株式投資と邪馬台国女王、卑弥呼

"卑弥呼"と"株"。株は49年,古事記は30余年で、邪馬台国=北四国の独自見解です。

古事記が基礎の宇摩説の倭人伝(12)<改題> 宇摩説の資料(平形銅剣・広形銅鉾)

2009-08-04 13:03:40 | 古代史、卑弥呼、神輿太鼓、倭人伝

  はじめに

 

 宇摩説は古事記を現実的に解釈して生まれた革命の古代史である。そして、高天原を特定し、この社会や行政まで解いた。この新しい古代社会は倭人伝とも一致する。

 

 宇摩説は高天原は四国の北側に存在したという説であり、これまでに、倭人伝の日本に来た使者、梯儁が記録した行程はそのまま成立すると書いた。

 

  倭人伝の行程と広形銅鉾

 

 この資料は、安本美典著『奴国の滅亡』から、拝借した物がある。先に一度載せているのだが、再度、掲載する。

 

 四国の平形銅剣や、九州の鉾には、青銅器が伝わって以来の経年変化が残っている。つまり、発展の経過が残り、この地がずっと、人が居て、継続されて事も意味している。(出雲と違う)

 

 そして、平形銅剣と、広形銅鉾は各々の最終製品であり、卑弥呼の時代に最も近い遺物である。

 

 

 

 この図の上を見れば、北四国に集中した平形銅剣が良く判るだろう。この文化圏を邪馬台国(高天原)とするのが、宇摩説である。

 

 下図は、広形銅鉾であり、これも、先に説明したとおり、宇摩説が解いた行程に見事に一致している事が判る。そして、この図の地域に、ホーライエンヤがあるのだ。

 

 先に書いたように、この図は私が作成したものではない。しかし、宇摩説に合わせて作ったように一致する。なお、安本美典氏は、この頃、九州説であった。

 

 また、殆どの説が、壱岐からの行程を松浦郡にするが、広形銅鉾の分布が殆ど無く、宇摩説の宗像神社のある、松原地方には多く存在する事も判る。

 

 この分布を見ても、卑弥呼が九州の北東を陸行する行程を取らせて、関門海峡(馬関)を隠した事が判る。これらの解明も、この図は教えてくれる。

 

 分布は国東半島、宇佐地域にも多い。邪馬台国時代に宇佐神宮のこの地が重要地点で有った事が、広鉾の分布でも明確である。

 

 また、高知県にも、多くは無いが、広形銅剣の分布が有り、伊与喜辺りにも出ている。だから、この広形銅鉾の分布は、考古学的にも、全く宇摩説の行程に一致すると判る。

 

 今日は少し短いが、平形銅剣と、広形銅鉾の資料と宇摩説の行程説明で終わる。明日は、宇摩地域の船神輿か、太鼓台の写真を紹介する予定である。

 

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