そぞろ神の物につきて―日本列島徒歩の旅の記録

  (2008年 日本海側)
  (2011年 四国八十八ヶ所)
  (2014・15年 太平洋側)

徒歩の旅 第19日 下関市  長門二見駅へ

2009年02月16日 | 2008年日本海側の旅
4月29日(火) 快晴 (「火の山ユースホステル」~下関市 JR長門二見駅)




今日の行程は長いので一人だけ5時起床。ユースの朝食は断って、
5時25分、出発。ユースの庭からの有明の月。


坂を下り、御裳裾川公園で、周防灘のかなたから上ってくる朝日の写真を撮る。朝焼けが美しく空気も清々しい。


5時45分、関門橋の彼方の朝日。これからはずっと日本海に沿って歩くことになるので、太平洋側の海ともしばらくはお別れ。


6時05分、唐土市場・旧イギリス領事館の横を曲がり、近道をして国道191号線(「北浦街道」とも「赤間関街道」とも言われる)に向かう。昨日見た旧イギリス領事館だが早朝は静かだ。


7時05分~15分、コンビニで牛乳、おにぎり2個、で朝食。
7時35分、山陰本線を越えたところで、国道191号線に合流。以後はずっと191号線を行く。
しばらく車と並行して歩く。単調な道だが、結構起伏もあってやや消耗する。
7時45分、「特牛 42km」とある。「特牛」は「こっとい」と読む。だが、これでは宿泊予定地の土井ガ浜キャンプ場まで43キロどころではない。ユースからここまでの2キロほどの距離もどうなってしまったのか、計画段階での計算間違いかな。出鼻をくじかれる。


8時50分、JR山陰本線の福江駅あたりから海が見えてきた。
9時15分、海の色はきれいなコバルトブルーなのだが、


なんと汚い海岸だろう。ゴミや漂着物が海草と一体になって、べったりとテトラポットにこびりついている。きれいな日本海のイメージが一瞬にして吹き飛んだ。ずっとこれではかなわないなあ、と思いつつ歩く。


9時45分、海沿いの道路を行く。特牛まで34キロ。


10時35分、再びやや内陸部に入っていくと、畑では麦が熟れている。もうこんな季節になったのだなあ。


10時40分、本州最西端「毘沙ノ鼻」に近く。


10時45分、雲ひとつない青空の下、のどかな景色だが特牛までは30キロ。


新緑と芽吹きの小山。「山笑う」という季語があったっけ。


暑くなってきたので、途中の無人売店で甘夏を買い、さらにペットボトルの飲料水を買って喉を潤す。路傍にイチゴの売店があり、買って、おばさんやその親類という女性と話をしながら、店の中で平らげる。九州を歩き通したためか、気持ちにも多少余裕がでてきたようだ。
歩いているとバイクや自転車のグループに何度も追い越される。そういえば大型連休に入っていた。
JR山陰本線のディーゼル列車の写真を撮ったりしつつ行く。気がついたのは、鯉のぼりの数が少ないこと。九州ではもっと沢山あったが、今日これまでに見かけたのはわずかに2・3軒でしかなかった。
13時30分、川棚温泉駅で小休止。広い待合室で昼食をとりつつ涼む。


14時40分、山間部から海に小島が見える。


15時30分、湯玉駅通過。ここも立派な待合室があり、泊まりやすそうだ。土井が浜キャンプ場は遠いので、どこか手前で宿泊地を確保しなければならないが、時間的にまだ早い。
16時10分、広い畑の中を行く1両のみの山陰本線のディーゼル車。


16時15分、宇賀本郷駅もやや狭そうだが寝られないことはないな、などと思いつつ通過。


16時45分、長い海岸線をひたすら行く。


16時50分、二見が浦「夫婦岩」の注連縄。


特牛が近づいてくるのだが、


ついに歩みがあまりははかどらなくなってきて、長門二見駅手前のトンネルで思案。
17時20分、トンネルを抜けたところに、運よく立派な休憩舎(「夫婦岩ふれあいステーション」)が併設された無人駅の長門二見駅があった。土地の人たちの管理によるとかで畳敷きの快適そうな建物だ。今日はここで泊まらせてもらうことに決定。


閑散とした駅前で開いていたたった一軒の店で、パン、ソーセージ、アイスクリームを買う。休憩舎で、出発時刻を待っていた路線バスの運転手と話。彼の食道癌のことや、この地方の過疎のことなど。若者は下関市街や北九州・瀬戸内方面に行ってしまい、老いた親ばかりが残されている、と。
宿泊者は一人きりなので、手足を伸ばしのんびりと寝る。もちろん寒さは感じず。
今日は42キロ歩いた。ちょうどフルマラソンの距離だ。
 
経費  1,428円    累計  70,870円
歩数  59,814歩    累計  842,434歩
距離  42km   累計  536km