そぞろ神の物につきて―日本列島徒歩の旅の記録

  (2008年 日本海側)
  (2011年 四国八十八ヶ所)
  (2014・15年 太平洋側)

徒歩の旅 第12日 玉名市  丸山キャンプ場へ

2009年02月03日 | 2008年日本海側の旅
4月22日(火) うす曇のち晴 (「ユースピア熊本」~玉名市「丸山キャンプ場」)



5時50分、出発。市内を進み、熊本高校横や県立美術館前を通り、子飼交差点で国道3号線に合流。再び、見慣れた「門司○○km」というキロポストに出会う。
北上して、
7時、北熊本の跨線橋から熊本電鉄の写真を撮る。


振り返ると、昨日上った熊本城の天守閣がはるかかなたやや左に見える。


拡大写真。


街路樹の根下では、ツツジが盛りである。


7時30分、山室分岐。長いだらだらとした上り坂を行く。今日は一昨日よりも足首の具合はよいようだ。ただし油断は禁物(案の定、後で両足の小指が痛くなった。買った靴下がやや厚くて合わなかったせいだろうと思われる)。
8時05分、島津・細川氏などの参勤交代時に、休息所として使用されたといわれる「御馬下の角小屋」を通過。




9時10分~20分、コンビニで買い物と食事。牛乳、赤飯おにぎり。それと手持ちのカロリーメイトを食べる。
9時20分、田原坂方面の指示標あり。


9時25分、分岐で3号線と別れる(この時点で門司まで176.4キロ)。


田原坂公園への一方の入口。


国道208号線に入ると、両側にはハウス栽培の畑が多い。




11時10分、もう一方の側の田原坂公園入口通過。資料館などもあるというので立ち寄ってみたかったが先を急いでしまった。


このころより路傍に西南戦争の戦跡の碑が増えてくる。「官軍攻撃第一線」、「官軍病院跡」、「乃木奮戦跡」等々。






石碑には「乃木第十四聯隊長奮戦阯」とある。日露戦争における二百三高地攻撃のあの乃木将軍である。


昨日の熊本城見学の際にも感じたことだが、西南の役について旅が終わったら少し調べてみたい。「維新政府の進める近代化に対する不平士族の反乱」といった遠い昔の受験知識にとらわれず、不十分なものであっても自分自身の中で評価を出してみたい、などと考えながら歩く。
12時15分、玉東町より玉名市に入る。
13時10分、バイパス分岐。ややわかりづらく、コンビニでコーヒー牛乳、おにぎり2個を買い、ついでに店の人に道を確認。
単調なバイパスを行く。正面の小山が本日宿泊予定のキャンプ場がある小岱山(しょうたいざん)か。


バイパスは緑が多く、この写真では光線の具合で青空が白飛びしてしまっているが、空は晴れ渡り、春の里山の風情。




菊池川大橋で菊池川を越える。


広域農道に入るあたりもまたわかりづらい。ザックを置いて周囲を確認し、
蛇ガ谷公園横を通過。八重桜とつつじが今を盛りと咲き誇っているので写真に撮る。青空の下、まさに春爛漫といった感じ。




玉名広域農道を進み、
14時30分~45分、湧水の郷で買い物。トマト、食パン、菓子パン、ピーナツ味噌。湧き水を飲み、店員にキャンプ場を教えてもらう。広域農道を道なりに1時間ほどで、蓮華院の入口。右折してだらだらと坂を上っていく。両側に成功祈願の灯篭が沢山ある。
立派な奥の院(法然上人の師が生まれた寺であるとか)があり、


それを越えてやや下っていくと、
16時15分、小岱山のふるさと自然公園内にある「丸山キャンプ場」に到着。管理事務所は定休日。翌日の雨に備えて、幕営適地をさがして整地。
16時30分、テント設営完了。奥の方にもう一張りテントがあっただけの、木立に囲まれた落ち着いた泊まり場である。幕営無料。
今日は、一日中海を見ることがなかった。これからも内陸部通過のため、海は関門海峡までしばらくお預け。

経費  1,309円    累計  47,666円
歩数  50,134歩   累計  510,630歩
距離  35km      累計  328km


*明日は仲間同士の勉強会があるため、ブログはお休みします。


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