そぞろ神の物につきて―日本列島徒歩の旅の記録

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  (2011年 四国八十八ヶ所)
  (2014・15年 太平洋側)

四国の旅 第45日 九度山町・「中川旅館」に連泊

2013年01月28日 | 2011年四国の旅-1
11月26日(土) 晴 (九度山町・「中川旅館」に連泊)



(上の地図は、宿で貰ったパンフレットより作成しました。以下の地図等も同様です。)


地図1


6時20分、九度山の宿を出発。快晴無風、されど寒し。ダウンジャケットの上に白衣、手袋に金剛杖という格好。
今日は、町石道を通って、高野山へ。旅もいよいよ大詰めである。まずは「女人高野」慈尊院へ向かう。

途中にあった案内図。


6時50分、慈尊院へ。


本堂と、


大師堂。


慈尊院から119段の階段を上ると、


丹生官省符神社。「高野町石道登山口」。




はじめは舗装路の上り。


懐かしい「へんろシール」。


なだらかに上っていき、


7時15分、展望台へ。小休止、宿に頼んで買った柿の葉寿司の朝食。


足下には蛇行する紀ノ川。


色づいた柿の落葉を踏みつつさらに上る。






7時40分、舗装路が終わり、石ころと土の道になる。傾斜はゆるくなり、荷もなく、人けもない、歩くのが楽しい快適な道。


地図2


杉並木を行く。






8時25分、六本杉峠。


8時45分、古峠。


8時50分、展望所。


大坂から来たという青年に会い、一緒に眺めた天野の里の景色が、穏やかで長閑で優しい。


9時、二つ鳥居。




9時10分、白蛇の石と鳥居。




9時15分、神田地蔵堂。


地図3


町石を追いつつ歩く。




矢立を過ぎると深山の趣。


10時30分、押上岩。




途中から、逆打ちの要領で、53町は53番円明寺、52町は52番太山寺、51町は51番石手寺…などと唱えたりしながら行く。

徐々に頭上が明るくなり、


尾根筋が近づく。


地図4


11時10分、いったん大きく展望が開け、




遠くに紅葉も見られる。


11時55分、ジグザグの急坂を上りきると国道へ。


眼の前に巨大な大門がそびえ立つ。




仁王像、阿形。


吽形。


大門をくぐって高野山の街中へ。この辺りはまだ閑散としていた。


紅葉鮮やか。


壇上伽藍へ。金堂。


根本大塔。




僧侶たちの列。


西行桜。


東塔。


地図5


紅葉の参道を、金剛峰寺方面へ。






時折、すり減った金剛杖に白衣のお遍路さんに出会うと、どちらからともなく「結願おめでとうございます。」の挨拶。小生同様、四国四十八か所の参拝を終えて、高野山にお礼参りに来た人たちだ。

12時20分、金剛峰寺入口。


山門。




高野山真言宗総本山金剛峯寺。




大玄関。


12時40分、奥の院へ。一の橋。


年を経た杉の巨木の中に、墓所や石碑がある。


気の向くままに写真を撮りながら、約2㎞先の弘法大師御廟へ向かう。

司馬遼太郎の文学碑。


武田信玄勝頼墓所。


石田三成墓所。


明智光秀墓所。


芭蕉句碑。
「父母のしきりに恋し雉子の声」


豊臣家墓所。




織田信長墓所。


浅野内匠頭墓所。


13時10分、御廟橋。


(これより奥は、「写真撮影禁止」のため、上記のパンフレットから御廟の写真をお借りしました。)


弘法大師御廟とその裏にある大師堂でお礼参りの般若心経を唱え、すべての計画を無事終了。
寒さで体が冷え切ってしまったので、御供所でいただいた熱いお茶がことさらに美味しかった。

その後、バスとケーブルカーと電車を乗り継いで九度山駅へ。食料を購入し、16時に宿へ戻る。

歩数 41,313歩 (累計 1,777,904歩)
距離 25km    (累計 1213km)
費用 2,020円  (累計 195,811円)















































































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