「先生、ちゃんと帰って来て下さいね。私の桜の木を枯らしたりしたら、化けて出ちゃうわよ。」
愛美は、横になっている三津林の頬に口付けをした。
「判ったよ。ちゃんと手柄を立てて帰って来るから、心配しないで待っててくれ。それより化けて出るとは何だよ、死んじゃうみたいじゃないか。」
「えっ、先生、もう忘れたの?私、死んだじゃない。先生、泣いてたでしょ。」
三津林は、愛美の手を握ろうとしたが握れない。
「何を馬鹿なこと言ってるんだ、愛美、・・・愛美!」
愛美の姿がしだいに遠くへ行ってしまう。
「愛美、愛美!」
やがて愛美の姿が、闇の中に消えてしまった。
「愛美!」
ハッと三津林は気が付いた。周りには、居眠りをしている足軽達がいるだけだった。
三津林は、出陣の準備のために曲輪に入っていた。そしてその支度の合間の休息中に居眠りしていたのだ。
「お屋形様、家康様がお呼びだそうです。」
「えっ、家康様が?」
「はい、榊原様が呼んで来るように言われました。」
茂助の迎えに応え、三津林は対面所へと向かった。
いつものように家康の足音が聞こえてきた。何度かこの場所に呼ばれ、家康を待って座っている経験を積むうちに、廊下を歩く家康の足音が判るようになった。
家康が部屋に入って来て座った。
「三津林、もう少し近くへ寄れ。」
「は、はい・・。」
三津林は数歩前へ出た。
「いよいよ明日ここを出立するが、準備は万全か?」
「はい、茂助と二人なので今すぐでも出立出来ます。」
「そうか・・・。」
家康は、顎を擦っている。
「攻める城は、元々我らが城の一つ、必ず奪回しようと思っておる。しかしあそこは、なかなかの不落の城じゃ、簡単にもいくまい。そなたには兵を五百与える、城攻めの一翼を担ってもらうぞ。」
「は、はい。」
三津林には、戸惑いもあったが自分の中での決心もあり、身が引き締まる思いになった。
「もう一つ、そなたに言っておきたいことがあるのだが・・・。」
また家康が顎を擦る。
「は、何でしょうか?」
「そなたにはいつか、城持ちになってもらう。」
「え、城ですか?」
「そうだ、わしの目指す国の一つを治めてもらいたいのじゃ。」
三津林は、目を丸くした。家康は将来天下人になる。・・・という事は、大名と言う事か?しかし三津林の思いは違う・・・。
「私には、城など身分不相応でございます。」
家康の顔色が変わった。
「そなたには、今度の城攻めを死に場所として行ってもらうわけではない。愛美どの達の不幸はあったが、そなたには、わしが天下を取るまでそばで見届けてほしいのじゃ。・・だから手柄をたて生きて帰るのじゃ。」
見透かされている。そして三津林は涙が出そうになった。あの家康にこんなことを言われるなんて・・・。
「・・でじゃ、そなたの屋敷にすでに下働きと、わしが家臣の娘の中から捜させたそなたに合う女子を用意しておいた。その女子と新しい三津林家を作ってくれ。・・それがわしのそなたへの思いじゃ。」
「・・・。」
三津林は、涙をこらえた。
「さっそく屋敷へ帰って、酒でも交わすが良い。」
そう言って、家康は対面所を出て行った。
「お屋形様・・。」
城の外で茂助が待っていた。
「茂助さんは、知っていたんですか?」
「榊原様から伺いました。私は良いことだと思います。」
「有り難い話です。でも・・・。」
三津林と茂助は、屋敷へ向かった。
屋敷には門番がいた。
「お帰りなさいませ。」
「名は?」
「宗太です。」
「ご苦労様です。」
主人の言葉に恐縮して、若い門番は何度も頭を下げていた。
三津林と茂助が玄関を入ると男が三人、侍女が四人頭を下げて迎えた。
「私は、三津林慶大、これが茂助。それぞれ名前を言って下さい。」
「松吉です。」
「友太郎です。」
「亀作です。」
男達が答えた。若い足軽達だ。
「はなでございます。」
「千夏でございます。」
「こずえでございます。」
「ももでございます。」
侍女たちも若い。
「じゃ、茂助さん、面倒見て下さい。」
「はい。」
「あの、姫様がお部屋でお待ちでございます。」
亀作が頭を下げたまま言った。
「お屋形様、行って下さい。この者達は、私が役割など伝えます。」
「じゃ、頼みます。」
三津林は、奥の部屋へ向かった。
襖を開けると小袖を着た女が頭を下げて座っていた。
三津林は、横を通って上座へ座った。
「顔を上げて下さい。」
三津林は、遠慮気味に言った。女は、恥ずかしそうに少しだけ頭を上げた。
「あ、愛美・・・。」
・・・のようだった。
「すみません、お名前は?」
「五島田佐間之助の娘、美有と申します。」
女は、頭を上げずに答えた。
「五島田様の娘さんですか?」
「はい。」
五島田佐間之助は、家康の重臣、大久保太馬勝の家臣だ。
「お幾つですか。」
「十五でございます。」
愛美より若い。
「私などの所に来て頂き、申し訳ないです。」
「そんな、三津林様のお側に置いて頂けて幸せでございます。」
三津林は、戸惑った。
「とにかく、もう少しお顔を上げて下さい。」
美有は、少しずつ顔を上げた。やっぱり愛美に似ていた。少し幼さはあるが、目元、口元が愛美によく似ている。
三津林は、不安になった。また身近な人間を自分が不幸にしてしまうのではないかと・・・。
侍女達が食事とお酒の用意をして、二人の所へ運んで来た。茂助も美有に挨拶をするために部屋に入って来た。
「茂助でございます。」
美有の顔を見ると、茂助も目を丸くした。やっぱり愛美に似ていると思ったのだ。
茂助は、挨拶を済ませるとさっさと出て行ってしまった。
「茂助さんも一緒に飲めばいいのに・・・。」
「ふふ。」
「何か可笑しいですか?」
「三津林様は、誰にでも丁寧なお言葉使いですね。」
「変ですか?」
「いいえ、とってもお優しい方だと思います。」
美有が初めて笑顔を見せた。
「私は、新参者ですから、こんな屋敷を賜るのも身分不相応だと思っています。」
「そんなことはないと思います。三津林様は、お殿様のお命をお救いになったと聞いております。私は立派な方だと思ってここへ参りました。」
三津林は、酒を一口飲んだ。
「私は、また戦に行きます。・・・気持ちは今までと違います。・・・今まで大事な人達がいて、皆必ず生き延びて欲しいと思っていたけれど、皆を失い、自分だけがこうして生き延びている。・・・生きてることが空しいんです。」
三津林は、また酒を飲んだ。
「飲みますか?」
三津林は、十五歳の美有に酒を勧めた。元の時代なら許されることではないけれど、愛美達が死んでから、どんなに周りに人がいても心が淋しかった。
「・・・。」
美有は、無言で盃を差し出した。
「あなたとは、今夜でもう会うことは出来ないと思います。申し訳ないけれど、良いお方とまた巡り合って下さい。」
また三津林は、自分で酒を注いで飲んだ。それを見て見有が横に来て、酒を注いだ。
「生きて帰って来て下さいませ。私も亡くなられた奥方様もそう思っております。」
そう言う美有の顔が、三津林には愛美に見えていた。・・・三津林は、いつになく酒を飲んだ。
やがて酒に酔った三津林は、横になって眠ってしまった。美有は、その眠っている三津林をしばらく眺めていた。そしてその目からは、涙が流れていた。
奥の部屋に床が用意され、眠ってしまっていた三津林は、茂助達に運ばれた。眠る三津林の横には美有が座っている。
どれくらい時が過ぎただろう?・・・外は月が綺麗だった。そしてその月明かりが部屋を照らしていた。
「先生・・・。」
三津林が寝返りを打った時、そう呼ばれた気がして目を開けた。
「愛美か?」
三津林の横には、愛美がいた。いやそう見えただけかもしれない。
「私の所へ帰って来て下さいませ。庭の桜と一緒にお待ちしております。」
愛美が三津林の胸に寄り添って来た。
「ありがとう・・・。」
三津林は、なぜか礼を言った。そして二人は無言で重なり合った。
二人の最後の夜は、長くもあり、短いものでもあった・・・。
つづく
愛美は、横になっている三津林の頬に口付けをした。
「判ったよ。ちゃんと手柄を立てて帰って来るから、心配しないで待っててくれ。それより化けて出るとは何だよ、死んじゃうみたいじゃないか。」
「えっ、先生、もう忘れたの?私、死んだじゃない。先生、泣いてたでしょ。」
三津林は、愛美の手を握ろうとしたが握れない。
「何を馬鹿なこと言ってるんだ、愛美、・・・愛美!」
愛美の姿がしだいに遠くへ行ってしまう。
「愛美、愛美!」
やがて愛美の姿が、闇の中に消えてしまった。
「愛美!」
ハッと三津林は気が付いた。周りには、居眠りをしている足軽達がいるだけだった。
三津林は、出陣の準備のために曲輪に入っていた。そしてその支度の合間の休息中に居眠りしていたのだ。
「お屋形様、家康様がお呼びだそうです。」
「えっ、家康様が?」
「はい、榊原様が呼んで来るように言われました。」
茂助の迎えに応え、三津林は対面所へと向かった。
いつものように家康の足音が聞こえてきた。何度かこの場所に呼ばれ、家康を待って座っている経験を積むうちに、廊下を歩く家康の足音が判るようになった。
家康が部屋に入って来て座った。
「三津林、もう少し近くへ寄れ。」
「は、はい・・。」
三津林は数歩前へ出た。
「いよいよ明日ここを出立するが、準備は万全か?」
「はい、茂助と二人なので今すぐでも出立出来ます。」
「そうか・・・。」
家康は、顎を擦っている。
「攻める城は、元々我らが城の一つ、必ず奪回しようと思っておる。しかしあそこは、なかなかの不落の城じゃ、簡単にもいくまい。そなたには兵を五百与える、城攻めの一翼を担ってもらうぞ。」
「は、はい。」
三津林には、戸惑いもあったが自分の中での決心もあり、身が引き締まる思いになった。
「もう一つ、そなたに言っておきたいことがあるのだが・・・。」
また家康が顎を擦る。
「は、何でしょうか?」
「そなたにはいつか、城持ちになってもらう。」
「え、城ですか?」
「そうだ、わしの目指す国の一つを治めてもらいたいのじゃ。」
三津林は、目を丸くした。家康は将来天下人になる。・・・という事は、大名と言う事か?しかし三津林の思いは違う・・・。
「私には、城など身分不相応でございます。」
家康の顔色が変わった。
「そなたには、今度の城攻めを死に場所として行ってもらうわけではない。愛美どの達の不幸はあったが、そなたには、わしが天下を取るまでそばで見届けてほしいのじゃ。・・だから手柄をたて生きて帰るのじゃ。」
見透かされている。そして三津林は涙が出そうになった。あの家康にこんなことを言われるなんて・・・。
「・・でじゃ、そなたの屋敷にすでに下働きと、わしが家臣の娘の中から捜させたそなたに合う女子を用意しておいた。その女子と新しい三津林家を作ってくれ。・・それがわしのそなたへの思いじゃ。」
「・・・。」
三津林は、涙をこらえた。
「さっそく屋敷へ帰って、酒でも交わすが良い。」
そう言って、家康は対面所を出て行った。
「お屋形様・・。」
城の外で茂助が待っていた。
「茂助さんは、知っていたんですか?」
「榊原様から伺いました。私は良いことだと思います。」
「有り難い話です。でも・・・。」
三津林と茂助は、屋敷へ向かった。
屋敷には門番がいた。
「お帰りなさいませ。」
「名は?」
「宗太です。」
「ご苦労様です。」
主人の言葉に恐縮して、若い門番は何度も頭を下げていた。
三津林と茂助が玄関を入ると男が三人、侍女が四人頭を下げて迎えた。
「私は、三津林慶大、これが茂助。それぞれ名前を言って下さい。」
「松吉です。」
「友太郎です。」
「亀作です。」
男達が答えた。若い足軽達だ。
「はなでございます。」
「千夏でございます。」
「こずえでございます。」
「ももでございます。」
侍女たちも若い。
「じゃ、茂助さん、面倒見て下さい。」
「はい。」
「あの、姫様がお部屋でお待ちでございます。」
亀作が頭を下げたまま言った。
「お屋形様、行って下さい。この者達は、私が役割など伝えます。」
「じゃ、頼みます。」
三津林は、奥の部屋へ向かった。
襖を開けると小袖を着た女が頭を下げて座っていた。
三津林は、横を通って上座へ座った。
「顔を上げて下さい。」
三津林は、遠慮気味に言った。女は、恥ずかしそうに少しだけ頭を上げた。
「あ、愛美・・・。」
・・・のようだった。
「すみません、お名前は?」
「五島田佐間之助の娘、美有と申します。」
女は、頭を上げずに答えた。
「五島田様の娘さんですか?」
「はい。」
五島田佐間之助は、家康の重臣、大久保太馬勝の家臣だ。
「お幾つですか。」
「十五でございます。」
愛美より若い。
「私などの所に来て頂き、申し訳ないです。」
「そんな、三津林様のお側に置いて頂けて幸せでございます。」
三津林は、戸惑った。
「とにかく、もう少しお顔を上げて下さい。」
美有は、少しずつ顔を上げた。やっぱり愛美に似ていた。少し幼さはあるが、目元、口元が愛美によく似ている。
三津林は、不安になった。また身近な人間を自分が不幸にしてしまうのではないかと・・・。
侍女達が食事とお酒の用意をして、二人の所へ運んで来た。茂助も美有に挨拶をするために部屋に入って来た。
「茂助でございます。」
美有の顔を見ると、茂助も目を丸くした。やっぱり愛美に似ていると思ったのだ。
茂助は、挨拶を済ませるとさっさと出て行ってしまった。
「茂助さんも一緒に飲めばいいのに・・・。」
「ふふ。」
「何か可笑しいですか?」
「三津林様は、誰にでも丁寧なお言葉使いですね。」
「変ですか?」
「いいえ、とってもお優しい方だと思います。」
美有が初めて笑顔を見せた。
「私は、新参者ですから、こんな屋敷を賜るのも身分不相応だと思っています。」
「そんなことはないと思います。三津林様は、お殿様のお命をお救いになったと聞いております。私は立派な方だと思ってここへ参りました。」
三津林は、酒を一口飲んだ。
「私は、また戦に行きます。・・・気持ちは今までと違います。・・・今まで大事な人達がいて、皆必ず生き延びて欲しいと思っていたけれど、皆を失い、自分だけがこうして生き延びている。・・・生きてることが空しいんです。」
三津林は、また酒を飲んだ。
「飲みますか?」
三津林は、十五歳の美有に酒を勧めた。元の時代なら許されることではないけれど、愛美達が死んでから、どんなに周りに人がいても心が淋しかった。
「・・・。」
美有は、無言で盃を差し出した。
「あなたとは、今夜でもう会うことは出来ないと思います。申し訳ないけれど、良いお方とまた巡り合って下さい。」
また三津林は、自分で酒を注いで飲んだ。それを見て見有が横に来て、酒を注いだ。
「生きて帰って来て下さいませ。私も亡くなられた奥方様もそう思っております。」
そう言う美有の顔が、三津林には愛美に見えていた。・・・三津林は、いつになく酒を飲んだ。
やがて酒に酔った三津林は、横になって眠ってしまった。美有は、その眠っている三津林をしばらく眺めていた。そしてその目からは、涙が流れていた。
奥の部屋に床が用意され、眠ってしまっていた三津林は、茂助達に運ばれた。眠る三津林の横には美有が座っている。
どれくらい時が過ぎただろう?・・・外は月が綺麗だった。そしてその月明かりが部屋を照らしていた。
「先生・・・。」
三津林が寝返りを打った時、そう呼ばれた気がして目を開けた。
「愛美か?」
三津林の横には、愛美がいた。いやそう見えただけかもしれない。
「私の所へ帰って来て下さいませ。庭の桜と一緒にお待ちしております。」
愛美が三津林の胸に寄り添って来た。
「ありがとう・・・。」
三津林は、なぜか礼を言った。そして二人は無言で重なり合った。
二人の最後の夜は、長くもあり、短いものでもあった・・・。
つづく