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国立療養所多磨全生園、国立ハンセン病資料館(東京都東村山市)

2015-08-16 21:12:43 | 観光

国立療養所多磨全生園国立ハンセン病資料館(東京都東村山市)

まさに「人権」という言葉を考えずにはいられない施設と資料館でした。

先日、「あん」という映画小説を読んで、言葉としてしか知らなかった「ハンセン病」について少し興味を持ったので、行ってみました。

全生園(ぜんしょうえん)。

いわゆる「隔離施設」です。いや、だったところです。
「あん」の映画でもあったとおり、現在は誰でも自由に出入りできるところです。
が、今は壁こそないものの、高い木々にぐるりと周囲を囲まれたその雰囲気は、東村山の住宅街のど真ん中にありながら、今でもなんか「人を寄せ付けない」雰囲気があります。



正門をはいると、全体の案内板がありました。
約35万平米の敷地には、病院があり、住宅があり、売店があり、運動場、墓地、神社、教会、公民館・・・学校の跡地まであって、さながら住宅街です。
ま、それもそのはず、ハンセン病患者の方々は「らい予防法」に基づき、ずっとここでの生活を余儀なくされ、この施設が人生の活動範囲全てだったのですからね。
なんでもある施設。それは、すなわち「ここからは出れない」ことを意味するのだな。と思わせる案内板でした。

「あん」の映画のロケも実際にここで行われたとのことで、あちこちに「あん」のポスターが貼ってありました。
メインストリートの中央通りを歩くと、まさに住宅街。



ただ、休日のせいか、この日はあまり人の気配感じられませんでした。未だ200名以上の人が住んでいるはずなのですが・・・

さて、自動車で行った場合、いったん全生園の正門(西側)から出て、反対側(東側)へ行くと



国立ハンセン病資料館(トップ写真)

があります。
ここでは、「らい病(ハンセン病)」とはどういう病気なのか、「差別の歴史」「療養所の歴史」「療養所の暮らし」などがわかりやすく展示されています。

病状が進行した時の見た目が大きいのでしょうが、「業病」「天刑病」なんて、あたかも前世の罰のように言われた時代もあったようで、そもそもが「偏見」「人権無視」ありきの病気。
法的には1907(明治40)年に公布された「癩(らい)予防ニ関スル件」という法律からはじまり、
隔離政策、断種、中絶の強制いう差別的扱いを長年続け、「感染力はほとんどない」とか「プロミン」という特効薬ができても変わらず、
結果、1996年(平成8年)になってようやく「らい予防法」の廃止。名誉回復の国家賠償請求は2001年までかかるという、ほんとうについ最近まで「人権」を侵され続けた歴史だったようです。

科学的に問題がないことが立証されても、隔離を続けられ、まさに「人権」を無視された患者の方々。
人が人として生きる権利。「人権」を守るのは国家であり、法であり、そして社会であり、ひとりひとりの意識であり、なんといっても「理解」である。

そんなことを考えるきっかになるのでした。