そぞろ神の物につきて―日本列島徒歩の旅の記録

  (2008年 日本海側)
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  (2014・15年 太平洋側)

徒歩の旅 第14日 筑紫野市 筑前山家駅へ

2009年02月06日 | 2008年日本海側の旅
4月24日(木) 晴 (「ルノワルユースホステル」~筑紫野市 JR筑前山家(ちくぜんやまえ)駅)



5時50分、出発。寒し。
6時20分、JR鹿児島本線を跨ぐ頃、雲が去り朝日が出てくる。


6時50分、「鳥栖 28km」の標識。距離も手ごろなので、今夜の宿泊予定は、一応鳥栖(とす)のTS(トラックステーション)とする。というのも、一昨日、熊本TSというトラック協会が運営している宿泊施設で、トラック関係者は2600円、その他は3600円で泊まれるとあるのを、行動中に見かけていたからである。


7時、矢部川の河川敷にある筑後広域公園の新緑が鮮やかだ。


7時05分、矢部川を渡り、筑後市に入る。 


八女(やめ)茶の畑が道路わきにも見られる。


7時10分、コンビニで、牛乳、チョコ買う。
8時、八女の高校生が自転車で何人も通学してくる。八女といえば、五木寛之や井上光晴の小説の舞台になっているところだ。
8時05分、筑後市役所前を通過。


8時10分~25分、羽犬塚(はいぬづか)小学校の門横にあったベンチにすわり、昨日の夕食用に買ったパンで食事。


プレートに、羽犬塚のいわれが書いてあった。


9時、上原々向山(かんばらばらむかいやま)交差点。ちょっと読みづらい、なんか奇妙な名前だ。


9時25分、久留米市に入る。


9時25分、筑後市を後に。


9時40分、相川通過。鳥栖まで20キロ。振り向くと標識はもう「熊本 72km」とある。
ともかくここの道路は非常に自動車が多い。国道3号線が、山中に入っていってしまうため、国道209号線に北九州方面に向かう大型トラックその他が集中するという感じである。びくびくしながらただただ自動車の隣を並行して歩く。




11時20分、西鉄久留米駅の商店街で小休止の後、東町交差点を経て、
12時、八百屋でイチゴを買うついでに道を聞く。ザックを背負った姿を見てか、どこまで行くのかと尋ねられ、北海道までと答えると、「冒険者、頑張って!」と言われる。
12時10分、中央公園の大きな木の下で小休止。




12時20分、河川敷隣の久留米百年公園で「つつじまつり」が開かれている。 


濃淡さまざまなピンクが目に眩しい。


12時30分~13時20分、そのそばの芝生の上で、ゆっくりと食事と昼寝。
のどかな河川敷を行き、
13時35分、国道3号線に戻り、筑後川を渡る。


青空の下、太陽の光を浴びて筑後川はゆったりと流れている。


13時55分、宝満川を渡り、佐賀県鳥栖市に入る。4県目だ。


その後2~3キロもしくはそれ以上にわたって、大根の花が歩道の右側に咲き乱れる中を進む。




そのさらに右側には宝満川があり、覗くと白鷺、五位鷺がいた。


16時、鳥栖TSに着き宿泊できるか聞くが、満室で断られる。どうやら計画が甘かったようだ。仕方なく、あと15キロ、筑前山家駅まで行くことにする。
鹿児島本線の特急の写真を撮る。


17時、ほんのかすっただけで佐賀県を通過し、


再び福岡県筑紫野市に入る。


17時30分~18時、国道3号線を行くが、道路が坂を上がっていった原田(はるだ)のあたりから歩道が不明瞭になり、道迷い。ロスを繰り返し、ようやく通りかかった婦人に聞いて判明。彼女によると、つい先日も福岡の女子大生が自転車で来て迷い、教えたとのこと。迷いやすい場所ではあるようだ。一安心して、コンビニで駅寝に備えて買い物。牛乳、食パン、おにぎり2個。
18時30分、西鉄天神大牟田線の筑紫駅横を通過。


18時40分、再び宝満川を渡り返すころには日没を迎える。


19時10分、やっとのことでJR筑豊本線の無人駅である筑前山家(ちくぜんやまえ)駅着。


記録と家にメール。終電の9時30分頃を前に、駅寝のルールを無視して眠ってしまった。駅舎は戸のない吹き抜けのため夜中は非常に寒く、途中でレスキューシートをシラフカバーの上にかぶったのだが、それでもまだ寒かった。シラフカバーではなく、やはりシラフを持って来るべきだったかな。
今日はこれまでで一番長い距離を歩いたが、上天気だったので、昨日、雨で写真が撮れなかった分を取り返すべく、思い切りとりまくった日だった。こんな日もある。

経費  1,527円    累計  53,858円
歩数  68,972歩   累計  623,895歩
距離  46km    累計  404km




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