そぞろ神の物につきて―日本列島徒歩の旅の記録

  (2008年 日本海側)
  (2011年 四国八十八ヶ所)
  (2014・15年 太平洋側)

徒歩の旅 第15日 直方市  直方キャンプ場へ

2009年02月07日 | 2008年日本海側の旅
4月25日(金) 晴 (筑前山家駅~直方市「直方オートキャンプ場」)



寒くてとても寝ていられず、5時起床。筑前山家(ちくぜんやまえ)駅の写真を撮る。

(クリックすると写真が大きくなります)

乗車ホーム反対側の、長いホーム跡は、かつての筑豊炭田の石炭輸送全盛時代の名残り。


5時50分、出発。防寒用に、雨具上下を着用。フリース手袋もする。
5時55分、木立に囲まれた「山家宿大庄屋役宅跡」を通過。「大庄屋」は、江戸時代にこの地域を管理していた役人で、年貢割り当てや納入、土木工事、参勤交代時の人馬役などの仕事をした、と書かれてある。


国道200号線を行くが、徐々に自動車が多くなってくる。正面右端に、旧長崎街道最大の難所であった冷水峠があり、今日はそこを越えて遠賀川方面に向かう。


浦の下で、新聞配達の女性が、わざわざ車を止めて、車の少ない道(国道200号線横の旧長崎街道)を教えてくれ、しばらくはゆとりをもって写真を撮りつつ行く。長崎街道は、大村益次郎をはじめ多くの人物が、長崎の出島にあったシーボルトの鳴滝塾や勝海舟の海軍伝習所などへと遊学した際に通行した道だ。


しかし、途中でその道も終わり、冷水峠に向けて再び元の道路に合流してからは、実にすさまじいの一言。峠路のカーブを何回となく曲がるが、狭い、歩道なし、危険、怖い。でも、他に道は無いから行くより他ない。
7時45分、峠の上で飯塚市に入る。


下り道もカーブ多し。何度も大型トラックと遭遇し、コンクリート壁に張り付いてやり過ごすこともあった。


8時30分、峠を下りきり、冷水トンネルを抜けて来る自動車専用道路と合流。


広々とした地点に出て一息つき、ようやく周囲の景色を見る余裕がでてくる。


菜の花の黄色が目に鮮やかだ。


しかし、その後も再び車が増えてくる。北九州方面を目指しただ黙々と歩く。


9時05分、JR筑豊本線の筑前内野駅。はじめの計画では、この無人駅も宿泊候補地に考えてはいた。しかし、待合の椅子は筑前山家駅の方が寝心地がよさそう。短くて足がつかえてしまう。ホームの椅子も最悪椅子。したがって、夕べは寒かったものの、それでもここよりは筑前山家駅でよかったということになろうか。


このあたりは往時、長崎街道の内野宿で、それを解説する案内板が掲示されている。


穂波川に沿って歩き出すとまた、単調な道路をトラックと並行。
10時30分~50分、長尾交差点脇の「レストラン冷水」で、やっと朝食。峠を越えた安堵感と、熱々の味噌汁、ご飯にひと時くつろぐ。
11時05分、桂川町に入る。


11時45分、再び飯塚市に。


12時10分~20分、ドラッグスーパーで買い物。牛乳、カロリーメイト、5本指の軍足。
13時45分、遠賀川に架かる飯塚大橋を渡る。


遠賀川はゆったりと流れている。


右岸を河川敷の自転車道路にそって下っていく。振り返ると飯塚大橋は徐々に遠ざかる。


ここは先ほどまでの国道200号線とはうって変わって嘘のような静かさである。白や黄の野草が咲き乱れている。




冷水峠はもう遥か後方である。
 

14時35分、対岸に多くの鯉のぼりが泳いでいる。


ほとんど人通りも無く、ウォーキング、サイクリングの人がほんの時たますれ違うだけ。
14時50分、JR筑豊本線の下を通り、


16時45分、頭の上の陸橋を行く平成筑豊鉄道井田線の写真を撮る。

 


16時50分、直方市に入るのを知る。


そのままずっと河川敷を下っていき、木の仮橋で対岸の「直方オートキャンプ場」へ。


誰もいない無料の広いサイトの、中央の大きな木の下に設営することにした。


炊事場の水が出ないので、道路に上り自販機でペットボトルの飲料水を2本買う。トイレは使用可。下関のユースホステルに宿泊の予約電話をし、自宅にメールをして、夕食の後就寝。河川敷だから暴走族が出るかな、などと考えつついつしか夢の中。相変わらず寒かった。レスキューシートをかけたが効果なし。広いテントサイトにぽつんと一張りのテントだからやむをえない。夜中サイレンが鳴っていたが何だったのか、うつらうつらしつつも眠ってしまった。

経費  2,060円     累計  55,918円
歩数  62,839歩    累計  686,734歩
距離  36km        累計  440km


(明日から、ちょっと奥多摩の山に行ってくるので、ブログは4日間お休みします。)