辺りはひっそりとした雰囲気である。


次に反対側(東側)を眺めると、14世紀から15世紀の後期ゴシックからルネッサンスへの移行期に建てられた「パラッツォ・セリマン・コンタリーニ」が運河沿いに建っている。頂部に三つ葉を飾った尖塔アーチや角のねじれ柱の外観が特徴で、もともとは、コンタリーニ家の所有だったが、その後ゴッツィ家を経て、18世紀にはセリマン家所有の邸宅となった。


ちなみにセリマン家は、1725年にオスマン帝国からの迫害を逃れてきた裕福なペルシャ人で、オスマン帝国と戦争状態にあったヴェネツィア共和国に対して72000ドゥカート(1ドゥカートは現在の価値で10~20万円ほど)もの大金を支援しヴェネツィア貴族になったと記録されている。

通りを更に南に歩いて行くと、レストランやホテルなどが建ち並び人通りが徐々に多くなってきた。「リアルト橋」が近づくとショップも立ち並び、多くの買い物客や観光客で混雑し始め、こちらの「サン・ジョバンニ・クリソストモ教会」前の通りは隙間がないほど大混雑していた。


「リアルト橋」に到着した。橋は歩行者専用で、中央は左右にアーケードがある商店街になっている。橋の両側からは、運河を眺めながら歩くことができる。花瓶型の手摺が付いた欄干が特徴。橋の頂部からは商店街の通りや橋の両側通路へ横断できる。


リアルト橋の右側の階段を上って行くと、西側のサン・ポーロ区側にカメルレンギ宮殿が望める。カナル・グランデの海岸線に沿った五角形の間取りの3階建てで、15世紀後半に建造、16世紀初頭に現在の姿に拡張された。金融治安判事邸で当時の判事の名前に因んで付けられた。一時期、1階は未返済者の刑務所として使用された。現在は、イタリアの会計監査院と監査院長の地域本部がある。


ところで、「ゴンドラ」は何世紀にもわたり、ヴェネツィアでの重要な交通手段であったが、現在も、運河間の渡し船として活躍している。ゴンドラは、長さ11.5メートル、幅1.4メートルでゴンドリエーレが立つ左舷はバランスが取れるように右舷より25センチほど長くなっている。縦に湾曲して水面との接触を最小にとどめた構造をしていることから、一つのオールだけで多くの推進力を得ることができる。船体が黒色なのは、ヴェネツィア共和国時代に費用削減法が実施され義務付けられたのが理由で、今も慣習として続いている。


リアルト橋の頂部から反対側に横断して西側を眺めると、美しい夕焼けが望める。
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紅く染まるウロコ雲を背景にゴンドリエーレが歌うカンツォーネとともにゴンドラが進むカナル・グランデの景色は、何とも旅情をかき立てられる。
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夕食は、「リアルト橋」を渡りそのまま250メートルほど直進し、左折したすぐ先の「カンティーナ ド・スパーデ(Cantina Do Spade )」で頂いた。ヴェネツィア居酒屋(バーカロ)の雰囲気がありつつ、親切な温かみがあるサービスで知られるレストラン(オステリア)とのこと。最初に、口当たりの良い白ワイン「ピノグリージョ」とタコのマリネサラダを注文する。


次に、お店のお勧め、ヴェネツィア名物のつまみを注文する。オイル、トマト、生クリームと3種類に味付けされたバッカラ・マンテカート( 干しダラを水で戻してから煮てペースト状にしたもの)がポレンタ(トウモロコシの粉を湯や出し汁で練り上げたもの)を囲んでいる。こちらをつまみながらピノグリージョを飲むのがヴェネツィア風とのこと。


「アンコウのタリアテッレ」は手打ちの麺で、しっかりとしたアルデンテ。ソースとの相性も良く上品な味わいだが、結構ボリュームがある。美味しかったが、海老、蟹、貝なども注文すれば印象が更に良かったかも(58.5ユーロ )。。


その後、午後8時45分発のヴァポレット1番に乗り込みフェッローヴィア・スカルツィ停留所まで戻り、サンタ・ルチーア駅から列車に乗り無事ホテルへ戻った。

(2011.12.25~26)

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