照る日曇る日第1215回
むかあい昔「風姿花伝」は目を通したことはあるけど、「至花道」「花鏡」「九位」「世子六十以後申楽談義」は読んだことがなかったので、まとめて通読してみたずら。
んで、まあ読んではみたんやけど、「時分の花」とか「初心を忘るれば初心へ返る理」とか、「序破急」、「動十分心、動七分身」、「目前心後」とかは、まあなんとか分かっても、超老人になっても若い時どきの花花を初心忘れず習練によって自覚的に咲かせることが可能になる、なんて、いったいどうやってそんなことができるんかいな。
しゃあけんど、実際わいらあ昔喜多流の塩津哲生はん、最近では金春流の佐野玄宜はんの実演で、その花が幽玄の風情のうちに咲き誇るてふ、思わず我が目を疑うような風姿を見てしもうたからには、そういう不条理の美学は、室町時代からずーっと今に生きながらえてきたんやろなあ。
そおいえば、わいらあ半世紀以上も前に、かの独逸の名指揮者チェリビダッケはんが、当時の本邦の3流オケたる読響を相手に、ブラームスの4番やムソグルスキーの「展覧会の絵」を振った時にも、物凄い幽玄の快花が、会場の空間全体に咲き誇り、これはいかなる奇蹟の顕現かあ!と、わいらあその場に棒立ちになりながら、あたりを見回したもんやった。
「花鏡」に出てくる「離見の見」は、能に限らず古今東西の芸術全般について演者が経験する背中に付いた第3の眼であり、素人のわいらあでもなんかの拍子になんかが憑依するとこういう心理心霊現象に漂着することがあるけど、皮肉骨の3つのうちの骨が「まことの根本」と認めながら、なお「まことの姿(幽玄)」は皮にある!などと喝破されると、それってほんまのほんまかいなあ?と目に唾せざるを得ないんやね。
よしんば世阿弥が、中世最大の能楽者であり、藤原定家、二条良基を凌ぐ美学者であったにしても、本書で説かれている様々な哲理は、能楽の具体的な実践者でなければ、本当には理解味読することなどできへんのやろうね。
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