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そぞろ神の物につきて―日本列島徒歩の旅の記録

  (2008年 日本海側)
  (2011年 四国八十八ヶ所)
  (2014・15年 太平洋側)

四国の旅 第29日 松山市・「ホテル エコ道後」に連泊

2012年08月19日 | 2011年四国の旅-1
11月10日(木) 曇  (松山市・「ホテル エコ道後」に連泊)

○本日の参拝
ありません



今日は、休「足」のための休養日、というか市内観光日。
 
宿は、相部屋だったが、結局他には誰も来ず、ゆっくりくつろいで寝た。


7時30分、① まず近くの宝巌寺に行く。

その昔、遊郭があったというネオン坂を上っていくと、


時宗の開祖、一遍上人の生誕の地である宝巌寺。






山門をくぐり、


本堂。


きれいな庭に、句碑や歌碑などがいくつも並んでいる。


一遍上人
「旅衣木乃儀禰宜可やのねい徒具于閑身能すてら禮ぬところあるべ幾」


子規
「色里や 十歩者なれて 秋の風」


酒井黙禅
「子規忌過ぎ 一遍忌過ぎ 月は秋」


斎藤茂吉
「安かヽヽと一本の道 通り多里霊剋る 和が命奈りけり」


川田 順
「糞掃衣すその短くくるふしも臑もあらはに
わらんちも穿かぬ素足は国々の道の長手の
土をふみ石をふみ来てにしみたる血さえ見ゆかに
いたましく頬こけおちておとかひもしゃくれ尖るを
眉は長く目見の静けくたくひなき敬虔をもて
合わせたる掌のさきよりは光さえ放つと見ゆれ
伊豫の国伊佐庭の山のみ湯に来て為すこともなく
日をかさね吾は遊ふをこの郷に生まれなからも
このみ湯に浸るひまなく西へ行き東へ往きて
念仏もて勧化したまふみすかたを
ここに残せる一遍上人
於豫州寶巌寺      川田 順 」


河野清雲
「あとやさき 百壽も露の いのち哉」


道後温泉への途中、温泉裏手の信号のところに、『漱石 坊っちゃん 之碑』


8時10分~9時20分、② 道後温泉。

道後温泉本館。


パンフレットと入浴券。




入浴は4コースあり、奮発して、一番高い霊の湯(三階個室)を。1500円也。


はじめに、道後温泉の歴史と皇室専用浴室だった又新殿の案内があり、天皇が浴衣を着たままで入浴していたことなど説明された。
その後霊の湯に。神の湯(後で行ってみた)よりも小ぢんまりしており、他に入浴者がいなかったので、「坊っちゃん」よろしく湯船で泳いだりした。
霊の湯コースは神の湯にも入浴可なので、行ってみたところ、こちらには広い浴槽の壁に、「坊っちゃん泳ぐべからず」との札がかけてあった。

湯上りに、三階の個室で暫し寛ぐ。


道後名物の「坊っちゃん団子」とお茶が出る。


「坊っちゃんの間」に行ってみた。


子規と漱石の絵の額。


漱石像。


外から見た道後温泉。




道後公園へのスロープより。


振鷺閣と道後温泉のシンボルの白鷺。


9時30分、湯神社。




9時40分~11時40分、③ 子規記念博物館(観覧料400円)。




博物館に、「猫老て 鼠もとらず 置炬燵  子規」のたれ幕。


そばに句碑。
「ふゆ枯れや 鏡にうつる 雲の影」  子規
「半鐘と 並んで高き 冬木哉」  漱石


記念館の中はすいていた。
子規は35歳で死んだが、その足跡は膨大なもので、展示に夢中になり、あっという間に2時間たってしまった。明治の天才の偉大さ。

夏目漱石と子規が一緒に暮らした「愚陀仏庵」が復元されてあり、靴を脱いで上がれるようになっていた。で、凡才も上がって雰囲気に浸ってみたりした。  

「子規博ガイドシート」より絶筆三句
①「糸瓜咲て 痰のつまりし 仏かな」
②「痰一斗 糸瓜の水も 間にあはず」
③「をととひの へちまのみずも 取らざりき」




記念館の近くに歌碑。
「足なへの 病いゆとふ伊豫の湯に   
 飛びても行かな 鷺にあらませば  子規」


一茶の句碑も。
「寝ころんで 蝶泊らせる 外湯哉」


11時45分、④ 道後温泉駅。

坊っちゃん列車。




12時20分、旧制松山中学跡。松山中学は、正岡子規や秋山好古・真之兄弟が学び、夏目漱石が英語教師として教壇に立った。


記念碑に漱石の句。
「わかるゝや一鳥啼て雲に入る」


昼食後、

13時20分~15時10分、⑤ 松山城。







ロープウェイ(片道260円)で本丸へ。




太鼓櫓。


戸無門を経て、


本丸の広場へ。


大天守と小天守(天守閣入場料500円)。




大天守


連結天守。


筋鉄門から天守閣の中に入る。




天守閣より。


天守の中で松山城再建の様子のビデオをやっており、ことのほか面白く、30分ほど見入ってしまった。

帰りは登山道。登山口の横に、松山藩初代藩主加藤嘉明の騎馬像。


15時25分~40分、⑥ 種田山頭火の終の棲家「一草庵」。

一草庵への案内。


手前の立派な建物は、休憩所とトイレ、左奥が一草庵。


一草庵。ここは外から見るのみ。




山頭火の句碑。
















その後、お土産、夕食以降の食料など、郵送のためのレターパックを買って、宿へ戻った。古川柳に「名物を喰うが無筆の道中記」というのがあるが、「ヘボ写真だけが無筆の道中記」なり。明日からまた歩きの日々が始まる。

歩数 計算外    (累計 1,151,950歩)
距離 計算外    (累計 794km)
費用 8,717円  (累計 117,346円)








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