株式投資と邪馬台国女王、卑弥呼

"卑弥呼"と"株"。株は49年,古事記は30余年で、邪馬台国=北四国の独自見解です。

宇摩(高天原・邪馬台国)に残る伝承--4--

2006-07-31 15:09:49 | 古代史・古事記講座(宇摩説)
 昨日は日本書紀でも、伊予が特別な状況を話した。それを続けよう。貴方が四国の王となったら、何処に王宮を建てるか、と考えよう。 四国の周囲は、海で海流が東西から、流れ込んだり、東西に流れ出たりしている。この中心が燧灘で、上げ潮は最後に宇摩郡に着く。交通の中心地名ある また、四国だけを見ても、中心都市を造るなら、宇摩郡が良いと誰でも判る。四国の高速道路も宇摩郡で交差する。路でも、宇摩が良い。古代の街道 . . . 本文を読む

宇摩(高天原・邪馬台国)に残る伝承--3--

2006-07-30 15:30:33 | 古代史・古事記講座(宇摩説)
 天武天皇十四年九月十五日、東海、東山、山陽、山陰、南海、筑紫に使者を出した。国司や、郡司、および、百姓の消息を巡察するため、とある。 使者はほとんど、直広四の朝臣か、宿祢だが、一人だけ、直広三の使者が居る。階級が上で、真人姓(天皇の親族)の、路真人、跡見だ。階位が上で、真人姓の使者は九州ではなく、南海の使者だった。 筑紫は四国より大きいし、日本の玄関で、大宰府がある。明らかに、この頃の順位とすれ . . . 本文を読む

宇摩(高天原・邪馬台国)は、消された。

2006-07-29 11:52:05 | 古代史・古事記講座(宇摩説)
 こんな質問がある。「貴方は家から駅までの間に、何本の電柱があるか、知っていますか」と、言うもの。 電柱は途中で一つでも消えていると、貴方の家の電気が付かない。とっても、大切なものです。しかし、普通は意識に止めず、全部の電柱を記憶する人はほとんど居ない。  実際に在っても意識しないと、無いのと同じ。 この現象を古事記に上手く利用している。知らないと、無いのと同じ。家に一億の金があっても、知らないと . . . 本文を読む

宇摩(高天原・邪馬台国)に残る物事

2006-07-28 11:37:40 | 古代史・古事記講座(宇摩説)
 卑弥呼の居た邪馬台国は古事記に拠れば高天原で、天御中主神が居た。これは、最初の始まりの時。卑弥呼の時代、つまり、銅矛や、銅剣などを使った時代は、神話では、イザナギや、天照大神の話で、卑弥呼の時代です。 今、もう一つのHPで、古事記神話を解説している。ここからは、ブックマークでアクセス出来るので、ぜひ、どうぞ。こちらも、もちろん、無料です。 こちらのHPは、宇摩(高天原、邪馬台国)に残る物事を書い . . . 本文を読む

宇摩(高天原・邪馬台国)に残る造形-3-

2006-07-27 14:13:07 | 古代史・古事記講座(宇摩説)
昨日の卑弥呼(天照大神)の巨大像は、話だけでは判り難いので、苦心して絵を描いた。出来栄えは、贔屓目に見て、八十点かな。 実は、モット、頂上に近い場所に、二人並んだ胸像がある。この顔の形も、同様に細面の美人だ。もう独りは、イザナギらしい。しかし、こちらは、誰か判らないので、写真の取り込みが出来た時に、紹介しよう。  この美人は、顔の輪郭だけでなく、目鼻立ちも書いてある。したがって、ずっと、具 . . . 本文を読む

宇摩(高天原・邪馬台国)に残る造形-2-

2006-07-26 14:46:19 | 古代史・古事記講座(宇摩説)
 こんなことを、考えたことが有るでしょうか。貴方がもし、弥生時代の日本の王であれば、どこに都を置くか、と、地図上で考えるのです。これまでに出た、論や説の場所でも良いでしょう。青銅器の文化圏を支配するなら、どこが一番便利で良いか、と。  ここまでに書いた、宇摩の自然状況は、潮流が中心だったが、宇摩は瀬戸内海の中央に在るから、瀬戸内気候の代表的気候をしている。しかも、四国山脈に阻まれて、雨雲は高知側 . . . 本文を読む

宇摩(高天原・邪馬台国)に残る造形

2006-07-25 15:30:03 | 古代史・古事記講座(宇摩説)
 卑弥呼の居た、弥生後期の初めは、やよい中期から始まった青銅器の国産化が、次第にわが国の思考に合わせて、実用利器から、広く大きくなって、見せる青銅器に変わって行った。 この青銅器は、糸魚川~浜名湖線と呼ばれる、言語、民俗学などで東西に分かれる地域の、西側に存在する。そう、西日本にしかない。西日本の地図を見れば、中心に瀬戸内海が在って、東西南北の日本が良く判る。同時に、中心がどこかも、良く判る。 地 . . . 本文を読む

宇摩(高天原・邪馬台国)に残る方言

2006-07-24 13:34:17 | 古代史・古事記講座(宇摩説)
 宇摩に残る郷土芸能、「船御輿歌」に、倭人伝にある使者が登場したり、倭人伝に無い、皇帝が船を造ったり、皇帝の勅書でテイシュンが、この船に乗ったことなど、倭人伝に対する、日本側資料ともいえる歌だった。 これで、宇摩に普通では無い根拠が歌の面でもあることは、明確になった。この、船御輿の伝承や、太鼓台の伝承も、同様の内容が有る。これまでに、幾らか書いたから、後は、これらを纏めて書くときに、追加を書こう。 . . . 本文を読む

宇摩(高天原・邪馬台国)に残る歌謡--6--

2006-07-23 12:57:43 | 古代史・古事記講座(宇摩説)
 昨日は、簡単に、同様の歌が各地に残る。九州から、秋田までと述べた。  今日は実例を一つ書いておこう。  鹿児島県の南にある、屋久島で年末に、秋田のナマハゲと似た行事がある。よく知るとおり、子供を訪ねて、勉強したか、良い子にしたか、などと、恐ろしい姿をして、歳の神(としかんさー)が廻る。 この祝い歌が、祝うて申すの歌い出しで、三番まであり、三番が昨日の『異国の皇帝』に歌詞が一致 . . . 本文を読む

宇摩(高天原・邪馬台国)に残る歌謡--5--

2006-07-22 06:05:17 | 古代史・古事記講座(宇摩説)
 宇摩に残る歌謡、2、を書いておこう。この江之元では、お盆が終わると、毎日集まって、歌の練習をする。この歌が歌えないと、何時までも、下っ端で甘んじるために、昔から、人々は、競って、正しく、上手に歌えるように励んだ。と言う。これが、多くの歌詞を残した原因だろう。  くわうてい(川之江では、『異国の皇帝』、他は、二番)   さらばいのー  さらばいこくの  くわうていは しんくわ ヤンくわ       . . . 本文を読む