本日、母、佐々木愛子17回忌につき遺作短歌を再掲させて頂きます。
ある晴れた日に第556回
つたなくて うたにならねば みそひともじ
ただつづるのみ おもいのままに
七十年 生きて気づけば 形なき
蓄えとして 言葉ありけり
1995年4月
いぬふぐり むれさく土手を たづね来ぬ
小さく青き 星にあいたく
1992年5月
五月晴れ さみどり匂う 竹林を
ぬうように行く JR奈良線
なだらかに 丘に梅林 拡がりて
五月晴れの 奈良線をゆく
直哉邸すぎ 娘と共に
ささやきのこみちとう 春日野を行く
突然に バンビの親子に 出会いたり
こみちをぬけし 春日参道
1992年7月
くちなしの 一輪ひらき かぐわしき
かをりただよう 梅雨の晴れ間に
梅雨空に くちなし一輪 ひらきそめ
家いっぱいに かおりみちをり
15,6年前の古いノートより
いずれも京都への山陰線の車中にて
色づける 田のあぜみちの まんじゅしゃげ
つらなりて咲く 炎のいろに
あかあかと 師走の陽あび 山里の
小さき柿の 枝に残れる
山あひの 木々にかかれる 藤つるの
短き花房 たわわに咲ける
谷あひに ひそと咲きたる 桐の花
そのうすむらさきを このましと見る
うちつづく 雑草おごれる 休耕田
背高き尾花 むらがりて咲く
刈り取りし 穂束つみし 縁先の
日かげに白き 霜の残れる
PKO法案
あまたの血 流されて得し 平和なれば
次の世代に つがれゆきたし
もじずりの 花がすんだら 刈るといふ
娘のやさしさに ふれたるおもひ
うっすらと 空白む頃 小雀たち
樫の木にむれ さえずりはじむ
1992年8月
娘達帰る
子らを乗せ 坂のぼり行く 車の灯
やがて消え行き ただ我一人
兼さん(昔の「てらこ」の番頭さん)の遺骨還りたる日近づく
かづかづの 想い出ひめし 秋海棠
蕾色づく 頃となりたり
万葉植物園にて棉の実を求む
棉の花 葉につつまれて 今日咲きぬ
待ち待ちいしが ゆかしく咲きぬ
いねがたき 夜はつづけど 夜の白み
日毎におそく 秋も間近し
なかざりし くまぜみの声 しきりなり
夏の終はりを つぐる如くに
わが庭の ほたるぶくろ 今さかり
鎌倉に見し そのほたるぶくろ
花折ると 手かけし枝より 雨がえる
我が手にうつり 驚かされぬる
なすすべも なければ胸の ふさがりて
只祈るのみ 孫の不登校
1992年11月
もみじ葉の 命のかぎり 赤々と
秋の陽をうけ かがやきて散る
おさなき日 祖父と訪ひし 古き門
想い出と共に こわされてゆく
老祖父と 共にくぐりし 古き門
想い出と共に こわされてゆく
1992年12月
暮れやすき 師走の夕べ 家中(いえじゅう)の
あかりともして 心たらわん
築山の 千両の実の 色づきぬ
種子より育てし ななとせを経て
手折らんと してはまよいぬ 千両の
はじめてつけし あかき実なれば
師走月 ましろき綿に つつまれて
ようやく棉の 実はじけそむ 「棉」は綿の木、「綿」は棉に咲く花
母の里 綿くり機をば 商いぬと
聞けばなつかし 白き棉の実
1993年1月 病院にて
陽ささねど 四尾の峰は 姿見せ
今日のひとひは 晴れとなるらし
由良川の 散歩帰りに 摘みてこし
孫の手にせる いぬふぐりの花
みんなみの 窓辺の床に 横たわり
ひねもす雲の かぎろいを見つ
七十年 過ごせし街の 拡がりを
初めて北より ひた眺めをり
今ひとたび あたえられし 我が命
無駄にはすまじと 思う比頃
1993年2月
大雪の 降りたる朝なり 軒下に
雀のさえずり 聞きてうれしも
次々と おとないくれし 子等の顔
やがては涙の 中に浮かびぬ
くちなしの うつむき匂う そのさがを
ゆかしと思ふ ともしと思ふ
「ともし」は面白いの意。
十両、千両、万両 花つける
我庭にまた 億両植うるよ
命得て ふたたび迎ふる あらたまの
年の始めを ことほぎまつる
おさな去り こころうつろに 夜も過ぎて
くちなし匂う 朝を迎うる
炎天の 暑さ待たるる 長き梅雨
1993年9月
弟と 思いしきみの 訃を知りぬ
おとないくれし 日もまだあさきに
拡がれる しだの葉かげに ひそと咲く
花を見つけぬ 紫つゆくさ
拡がれる しだの葉かげに 見出しぬ
ひそやかに咲く むらさきつゆくさ
水ひきの花枯れ 虫の音もさみし
ふじばかま咲き 秋深まりぬ
ニトロ持ち ポカリスエット コーヒーあめ
袋につめて 彼岸まゐりに
久々に 野辺を歩めば 生き生きと
野菊の花が 吾(あ)を迎うるよ
うめもどき たねまきてより いくとしか
枝もたわわに 赤き実つけぬ
露地裏に 幼子の声 ひびきいて
心はずむよ おとろうる身も
戸をくれば きんもくせいの ふと匂ふ
目には見えねど 梢に咲けるか
秋たけて ほととぎす花 ひらきそめ
もみじ散りしく 庭のかたえに
なき人を 惜しむように 秋時雨
村雨は 淋しきものよ 身にしみて
秋の草花 色もすがれぬ
実らねど なんてんの葉も あかろみて
病みし身も 次第にいえて 友とゆく
秋の丹波路 楽しかりけり
山かひに まだ刈りとらぬ 田もありて
きびしき秋の みのりを思ふ
いのちみち 着物の山に つつまれし
まさ子の君は 生き生きとして 雅子さんご成婚か、不詳
カレンダー 最後のページに なりしとき
いよよますます かなしかりける
虫の音も たえだえとなり もみじばも
色あせはてて 庭にちりしく
深き朝霧の中、11月27日 長男立ち寄る
ふりかえり 手をふる車 遠ざかり
やがては深く 霧がつつみぬ
1994年4月
散りばめる 星のごとくに 若草の
野辺に咲きたる いぬふぐりの花
この春の 最後の桜に 会いたくて
上野の坂を のぼり行くなり
春あらし 過ぎてかた木の 一せいに
きほい立つごと 芽ふきいでたり
1994年5月
浄瑠璃寺に このましと見し 十二ひとえ
今坪庭に 花さかりなり
うす暗き 浄瑠璃寺の かたすみに
ひそと咲きたる じゅうにひとえ
あらし去り 葉桜となる 藤山を
惜しみつつ眺む 街の広場に
級会(クラスかい) 不参加ときめて こぞをちとしの
アルバムくりぬ 友の顔かほ 「をちとし」は一昨年の意
萌えいづる 小さきいのち いとほしく
同じ野草の 小鉢ふえゆく
藤山を めぐりて登る 桜道
ふかきみどりに つつまれて消ゆ
登校を こばみしふたとせ ながかりき
時も忘れぬ 今となりては
学校は とてもたのしと 生き生きと
孫は語りぬ はずむ声にて
円高の百円を切ると ニュース流る
白秋の詩をよむ 深夜便にて 「深夜便」はNHKラジオ番組
水無月祭
老ゆるとは かくなるものか みなつきの
はじける花火 床に聞くのみ 「水無月祭」は郷里の夏祭り
もゆる夏 つづけどゆうべ 吹く風に
小さき秋の 気配感じぬ
打ちつづく 炎暑に耐えて 秋海棠
背低きままに つぼみつけたり
衛星も はた関空も かかわりなし
狂える夏を 如何に過すや
草花の たね取り終えて 我が庭は
冬の気配 色濃くなりぬ
1995年4月
いぬふぐり むれさく土手を たづね来ぬ
小さく青き 星にあいたく
天皇は日本国の象徴にあらずして日本国民統合の象徴にもあらず 蝶人