![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/69/a5/30a6cecd2bb5a6d6d4512bbdd83e99c1_s.jpg)
王子が岳は八人の王子伝説があるほか、山伏の修行場としてその名がついたとの話がある。
まず、熊野神社の写真を掲載する。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/6f/b4/f9458b416f0ace5fc95fdf20c736fddd_s.jpg)
この神社は倉敷市林にあり、創建は大宝元(701)年となっている。この場所の第二殿は国の重要文化財となっており、立派な建物がある。
さて、ここには修験道の祖と言われる役小角(えんのおづの)の像がある。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/1b/a5/505b5aa6543df78d5c7993f080f9beb2_s.jpg)
役小角は文武天皇3(699)年、朝廷より訴追を受け、熊野本宮に隠れていたが伊豆大島に配流された(続日本紀)。社伝によれば、この際、義学・義玄・義真・寿玄・芳玄ら5人の弟子達を中心に熊野本宮大社の御神体を捧持したとされる。彼らは3年にわたり各地を放浪し、役小角が赦免となった大宝元年(701年)3月、神託を得て現在の地に紀州熊野本宮を遷座したとされる。天平12年(740年)聖武天皇が児島一円を熊野神社の社領として寄進した。天平宝字5年(761年)には紀州熊野と同様の社殿(十二社権現宮)を整え、付近の木見に新宮を、山村に那智宮(現・由加神社、蓮台寺)を建て新熊野三山とした。また、近郊に王子社を建て参拝の奉幣所としている。