玉野の1枚

随時玉野の紹介をします。

谷西~野々浜5

2013年01月31日 18時09分35秒 | 観光
このコース最後で、漁業組合にある恵比寿宮。漁業組愛の移転に伴い新設された。


童崎にある塩竃神社。昔このあたりは見能潟塩田があった。神社と厨子型祠がある。
     
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谷西~野々浜4

2013年01月30日 10時05分04秒 | 観光
慈照院は児島88か所13番札所となっている。この寺の創立者はお清大師(平田智清尼)。平教経の後裔、平田常右衛門の娘で平家一門が滅びた時、田井新左衛門を頼ってこの地に移住した。


お清大師の墓石は瀬戸内海を見渡せる小高い丘に建っている。
       

お清大師の墓石に登る途中にある彌太之進社 池畑の開拓者鳥井彌太之進を祀っている。岡山藩士で、貞享元(1684)年2月24日に田井村に移り住んだ。
             

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谷西~野々浜3

2013年01月29日 20時52分27秒 | 観光
道上にある地蔵尊 道上は見能地区の中にあり、この地域の人が大切にお祀りをしている。


三軒屋・岡鼻にある地蔵尊
 三軒屋とは、家が三軒しかなくこの名がついた。岡鼻は、昔砂鉄を採っておりこのあたりをお金場と言っていたが、なまって岡鼻となった。
       

十禅寺自動車道入口にある地蔵尊
              

野々浜会館にある恵比寿宮 
 神宮皇后が立ち寄られ、地元の人が舞をした。これが能であり、能の浜が野々浜に転じた。
 恵比寿は七福神の中で唯一日本の神様で、海の幸を授けてくれる神様。恵比寿は釣竿を持ち、鯛を抱えている。これは、暴利をむさぼらず清廉な姿である。
                    
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谷西~野々浜2

2013年01月28日 09時44分41秒 | 観光
田井八幡宮。この神社は田井、築港一円を氏子としている。田井地区は早くから開けた土地で、古くから神社があったが、創建年代は不詳。室町時代の豪族田井新左衛門の後裔佐々木久信が1466年に神社を再建している。


本殿横に樹齢700年余りと推定されるクスノキがそびえたっている。
       

見能地区に市内最大の厨子型石塔がある。延宝5(1677)年7月7日右に「高月善照逆修」左に「芳林抄香逆修」とある。もともと船乗りで、事故も多く生前墓として祀ったもの。
             

八重垣神社  十禅寺山2合目の祇園口にある社。宮山東端にあったものを天保7(1836)年に現在地に遷座した。見能地区の人が祀っている。祭神は素戔嗚命。
                      

同神社本殿
                            
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田井地区歴史散策 谷西~野々浜1

2013年01月27日 12時25分23秒 | 観光
今回は、田井地区歴史散策の谷西~野々浜1
古くは谷西あたりは海が入り組んでいたのか八幡様入口に常夜灯がある。内海を行き来していた船から良く見えたそうだ。


この地域には、海運業等で生計を立てていた人たちも多く、金比羅様を祀っている。
谷西の金比羅宮
      

谷東地域には、聖徳太子を祀っている太子堂がある。聖徳太子は用明天皇の第2皇子。推古天皇のもと遣隋使派遣、大陸の進んだ文化や制度を採り入れ、天皇を中心とした中央集権国家体制の確立を図った。 没後100年のちに聖徳太子と言われだした。

               

佐々木久信の墓石
佐々木久信は室町後期の武将。田井新左衛門の後裔?。田井八幡宮が荒れており再建に勤めた。 
                       
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