そぞろ神の物につきて―日本列島徒歩の旅の記録

  (2008年 日本海側)
  (2011年 四国八十八ヶ所)
  (2014・15年 太平洋側)

2015年 徒歩の旅 第35日  (休養日)函館見物

2016年05月02日 | 2015年太平洋側の旅-後半
2015年5月5日(火) 晴 (函館市・ライダーハウス ライムライトに連泊)

 <今回の旅で5月4・5日に回ったところ>








当初計画では、函館から時計回りに国道228号線(追分ソーランライン)を辿って、渡島半島の西側を北上。熊石から国道227号線(雲石街道)で八雲へ出て、噴火湾に沿って室蘭方面へ、という計画だったが、足の具合を考えて、何よりも太平洋・オホーツク海沿いに宗谷岬へ到達することを優先し、計画変更。函館から長万部の間は前回同様に歩き、以後は噴火湾に沿って室蘭方面へ向かうこととした。
‥‥というわけで、日程に余裕ができたので、5月5日は休養日とし、前回の旅で行かれなかった五稜郭と函館市文学館を見に行った。

7時30分、宿を出発。

五稜郭タワー(高さ98m)へ。展望料840円。






1階アトリウムにある新撰組副長 土方歳三像。




ブラッケリー砲。


蝦夷共和国総裁の榎本武揚。


「五稜郭」の立案・設計を行った武田斐三郎像。




展望階から五稜郭。


函館山方向。


展望階にある土方歳三像。


「五稜郭物語」の人形たち。






復元模型。




タワーを下りて、戊辰戦争最後の戦いである箱館戦争の舞台となった五稜郭跡へ。
















半月堡。




土塁、石垣。








武田斐三郎顕彰碑。


五稜郭の中央にある函館奉行所。500円。














建て替えられた真新しいもの。


箱館戦争で敗れた榎本武揚が、東京に護送される際に、心境を詠んだ詩。
「健武帯刀前後行 籃輿羅網失窓明
 山河百戦恍夢如 獨仰皇裁向玉城
 就囚赴東京途中作 武揚

 健武 帯刀シテ 前後ヲ行ク  籃輿ノ羅網 窓明ヲ失ス
 山河百戦 恍トシテ夢ノ如シ  獨リ皇裁ヲ仰ガントシテ 玉城ニ向ウ
 囚ニ就テ 東京ニ赴ク途中ノ作 武揚」。


その後、函館市文学館見学。300円。






やはり石川啄木の資料が、手書き原稿の展示をはじめとても充実している。
以外にも、啄木が朝日新聞社で働いたとき、彼の真面目な仕事ぶりに対して、周囲の評価もよかった、とのこと。‥‥いや、本当かな? 大逆事件との関係については余り述べられていないようだった。






その他、函館出身もしくは函館に関係する文学者の展示あり。『しべりあ物語』の長谷川四郎の兄が、『丹下左膳』を書いた林不忘こと長谷川海太郎だったことを知った。
筑豊の作家とばかり思っていた井上光晴が、函館に文学伝習所を開いたことなども、初めて知り面白かった。




午後は、赤レンガ倉庫を見て、




お土産の発送や、明日以降の食料調達、ライダーハウスを調べるためにムック本を買ったりして、宿へ戻った。宿泊、素泊まり 1000円(2日目なので)。



2015年 第35日(佐多岬より97日)

歩数  17461歩    (佐多岬より累計  4918091歩)
距離  記録外       (佐多岬より累計  3231㎞)
費用  6343円     (佐多岬より累計  479107円)



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