サイレンセスターから、A429を北東に23キロメートルほど走行し、右折してハイストリートを800メートル進むと、ボートン・オン・ザ・ウォーター(Bourton-on-the-Water)に到着する。ハイストリートとウインドラッシュ川(River Windrush)とが接近するこの辺りから町の中心になる。清流が穏やかに流れる川には柵や堤防もなく容易に川面に触れることができ気持ちが良い。
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緑に覆われた建物は、1748年に建てられた歴史的なオールド・マンズ・ホテル(Old Manse Hotel)で、その左隣にローズ・ツリー・レストラン(Rose Tree Restaurant)が建っている。手前のテラスではのんびりくつろぐ人々の姿が見える。それではハイストリート側の川沿いを下流(南)に向けて歩いてみよう。
ウインドラッシュ川はテムズ川の支流の一つで、20キロメートル上流に位置するスノーヒル(Snowshill)(コッツウォルズ丘陵)の南に源を発し、下流にある毛織物の一大産地として栄えたウィットニー(Witney)を過ぎオックスフォード(Oxford)近郊でテムズ川に注ぎ込む56キロメートルの川である。Windrushとは「突進して様々なコースに曲がる」を意味するが、この辺りの穏やかな流れは突進のイメージとは程遠い。
川には数十メートル間隔で5つの石橋が架けられているが、この山なりの石橋が一番風景にマッチしている印象だ。穏やかな川に架かるこれらの石橋と町並みからボートン・オン・ザ・ウォーターは「コッツウォルズのヴェネツィア」と呼ばれている。
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護岸はストーンが小端積みされており景観的にも誠に趣を感じるが、水面までの距離が近いため、増水するとすぐ氾濫するのではないかとやや心配になる。背後に建つ屋敷風の建物はヴィクトリア・ホール(The Victoria Hall)と言い、ヴィクトリア女王在位60周年を記念して1897年に建てられた。
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次に、石橋を渡って対岸のヴィクトリア・ホール側から川沿いを下流に向け歩いてみる。ハイストリートと川の間は、芝生の公園となっており、シートに座ってくつろぐ人たちや、川遊びをする子供たちが見える。ハイストリート沿いに見えるショップやショッピング・モールの建物はコッツウォルズ・ストーン(ハニーストーン)で統一されており、こちらからの眺めも美しい。
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すぐに次の石橋が見えてきた。日中は多くの観光客で溢れかえるとのことだが、この時間(17時半)の人通りは少なく心地よいせせらぎの音も聞こえ、散策していると気持ちが癒される。しかし一番のお勧め散策タイムは、早朝(特に霧深い朝)らしいが確かにそう思う。
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この辺りまでが、ボートン・オン・ザ・ウォーターの中心部にあたる。石橋を渡りすぐ右側のリヴァーサイド・カフェでジェラードを買って再びハイストリート側の川沿いを歩いて出発した。
次にスローター(TheSlaughter)に向かった。このスローターにはアッパーとロワーの2つの村があるが、最初にロワースローター(Lower Slaughter)から見学する。小川(スローターとは小川を表す)のせせらぎと鳥の鳴き声しか聞こえない村と言われコッツウォルズ地方を代表する小さな村と言われている。ボートン・オン・ザ・ウォーターからは、直線距離で北に2キロメートルほどと近い。川に架かる橋の先がロワースローターの中心になる。
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なお、橋の手前を右折したすぐ右側の木立の中には、13世紀に建てられ1866年に改築されたセント・メアリー教会(St. Mary the Virgin) がある。教会前の通りは道路幅が広いためか多くの車が縦列駐車している。
さて、橋から眺めると川沿いに古い町並みが続いている。中央を流れる長閑な小川はアイ川と言い、7.6キロメートルの短い川で、アッパースローター(Upper Slaughter)とロワースローターとの間を流れボートン・オン・ザ・ウォーターの3キロメートル下流でウインドラッシュ川に注ぎ込んでいる。このアイ川左岸の通りはベッキー・ヒル(Becky Hill)と言い、1.5キロメートルほどでアッパースローターに到着する。それでは右岸の歩行者専用通りを上流に向けて歩いてみる。
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左端の三角屋根に時計の付いた趣のある建物はヴィレッジ・ホール(village hall)と言いイベントや絵画展などが開かれる。
村の大部分の建物は、縦仕切りの格子窓(mullioned windows)が特徴で16~17世紀にコッツウォルズ・ストーンを用いて建てられた。何人かの観光客に出会ったが、人通りがなくなると、川の流れる音だけが聞こえ、時が止まったかのような静寂な雰囲気に包まれる。
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橋から150メートルほど川沿いを進むと赤煉瓦の煙突が見えてくる。こちらは19世紀に建設されたミル(水車小屋)で、蒸気機関を動力としていたことから、巨大な煙突が添えられている。実際40~50年前まで粉ひき小屋として使われていたが、現在はオールド・ミル・ミュージアム(兼土産屋)になっている。
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煙突手前から右側に回り込んだ所がオールド・ミル・ミュージアムの正面入口になるが、本日の営業は終了のようだ。
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オールド・ミル・ミュージアムの正面に向かって右側には、ダイアナ妃とチャールズ皇太子が歩いたフットパスがある。入口には成婚日が記載された小さなパネルが掲げられている。
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この嫋やかな牧草地が広がるフットパスを30分ほど歩けば、アッパースローター至る。ゆっくり散策したいのだが、日の入りも近いので少し歩いてユーターンする。
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やはりここでも羊さんに注目される。
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アイ川左岸のベッキー・ヒルを1キロメートルほど進むと、右側に牧草地が広がり、奥にアッパースローター・マナー(Upper Slaughter Manor)が見えてくる。マナー(屋敷)の後方には、アイ川が右側の木々に沿って流れており、フットパスは屋敷の裏手に見えるペーンズヒルの丘まで続いている。
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外壁を含めた屋敷と牧草地の境界は全てコッツウォルズ・ストーンで統一されている。外壁と境界石のコッツウォルズ・ストーンは、小端積みにして頂上部を立て積みにしているが、これがコッツウォルズ地方の石積み工法の特色である。綺麗に刈りこまれた広大な牧草地に建つ夕日に照らされた屋敷はこの上なく美しい風景だ。
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通りのすぐ先の三叉路を右折するとアッパースローターの中心になり、小さなロータリー(バックショット広場)がある。北側と北西側に道が続いており、北西方向の路地を進むと門がありその先は上り坂になっている。路地は100メートルほどで聖ペーター教会(St Peter's Church)の時計塔のある南身廊側の入口に到着する。門から教会まで続く路地は芝生(所々に傾いた墓石が建つ)から1メートルほど低く掘り下げられ、両側にはコッツウォルズ・ストーンが小端積みされている。この教会が建つ辺りがアッパースローターの一番高い場所になるようだ。扉は閉まっていたので、身廊に沿って東側に回り込む。
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北身廊側は崖になっており石壁が設置されている。石壁から身を乗り出し覗き込むと、窓の形が印象的なオールド・スクール・ハウス(The Old School House)が建ち、そのすぐ左下(北側)には、アイ川が右側に回り込み流れている。
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石壁の右端は、直角に左側に曲がっており、その石壁に沿って細い抜け道となっている。その先でバックショット広場から北方向に伸びる通りに合流する。正面に立つ赤い電話ボックスを見ながら左折すると下りになりすぐにアイ川のせせらぎが現れる。こちらは、そのアイ川から、オールド・スクール・ハウス(坂上右側の最初の建物)側を眺めた様子で、右端の建物が聖ペーター教会。
アッパースローターでは、観光客にも出会わず、確かに鳥の鳴き声しか聞こえなかった。
次に、車一台がやっと通れるような道を北に1.5キロメートル進み、東西に伸びるB4068を左折し1キロメートルでノーントン(Naunton)と書かれた小さな標識に沿って右折する。通りの南側には、ウインドラッシュ川が流れており、ボートン・オン・ザ・ウォーターから8キロメートルほど上流(北西)に位置している。しばらくすると集落が現れたがノーントンは人口352人(2011年)の小さな村のため数百メートルほどの間だけだ。集落を西に進むと、小さな看板があり、右がvillage hall、左がHistoric Dovecoteと書かれている。
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左の路地を進むと、歴史を感じる古びた小屋が建っている。Dovecoteとはハト小屋の意味で、屋根の上にハトの出入り口らしき造りが見える。小屋の内側には903の巣箱が並べられているが、見学が可能な際は自己責任が条件とのこと。残念ながら(良かったのか。。)小屋は鍵が掛けられており内部を覘くことはできなかった。
入口手前の境界の立て積みのコッツウォルズ・ストーンは不揃いでかなり大ぶりな印象を受ける。
集落のある通りは、やがて狭い下り坂になり左側にバプテスト教会が現れるが、閉まっていたので諦め再び来た道を戻って行く。集落の中心にあったパブ(The Black Horse Inn)は、ノーントン村唯一のガストロ・パブなのだろう。
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集落を通り過ぎると、周りに建物はなくなり牧草地や丘が広がる。東西に伸びるB4068を今度は東方向に進む。
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ノーントンからB4068を7キロメートルほど進んだ所にストウ・オン・ザ・ウォルド(stow on the wold)がある。まもなく午後7時半になるので、今日はここで終わりになりそうだ。
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ストウ・オン・ザ・ウォルドは、コッツウォルズ丘陵で最も標高が高い場所であることから「丘の上の町」と呼ばれている。町の中心部がこのマーケットスクエアになる。西側には、セント・エドワード教会が建っており、北側にはストウ・オン・ザ・ウォールド図書館(聖エドワード・ホール)が聳えている。
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マーケットスクエアの中央にはマーケット・クロス(十字架)が立っており、中世時代は羊毛取引の公正さを示す象徴だった。11世紀から12世紀頃は多くの羊の取引が盛んでコッツウォルズ地方で最も栄えた町の一つだったという。
十字架の台座下には、English Civil Warと書かれた20センチメートル角の小さなプレートが設置されている。これは17世紀の半ば、清教徒革命においてイングランドで行われた、国王派と議会派の軍事衝突である。1646年3月21日、マーケットスクエアから1.6キロメートル北のドニントン丘で、両派間で戦闘が繰り広げられた。当初、国王派が優勢だったが、議会派の攻勢により、国王派はマーケットスクエアまで追い詰められ降伏した。捕虜となった国王派の人々は、臨時の捕虜収容所(セント・エドワード教会)に収容された。
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両派の戦いは各地で繰り広げられ、この間の戦いを第一次イングランド内戦(1642年~1646年)と呼んでいる。最終的に議会派が勝利して内戦は終わるが、その後チャールズ1世の処遇を廻り議会派内の対立などが起こり第二次イングランド内戦(1648年~1649年)、第三次イングランド内戦(1649年~1651年)と国内の混乱は続く。チャールズ1世の処刑後、イングランド共和国(1649年~1660年)が樹立されオリバー・クロムウェルが護国卿となるが、護国卿政は5年で破綻し、王政に復したことから、清教徒革命は失敗に終わった。
マーケットスクエアから東南に下るディグベス・ストリート(Digbeth St)沿いには、洋服屋、キッチン・ショップ、おもちゃ屋さんなどが並んでいるが本日の営業は終了している。他にも広場周辺にはガラス製品や家具などのアンティーク・ショップが集まっており多くの観光客が訪れるという。
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ディグベス・ストリートを下り、東西に伸びるシープ・ストリート(Sheep st)と合流する左側には、ロイヤリスト・ホテル(The Porch House)がある。947年創業でイングランドでは最も古いホテルと言われている。ロイヤリストとは、国王派を表すことからイングランド内戦の記憶を受け継ぐ象徴的な建物となった。屋根にも窓があるため屋根裏にも客室があるようだ。ちなみに部屋数は14とのこと。
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こちらは、シープ・ストリート沿いにあるグループヴァイン・ホテルのバー。建物を飾る花が美しく目を引く。こちらの屋根にも窓が取り付けられていることから、やはり屋根裏にも室室があるようだ。
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駆け足でコッツウォルズの町・村を巡って来たが、時刻は午後8時となった。ストウ・オン・ザ・ウォルドも、日中は多くの観光客で溢れかえるとのことだが、流石に、この時間では人通りがほとんどなかった。
夕食はサイレンセスター郊外にあるバーンズリー・ハウス(Barnsley House)のレストランを午後8時半に予約している。ここからサイレンセスター(30キロメートル)までは、直線道路のA429で向かうが、渋滞などなければ予定通り到着するだろう。ちなみにA429はローマン・ロードとも呼ばれるが、これは古代ローマ時代に軍用道路だったためである。
サイレンセスター近郊からA429を左折し、バイブリー(Bibury)村を通る頃に午後8時半になった。
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通りの右側にパブ(The Village Pub)が現れた。ここは、バーンズリー・ハウスの系列店なので、まもなく到着するはずだ。するとすぐ左側にバーンズリー・ハウス&スパと書かれたゲートが現れた。約5分遅刻したが、ほぼ予定通り到着した。
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レストランのある屋敷は広い庭園の中に建っている。バーンズリー・ハウスの見所は何と言ってもガーデンだろう。イングランドで最も美しい庭の一つと言われ、1950年代にローズマリー・ヴァレリー(Rosemary Verey)が、長い年月をかけて完成させた。庭園は、ラバーナム(黄色いチョウに似た花を房状に付ける)、観賞用フルーツ、菜園等で構成され現代彫刻家サイモン・ヴェリティー(Simon Verity)の手による像が建つ装飾庭園(Knot garden)となっている。日々、庭師リチャード・ゲートンビー(Richard Gatenby)と彼のチームによって手入れが続けられていると言う。しかし、お腹も減っていることから急ぎレストランに向かった。
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ディナーメニューはアラカルトだけである。飲み物は、カラフェ・ワインがあったので、レストリーユ(lestrille)(19.25ポンド)とビラ・オー(Bila Haut)(18.50ポンド)(共にフランス産)を注文した。
前菜は、バーンズリー・ハウス自家製のテーブルビートのピクルス。テーブルビートとは赤カブに似ているが大きく異なる。肥大した根で糖分が高くかなり甘いのが特徴。ヤギの凝乳を挟んでリンゴやヘーゼルナッツと一緒に頂く(9ポンド)。
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次はリゾット。グリーンピースとミントで味付けされた珍しい一品(8ポンド)。
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本日の魚は、ロースト・ツナ。かなりのボリュームだ(25ポンド)。
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肉は鳥の胸肉で、中にローストされたコーンが入っている。付け合せはトウモロコシのピューレ、ベビーコーンや菜の花など(19ポンド)。
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レストランの売りは、ハウス内の専用キッチン・ガーデンから摘み立ての季節野菜を新鮮なうちに提供するとあったが、確かに鮮度抜群の野菜は、料理全体を引き立てており非常に満足だった。食後は、ライトアップされている庭園を散策してみた。
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プロムナード沿いあるライトは、逆円錐状の植込みに照らされ、中々幻想的な雰囲気だ。しかし写真ではよく伝わらない。。サイモン・ヴェリティーの彫像なのだろうか。。今日も慌ただしくなったが充実した一日となった。
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翌朝、昨日同様に、サイレンセスターのゲストハウス(B&B)で朝食を頂き、バーンズリーを越え、バイブリー(Bibury)に9時過ぎに到着した。残念ながら今朝は雨である。。最初に村の南に位置する後期サクソン様式の聖メアリー教会を見学した。羊毛産業で栄えていたことから羊毛教会(ウール・チャーチ)とも呼ばれている。
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バイブリーは、コッツウォルズ地方で最も人気のある村だが、この時間人通りはほとんどない。通り(B4425)の正面の緑に覆われた建物は、1650年に創業した老舗ホテルでバイブリーを代表するスワン・ホテルである。B4425はスワン・ホテル前で大きく右に曲がっており、この道路の下には、チェルトナムの東のブロックハンプトンに源を発し、テムズ川の支流となるコルン川(River Coln)が流れている。
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そしてコルン川の中州(中の島)にはスワン・ホテルのガーデンが広がっており、川沿いにはラベンダーの花が美しく咲いている。ちなみに、こちらはコルン川の南側からアーチ橋を眺めた様子である。19世紀イギリスの詩人でマルクス主義者のウィリアム・モリス(1834~1896)はバイブリーを訪れた際に村を「イギリスで最も美しい村」と呼んだ。
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スワン・ホテルを背にして通り(B4425)沿いを眺めると、コルン川の水を利用した水路が小さな橋の向こうに続いている。その先の建物は中世時代、毛織物を縮絨するための水車小屋で、現在はアーリントン・ミル博物館となっている。その手前右側の東屋はバイブリー・トラウト・ファームで、右側に大きな池が広がっている(この時期は緑が覆って見えにくい)。
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B4425通り沿いからトラウト・ファームの建物を見てみる。1902年にナチュラリストのアーサー・セヴァーンによって設立され、バイブリーでは最も歴史のあるマス養殖場である。広さは80エーカーあり、40を超す池の中で数百万匹の鱒を毎年育てていると言うから驚きだ。そのトラウト・ファームの通りを挟んで南側にはアーリントン・ロウと書かれたフットパスがあり、そこを下って行く。
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フットパスの左側には、牧草地が広がり、その奥にコルン川の流れが続いている。牛たちが放牧されており、のんびりとこちらを眺めている。木の下に集まって雨宿りの最中なのだろうか。
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フットパスを抜けると左右に散策路がありその向こう(南)側に古い建物が並んでいる。
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右側の散策路は上坂になっており、その奥にも建物が見える。
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左側に向かって進み、振り返って全体を眺めてみる。ここが、バイブリーで最も有名なアーリントン・ロウのコテージ群で、1380年に修道院の羊毛貯蔵所として建てられた。その後17世紀に機織り職人が住むようになり、この際に屋根裏部屋が付け加えられコテージに改装され現在に至る。ここで作られた織物はトラウト・ファームの隣にあったアーリントン・ミル(水車小屋)に送られた。
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雨が降っていて残念だが、朝早いことと、この天候も影響してか観光客が少ないのは幸いである。
建物を過ぎて左側にある穀物倉庫の壁面には、看板が掲げられている。そこには、ナショナル・トラストの資産を示すプレートと「1929年に、ロイヤル・ソサエティ・オブ・アーツ(The Royal Society of Artsにより購入され修理された」と書かれた石版があった。どうやらアーリントン・ロウへの見学ルートはこちらからだったようだ。
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次にスワン・ホテル前からコルン川に沿って遡るように北上しA429を越えて、チェッドワース・ローマン・ヴィラ(Chedworth roman villa)に向かう。チェッドワースは、バイブリーから14キロメートル北にあるが、ローマン・ヴィラはチェッドワース北側の山を越え北東側の麓をL字状に流れるコルン川沿いにあるため、南からローマン・ヴィラに行く場合は一旦東に迂回して向かうことになる。
A429からコルン川に沿って続く田舎道をしばらく走行すると川の流れと共に大きく右に曲がって行くが、ローマン・ヴィラは前方に伸びる更に細い坂道を上って行く。左手には、赤い表示板が立てられている。
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坂道を300メートルほど進むと突き当たりにビジターセンターの建物が現れた。バイブリーからは30分ほどであった。ローマン・ヴィラは、古代ローマ人が造ったイングランドにおける最も大きな別荘の一つで、2世紀から4世紀後半にかけて段階的に整備・拡張されたが、ローマ人の撤退後の5世紀には、破壊され土砂に埋もれてしまう。その後、1864年に猟場番人が偶然、敷石や陶器類の断片を発見したことから、古物研究家で下院議員のジェームズ・ファラー(James Farrer)により2年の歳月をかけ発掘された。
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1924年にはナショナル・トラストにより管理され現在に至っている。そのナショナル・トラストによる4世紀のヴィラの復元図を見ると、ヴィラはコルン川を見渡す丘陵地の斜面を掘り下げて造られた中庭(コートヤード)を持つ長方形の建物(約80メートル×約60メートル)だったことが分かる。ヴィラには、コルン川側の東門から敷地内(ロワーコートヤード)に入り、馬車を降り中央階段を越え(アッパーコートヤード)西奥にある屋敷に向かったようだ。遺跡入口には立体模型と案内図が展示されている。
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ヴィラは、農場主の別荘か宗教的な簡易宿泊施設かで長年歴史家の間で意見が分かれてきたが、現在では、裕福な農場主の別荘だった説が有力となっている。ビジターセンターを正面に見て右側に続く通路を進み左前方に見える木造の建物に向かう。復元図や立体模型によると西奥にあった屋敷になる。
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左側に視線を移すと遺跡群が続いているが、これらは南翼の建物の跡だろう。
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西奥の木造の建物は、2011年にモザイク保護と観光を目的に新たに建てられたとのこと。中に入るとすぐに見事なモザイク床が現れる。こちらのモザイクは、主に4世紀に建てられた建物の室内に設けられたダイニング・ルームや浴場の床に敷かれたもので、少なくとも11の部屋の床がモザイクで飾られていたと言う。観光客はモザイク床より一段上に設置された真新しい通路から覗き込みながら見学する。
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こちらは、トリクリニウム(triclinium)と言う古代ローマのダイニング・ルームに残るモザイク画で一番の見所になる。
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モザイクには、女神像や、酔ったサテュロスとマイナス、タンバリンを持つプット、春のイメージ、冬のイメージなど生き生きと躍動する神々のモチィーフや美しい幾何学模様のモザイクなどが表現されている。
左側の幾何学模様のモザイクが見事に残っているのが高温泉のバルネウム(Balneum)で、右側が床暖房システムのカルダリウム(caldarium)。こちらにイメージ図が展示されているので分かりやすい。
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次に、北西側から北翼の遺跡群を眺める。北西角の建物には、僅かにモザイクが残る風呂跡があるが、隣の建物には、古びたレンガとひび割れた床のみが残されている。
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北翼には、クビクルム(Cubiculum)と名付けられた多目的のホット・ルームがあったが、上部の床は失われ蒸気を通す床下のみが残っている。
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最後に遺跡群の中央に建つヴィクトリア朝時代に建てられた展示館を見学した。館内には、神々の像や、ローマ時代の円柱等の発掘品が展示されていたが、狭いスペースでもあり展示品は少なかった。
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時刻は11時半になった。雨は止む様子がない。今日は一日降り続くかもしれない。。次は、コッツウォルズ地方の西端に位置するチェルトナムを通ってウィンチカム(Winchcombe)に向かう。
(2015.7.23~24)
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緑に覆われた建物は、1748年に建てられた歴史的なオールド・マンズ・ホテル(Old Manse Hotel)で、その左隣にローズ・ツリー・レストラン(Rose Tree Restaurant)が建っている。手前のテラスではのんびりくつろぐ人々の姿が見える。それではハイストリート側の川沿いを下流(南)に向けて歩いてみよう。
ウインドラッシュ川はテムズ川の支流の一つで、20キロメートル上流に位置するスノーヒル(Snowshill)(コッツウォルズ丘陵)の南に源を発し、下流にある毛織物の一大産地として栄えたウィットニー(Witney)を過ぎオックスフォード(Oxford)近郊でテムズ川に注ぎ込む56キロメートルの川である。Windrushとは「突進して様々なコースに曲がる」を意味するが、この辺りの穏やかな流れは突進のイメージとは程遠い。
川には数十メートル間隔で5つの石橋が架けられているが、この山なりの石橋が一番風景にマッチしている印象だ。穏やかな川に架かるこれらの石橋と町並みからボートン・オン・ザ・ウォーターは「コッツウォルズのヴェネツィア」と呼ばれている。
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護岸はストーンが小端積みされており景観的にも誠に趣を感じるが、水面までの距離が近いため、増水するとすぐ氾濫するのではないかとやや心配になる。背後に建つ屋敷風の建物はヴィクトリア・ホール(The Victoria Hall)と言い、ヴィクトリア女王在位60周年を記念して1897年に建てられた。
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次に、石橋を渡って対岸のヴィクトリア・ホール側から川沿いを下流に向け歩いてみる。ハイストリートと川の間は、芝生の公園となっており、シートに座ってくつろぐ人たちや、川遊びをする子供たちが見える。ハイストリート沿いに見えるショップやショッピング・モールの建物はコッツウォルズ・ストーン(ハニーストーン)で統一されており、こちらからの眺めも美しい。
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すぐに次の石橋が見えてきた。日中は多くの観光客で溢れかえるとのことだが、この時間(17時半)の人通りは少なく心地よいせせらぎの音も聞こえ、散策していると気持ちが癒される。しかし一番のお勧め散策タイムは、早朝(特に霧深い朝)らしいが確かにそう思う。
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この辺りまでが、ボートン・オン・ザ・ウォーターの中心部にあたる。石橋を渡りすぐ右側のリヴァーサイド・カフェでジェラードを買って再びハイストリート側の川沿いを歩いて出発した。
次にスローター(TheSlaughter)に向かった。このスローターにはアッパーとロワーの2つの村があるが、最初にロワースローター(Lower Slaughter)から見学する。小川(スローターとは小川を表す)のせせらぎと鳥の鳴き声しか聞こえない村と言われコッツウォルズ地方を代表する小さな村と言われている。ボートン・オン・ザ・ウォーターからは、直線距離で北に2キロメートルほどと近い。川に架かる橋の先がロワースローターの中心になる。
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なお、橋の手前を右折したすぐ右側の木立の中には、13世紀に建てられ1866年に改築されたセント・メアリー教会(St. Mary the Virgin) がある。教会前の通りは道路幅が広いためか多くの車が縦列駐車している。
さて、橋から眺めると川沿いに古い町並みが続いている。中央を流れる長閑な小川はアイ川と言い、7.6キロメートルの短い川で、アッパースローター(Upper Slaughter)とロワースローターとの間を流れボートン・オン・ザ・ウォーターの3キロメートル下流でウインドラッシュ川に注ぎ込んでいる。このアイ川左岸の通りはベッキー・ヒル(Becky Hill)と言い、1.5キロメートルほどでアッパースローターに到着する。それでは右岸の歩行者専用通りを上流に向けて歩いてみる。
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左端の三角屋根に時計の付いた趣のある建物はヴィレッジ・ホール(village hall)と言いイベントや絵画展などが開かれる。
村の大部分の建物は、縦仕切りの格子窓(mullioned windows)が特徴で16~17世紀にコッツウォルズ・ストーンを用いて建てられた。何人かの観光客に出会ったが、人通りがなくなると、川の流れる音だけが聞こえ、時が止まったかのような静寂な雰囲気に包まれる。
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橋から150メートルほど川沿いを進むと赤煉瓦の煙突が見えてくる。こちらは19世紀に建設されたミル(水車小屋)で、蒸気機関を動力としていたことから、巨大な煙突が添えられている。実際40~50年前まで粉ひき小屋として使われていたが、現在はオールド・ミル・ミュージアム(兼土産屋)になっている。
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煙突手前から右側に回り込んだ所がオールド・ミル・ミュージアムの正面入口になるが、本日の営業は終了のようだ。
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オールド・ミル・ミュージアムの正面に向かって右側には、ダイアナ妃とチャールズ皇太子が歩いたフットパスがある。入口には成婚日が記載された小さなパネルが掲げられている。
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この嫋やかな牧草地が広がるフットパスを30分ほど歩けば、アッパースローター至る。ゆっくり散策したいのだが、日の入りも近いので少し歩いてユーターンする。
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やはりここでも羊さんに注目される。
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アイ川左岸のベッキー・ヒルを1キロメートルほど進むと、右側に牧草地が広がり、奥にアッパースローター・マナー(Upper Slaughter Manor)が見えてくる。マナー(屋敷)の後方には、アイ川が右側の木々に沿って流れており、フットパスは屋敷の裏手に見えるペーンズヒルの丘まで続いている。
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外壁を含めた屋敷と牧草地の境界は全てコッツウォルズ・ストーンで統一されている。外壁と境界石のコッツウォルズ・ストーンは、小端積みにして頂上部を立て積みにしているが、これがコッツウォルズ地方の石積み工法の特色である。綺麗に刈りこまれた広大な牧草地に建つ夕日に照らされた屋敷はこの上なく美しい風景だ。
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通りのすぐ先の三叉路を右折するとアッパースローターの中心になり、小さなロータリー(バックショット広場)がある。北側と北西側に道が続いており、北西方向の路地を進むと門がありその先は上り坂になっている。路地は100メートルほどで聖ペーター教会(St Peter's Church)の時計塔のある南身廊側の入口に到着する。門から教会まで続く路地は芝生(所々に傾いた墓石が建つ)から1メートルほど低く掘り下げられ、両側にはコッツウォルズ・ストーンが小端積みされている。この教会が建つ辺りがアッパースローターの一番高い場所になるようだ。扉は閉まっていたので、身廊に沿って東側に回り込む。
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北身廊側は崖になっており石壁が設置されている。石壁から身を乗り出し覗き込むと、窓の形が印象的なオールド・スクール・ハウス(The Old School House)が建ち、そのすぐ左下(北側)には、アイ川が右側に回り込み流れている。
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石壁の右端は、直角に左側に曲がっており、その石壁に沿って細い抜け道となっている。その先でバックショット広場から北方向に伸びる通りに合流する。正面に立つ赤い電話ボックスを見ながら左折すると下りになりすぐにアイ川のせせらぎが現れる。こちらは、そのアイ川から、オールド・スクール・ハウス(坂上右側の最初の建物)側を眺めた様子で、右端の建物が聖ペーター教会。
アッパースローターでは、観光客にも出会わず、確かに鳥の鳴き声しか聞こえなかった。
次に、車一台がやっと通れるような道を北に1.5キロメートル進み、東西に伸びるB4068を左折し1キロメートルでノーントン(Naunton)と書かれた小さな標識に沿って右折する。通りの南側には、ウインドラッシュ川が流れており、ボートン・オン・ザ・ウォーターから8キロメートルほど上流(北西)に位置している。しばらくすると集落が現れたがノーントンは人口352人(2011年)の小さな村のため数百メートルほどの間だけだ。集落を西に進むと、小さな看板があり、右がvillage hall、左がHistoric Dovecoteと書かれている。
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左の路地を進むと、歴史を感じる古びた小屋が建っている。Dovecoteとはハト小屋の意味で、屋根の上にハトの出入り口らしき造りが見える。小屋の内側には903の巣箱が並べられているが、見学が可能な際は自己責任が条件とのこと。残念ながら(良かったのか。。)小屋は鍵が掛けられており内部を覘くことはできなかった。
入口手前の境界の立て積みのコッツウォルズ・ストーンは不揃いでかなり大ぶりな印象を受ける。
集落のある通りは、やがて狭い下り坂になり左側にバプテスト教会が現れるが、閉まっていたので諦め再び来た道を戻って行く。集落の中心にあったパブ(The Black Horse Inn)は、ノーントン村唯一のガストロ・パブなのだろう。
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集落を通り過ぎると、周りに建物はなくなり牧草地や丘が広がる。東西に伸びるB4068を今度は東方向に進む。
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ノーントンからB4068を7キロメートルほど進んだ所にストウ・オン・ザ・ウォルド(stow on the wold)がある。まもなく午後7時半になるので、今日はここで終わりになりそうだ。
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ストウ・オン・ザ・ウォルドは、コッツウォルズ丘陵で最も標高が高い場所であることから「丘の上の町」と呼ばれている。町の中心部がこのマーケットスクエアになる。西側には、セント・エドワード教会が建っており、北側にはストウ・オン・ザ・ウォールド図書館(聖エドワード・ホール)が聳えている。
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マーケットスクエアの中央にはマーケット・クロス(十字架)が立っており、中世時代は羊毛取引の公正さを示す象徴だった。11世紀から12世紀頃は多くの羊の取引が盛んでコッツウォルズ地方で最も栄えた町の一つだったという。
十字架の台座下には、English Civil Warと書かれた20センチメートル角の小さなプレートが設置されている。これは17世紀の半ば、清教徒革命においてイングランドで行われた、国王派と議会派の軍事衝突である。1646年3月21日、マーケットスクエアから1.6キロメートル北のドニントン丘で、両派間で戦闘が繰り広げられた。当初、国王派が優勢だったが、議会派の攻勢により、国王派はマーケットスクエアまで追い詰められ降伏した。捕虜となった国王派の人々は、臨時の捕虜収容所(セント・エドワード教会)に収容された。
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両派の戦いは各地で繰り広げられ、この間の戦いを第一次イングランド内戦(1642年~1646年)と呼んでいる。最終的に議会派が勝利して内戦は終わるが、その後チャールズ1世の処遇を廻り議会派内の対立などが起こり第二次イングランド内戦(1648年~1649年)、第三次イングランド内戦(1649年~1651年)と国内の混乱は続く。チャールズ1世の処刑後、イングランド共和国(1649年~1660年)が樹立されオリバー・クロムウェルが護国卿となるが、護国卿政は5年で破綻し、王政に復したことから、清教徒革命は失敗に終わった。
マーケットスクエアから東南に下るディグベス・ストリート(Digbeth St)沿いには、洋服屋、キッチン・ショップ、おもちゃ屋さんなどが並んでいるが本日の営業は終了している。他にも広場周辺にはガラス製品や家具などのアンティーク・ショップが集まっており多くの観光客が訪れるという。
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ディグベス・ストリートを下り、東西に伸びるシープ・ストリート(Sheep st)と合流する左側には、ロイヤリスト・ホテル(The Porch House)がある。947年創業でイングランドでは最も古いホテルと言われている。ロイヤリストとは、国王派を表すことからイングランド内戦の記憶を受け継ぐ象徴的な建物となった。屋根にも窓があるため屋根裏にも客室があるようだ。ちなみに部屋数は14とのこと。
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こちらは、シープ・ストリート沿いにあるグループヴァイン・ホテルのバー。建物を飾る花が美しく目を引く。こちらの屋根にも窓が取り付けられていることから、やはり屋根裏にも室室があるようだ。
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駆け足でコッツウォルズの町・村を巡って来たが、時刻は午後8時となった。ストウ・オン・ザ・ウォルドも、日中は多くの観光客で溢れかえるとのことだが、流石に、この時間では人通りがほとんどなかった。
夕食はサイレンセスター郊外にあるバーンズリー・ハウス(Barnsley House)のレストランを午後8時半に予約している。ここからサイレンセスター(30キロメートル)までは、直線道路のA429で向かうが、渋滞などなければ予定通り到着するだろう。ちなみにA429はローマン・ロードとも呼ばれるが、これは古代ローマ時代に軍用道路だったためである。
サイレンセスター近郊からA429を左折し、バイブリー(Bibury)村を通る頃に午後8時半になった。
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通りの右側にパブ(The Village Pub)が現れた。ここは、バーンズリー・ハウスの系列店なので、まもなく到着するはずだ。するとすぐ左側にバーンズリー・ハウス&スパと書かれたゲートが現れた。約5分遅刻したが、ほぼ予定通り到着した。
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レストランのある屋敷は広い庭園の中に建っている。バーンズリー・ハウスの見所は何と言ってもガーデンだろう。イングランドで最も美しい庭の一つと言われ、1950年代にローズマリー・ヴァレリー(Rosemary Verey)が、長い年月をかけて完成させた。庭園は、ラバーナム(黄色いチョウに似た花を房状に付ける)、観賞用フルーツ、菜園等で構成され現代彫刻家サイモン・ヴェリティー(Simon Verity)の手による像が建つ装飾庭園(Knot garden)となっている。日々、庭師リチャード・ゲートンビー(Richard Gatenby)と彼のチームによって手入れが続けられていると言う。しかし、お腹も減っていることから急ぎレストランに向かった。
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ディナーメニューはアラカルトだけである。飲み物は、カラフェ・ワインがあったので、レストリーユ(lestrille)(19.25ポンド)とビラ・オー(Bila Haut)(18.50ポンド)(共にフランス産)を注文した。
前菜は、バーンズリー・ハウス自家製のテーブルビートのピクルス。テーブルビートとは赤カブに似ているが大きく異なる。肥大した根で糖分が高くかなり甘いのが特徴。ヤギの凝乳を挟んでリンゴやヘーゼルナッツと一緒に頂く(9ポンド)。
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次はリゾット。グリーンピースとミントで味付けされた珍しい一品(8ポンド)。
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本日の魚は、ロースト・ツナ。かなりのボリュームだ(25ポンド)。
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肉は鳥の胸肉で、中にローストされたコーンが入っている。付け合せはトウモロコシのピューレ、ベビーコーンや菜の花など(19ポンド)。
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レストランの売りは、ハウス内の専用キッチン・ガーデンから摘み立ての季節野菜を新鮮なうちに提供するとあったが、確かに鮮度抜群の野菜は、料理全体を引き立てており非常に満足だった。食後は、ライトアップされている庭園を散策してみた。
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プロムナード沿いあるライトは、逆円錐状の植込みに照らされ、中々幻想的な雰囲気だ。しかし写真ではよく伝わらない。。サイモン・ヴェリティーの彫像なのだろうか。。今日も慌ただしくなったが充実した一日となった。
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翌朝、昨日同様に、サイレンセスターのゲストハウス(B&B)で朝食を頂き、バーンズリーを越え、バイブリー(Bibury)に9時過ぎに到着した。残念ながら今朝は雨である。。最初に村の南に位置する後期サクソン様式の聖メアリー教会を見学した。羊毛産業で栄えていたことから羊毛教会(ウール・チャーチ)とも呼ばれている。
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バイブリーは、コッツウォルズ地方で最も人気のある村だが、この時間人通りはほとんどない。通り(B4425)の正面の緑に覆われた建物は、1650年に創業した老舗ホテルでバイブリーを代表するスワン・ホテルである。B4425はスワン・ホテル前で大きく右に曲がっており、この道路の下には、チェルトナムの東のブロックハンプトンに源を発し、テムズ川の支流となるコルン川(River Coln)が流れている。
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そしてコルン川の中州(中の島)にはスワン・ホテルのガーデンが広がっており、川沿いにはラベンダーの花が美しく咲いている。ちなみに、こちらはコルン川の南側からアーチ橋を眺めた様子である。19世紀イギリスの詩人でマルクス主義者のウィリアム・モリス(1834~1896)はバイブリーを訪れた際に村を「イギリスで最も美しい村」と呼んだ。
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スワン・ホテルを背にして通り(B4425)沿いを眺めると、コルン川の水を利用した水路が小さな橋の向こうに続いている。その先の建物は中世時代、毛織物を縮絨するための水車小屋で、現在はアーリントン・ミル博物館となっている。その手前右側の東屋はバイブリー・トラウト・ファームで、右側に大きな池が広がっている(この時期は緑が覆って見えにくい)。
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B4425通り沿いからトラウト・ファームの建物を見てみる。1902年にナチュラリストのアーサー・セヴァーンによって設立され、バイブリーでは最も歴史のあるマス養殖場である。広さは80エーカーあり、40を超す池の中で数百万匹の鱒を毎年育てていると言うから驚きだ。そのトラウト・ファームの通りを挟んで南側にはアーリントン・ロウと書かれたフットパスがあり、そこを下って行く。
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フットパスの左側には、牧草地が広がり、その奥にコルン川の流れが続いている。牛たちが放牧されており、のんびりとこちらを眺めている。木の下に集まって雨宿りの最中なのだろうか。
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フットパスを抜けると左右に散策路がありその向こう(南)側に古い建物が並んでいる。
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右側の散策路は上坂になっており、その奥にも建物が見える。
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左側に向かって進み、振り返って全体を眺めてみる。ここが、バイブリーで最も有名なアーリントン・ロウのコテージ群で、1380年に修道院の羊毛貯蔵所として建てられた。その後17世紀に機織り職人が住むようになり、この際に屋根裏部屋が付け加えられコテージに改装され現在に至る。ここで作られた織物はトラウト・ファームの隣にあったアーリントン・ミル(水車小屋)に送られた。
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雨が降っていて残念だが、朝早いことと、この天候も影響してか観光客が少ないのは幸いである。
建物を過ぎて左側にある穀物倉庫の壁面には、看板が掲げられている。そこには、ナショナル・トラストの資産を示すプレートと「1929年に、ロイヤル・ソサエティ・オブ・アーツ(The Royal Society of Artsにより購入され修理された」と書かれた石版があった。どうやらアーリントン・ロウへの見学ルートはこちらからだったようだ。
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次にスワン・ホテル前からコルン川に沿って遡るように北上しA429を越えて、チェッドワース・ローマン・ヴィラ(Chedworth roman villa)に向かう。チェッドワースは、バイブリーから14キロメートル北にあるが、ローマン・ヴィラはチェッドワース北側の山を越え北東側の麓をL字状に流れるコルン川沿いにあるため、南からローマン・ヴィラに行く場合は一旦東に迂回して向かうことになる。
A429からコルン川に沿って続く田舎道をしばらく走行すると川の流れと共に大きく右に曲がって行くが、ローマン・ヴィラは前方に伸びる更に細い坂道を上って行く。左手には、赤い表示板が立てられている。
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坂道を300メートルほど進むと突き当たりにビジターセンターの建物が現れた。バイブリーからは30分ほどであった。ローマン・ヴィラは、古代ローマ人が造ったイングランドにおける最も大きな別荘の一つで、2世紀から4世紀後半にかけて段階的に整備・拡張されたが、ローマ人の撤退後の5世紀には、破壊され土砂に埋もれてしまう。その後、1864年に猟場番人が偶然、敷石や陶器類の断片を発見したことから、古物研究家で下院議員のジェームズ・ファラー(James Farrer)により2年の歳月をかけ発掘された。
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1924年にはナショナル・トラストにより管理され現在に至っている。そのナショナル・トラストによる4世紀のヴィラの復元図を見ると、ヴィラはコルン川を見渡す丘陵地の斜面を掘り下げて造られた中庭(コートヤード)を持つ長方形の建物(約80メートル×約60メートル)だったことが分かる。ヴィラには、コルン川側の東門から敷地内(ロワーコートヤード)に入り、馬車を降り中央階段を越え(アッパーコートヤード)西奥にある屋敷に向かったようだ。遺跡入口には立体模型と案内図が展示されている。
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ヴィラは、農場主の別荘か宗教的な簡易宿泊施設かで長年歴史家の間で意見が分かれてきたが、現在では、裕福な農場主の別荘だった説が有力となっている。ビジターセンターを正面に見て右側に続く通路を進み左前方に見える木造の建物に向かう。復元図や立体模型によると西奥にあった屋敷になる。
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左側に視線を移すと遺跡群が続いているが、これらは南翼の建物の跡だろう。
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西奥の木造の建物は、2011年にモザイク保護と観光を目的に新たに建てられたとのこと。中に入るとすぐに見事なモザイク床が現れる。こちらのモザイクは、主に4世紀に建てられた建物の室内に設けられたダイニング・ルームや浴場の床に敷かれたもので、少なくとも11の部屋の床がモザイクで飾られていたと言う。観光客はモザイク床より一段上に設置された真新しい通路から覗き込みながら見学する。
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こちらは、トリクリニウム(triclinium)と言う古代ローマのダイニング・ルームに残るモザイク画で一番の見所になる。
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モザイクには、女神像や、酔ったサテュロスとマイナス、タンバリンを持つプット、春のイメージ、冬のイメージなど生き生きと躍動する神々のモチィーフや美しい幾何学模様のモザイクなどが表現されている。
左側の幾何学模様のモザイクが見事に残っているのが高温泉のバルネウム(Balneum)で、右側が床暖房システムのカルダリウム(caldarium)。こちらにイメージ図が展示されているので分かりやすい。
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次に、北西側から北翼の遺跡群を眺める。北西角の建物には、僅かにモザイクが残る風呂跡があるが、隣の建物には、古びたレンガとひび割れた床のみが残されている。
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北翼には、クビクルム(Cubiculum)と名付けられた多目的のホット・ルームがあったが、上部の床は失われ蒸気を通す床下のみが残っている。
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最後に遺跡群の中央に建つヴィクトリア朝時代に建てられた展示館を見学した。館内には、神々の像や、ローマ時代の円柱等の発掘品が展示されていたが、狭いスペースでもあり展示品は少なかった。
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時刻は11時半になった。雨は止む様子がない。今日は一日降り続くかもしれない。。次は、コッツウォルズ地方の西端に位置するチェルトナムを通ってウィンチカム(Winchcombe)に向かう。
(2015.7.23~24)