そぞろ神の物につきて―日本列島徒歩の旅の記録

  (2008年 日本海側)
  (2011年 四国八十八ヶ所)
  (2014・15年 太平洋側)

徒歩の旅 第21日 萩市 萩ユースへ

2009年02月19日 | 2008年日本海側の旅
5月1日(木) 晴 (黄波戸駅~萩市 「萩ユースホステル」)



無人駅は寒く、早々と目が覚める。カロリーメイトと昨晩の残りのハムを食べ、
4時50分出発、あたりはまだうす暗い。深川湾に沿っていく。夜明けの海は穏やかであった。
5時20分、国道191号線に合流。案内板あり。


5時30分、海は美しく、幻想的なり。対岸は青海島。


6時10分、長門市駅近くのコンビニで食事。牛乳、おにぎり3個。
6時20分、長門市役所前を通過。


6時50分、JR山陰本線のディーゼル列車がすぐ傍を通る歩道を歩く。


7時、萩まで23キロ。
7時10分、遠くに海を眺めつつ、広々とした田園を行く。


7時20分、村田清風の旧家があり記念館になっている。


清風は「維新回天の楚」で幕末にこの地の子弟の教育に功績のあった人物だそうである。恥ずかしながら初めて知る名前で、自分の無知を悟る。立ち寄って見学しようと思ったが、時間が早く開いていないので外から見ただけで通過した。
記念館と、


旧宅。


しばらく行くとここにも道路に狸の死骸があった。鹿児島のバイパスでも見かけたが、可哀想である。
8時25分、分岐。景色の点では海沿いの地方道を行きたかったが、少し先に香月泰男美術館があり、是非とも立ち寄ってみたかったので、結局191号線を行くことにする。
8時45分、歓迎ゲートをくぐって、「三隅町立香月泰男美術館」方面に右折、開館にはまだ早かったので、ふれあい広場で小休止。
9時00分~9時40分、館内見学。500円。香月泰男はシベリアに抑留され、収容所で強制労働に従事させられた。その経験をモチーフにした作品で有名。学生時代にいくつかの作品は知っていたが、ちょうど旅立ち前の3月にも、NHK教育テレビの新日曜美術館という番組で紹介されていた。軍隊からの家族への便り、金属製のおもちゃなども、興味深く見学した。終生、故郷三隅の風景を愛した、と解説されていた。


香月泰男の作った金属のおもちゃの像。


11時、宗頭(そうとう)の分岐にて、トマト、甘夏、を買う。山口県には5月2日~4日に「マラニック」というのがあるそうで、店の人は、僕のザック姿を見て、そのためのトレーニングかと思ったとのこと。マラソン+ピクニックかな。
11時45分、新緑の中を鎖峠に向かう。


12時、長門市から萩市に入る。トマトを食べ、標高231メートルの鎖峠を越えて行く。


長門市よさようなら。美しい海を忘れない。


12時55分、静かな里山を見ながら峠を下っていく。


13時15分、分岐で小休止、甘夏を食べる。それから長い下り坂を経て、
13時25分、下り坂はゆとりを持って、周囲の新緑も味わいながら眺められる。


13時45分、道路わきの甘夏の木がたくさんの実をつけている。


14時10分、コンビニで、牛乳、おにぎり2個を買う。
14時20分、橋本川にかかる玉江橋を渡り、萩市街に入る。奥は指月山、その麓に萩城跡がある。


14時45分、市内にて高杉晋作の生家を見学。100円。


「西へ行く人をしたひて東行く 心の底ぞ神や知るらむ」と石碑にある。西行を慕って頭を丸めて見たけれど、自分の心は逆に東に行く。その心は神だけが知っているだろう、という意味。倒幕の決意表明と言われている。高杉晋作もまた、興味深い人物だ。


高杉晋作が産湯をつかった井戸。


その後、萩の古い家並みなどを眺めつつ写真を撮る。萩の町並みはきれいで看板もないし電柱も少なかった。




16時20分、ユース着。しばらくすると、Bさんも到着した。同室になり夕食後、昨日の宿泊地選定の苦労話などして過ごす。

経費  6,345円     累計  78,296円
歩数  53,372歩    累計  957,090歩
距離  33km       累計  608km