玉野の1枚

随時玉野の紹介をします。

王子が岳の由来2

2015年05月08日 06時00分00秒 | 観光


王子が岳は八人の王子伝説があるほか、山伏の修行場としてその名がついたとの話がある。
まず、熊野神社の写真を掲載する。

         

この神社は倉敷市林にあり、創建は大宝元(701)年となっている。この場所の第二殿は国の重要文化財となっており、立派な建物がある。

さて、ここには修験道の祖と言われる役小角(えんのおづの)の像がある。

               

役小角は文武天皇3(699)年、朝廷より訴追を受け、熊野本宮に隠れていたが伊豆大島に配流された(続日本紀)。社伝によれば、この際、義学・義玄・義真・寿玄・芳玄ら5人の弟子達を中心に熊野本宮大社の御神体を捧持したとされる。彼らは3年にわたり各地を放浪し、役小角が赦免となった大宝元年(701年)3月、神託を得て現在の地に紀州熊野本宮を遷座したとされる。天平12年(740年)聖武天皇が児島一円を熊野神社の社領として寄進した。天平宝字5年(761年)には紀州熊野と同様の社殿(十二社権現宮)を整え、付近の木見に新宮を、山村に那智宮(現・由加神社、蓮台寺)を建て新熊野三山とした。また、近郊に王子社を建て参拝の奉幣所としている。
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