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"卑弥呼"と"株"。株は49年,古事記は30余年で、邪馬台国=北四国の独自見解です。

やさしい古事記講座(暫時休講) 宇摩説と出雲神話

2008-04-15 09:27:16 | 古代史、卑弥呼、神輿太鼓、倭人伝

  宇摩説と出雲神話

 宇摩説は「古事記の高天原は、北四国であった」という説である。だから、出雲神話の詳細は検討してなかった。ここまで進んできて、大国主の話になって、読み直すと、宇摩説に役立つ部分、つまり、高天原に関係する部分がほとんど無い。

 しかも、最初から謎だらけといった記録である。何故、謎になっているのか、不完全な記録なのか?表面上の物語はともかく、出雲神話全体を通して、じっくり、見直す必要があり、このまま、続ける事が出来ないことが判った。

 今後どうするかどうするか、しばらく考えてみたいと思う。

 高天原の部分は、ここまで書いてきたように、倭人伝などとも一致する部分があって、解明の確認などができるが、出雲神話には、共通点がない。そこで、解明の確認ができない話となってしまう。

 ただ、出雲神話によって、各地の状況が判る。例えば、最初の話、『因幡のシロウサギ』では、何故、八十神が連れ立って、行動しているかと言えば、これは、先に書いた「芝居の一団」であろう。

 このような一団が、年に何度か各地を訪問したのであり、その一団を指導者として書かず、求婚話にしているのだ。このように見れば、出雲神話も宇摩説の補足部分が無いわけではない。

 しかし、この部分だけで解ける謎は、別の部分で解いているものに限られる。つまり、補足しかないと言う事になる。出雲神話で、この時代の社会制度などが判るが、宇摩説として、細かい検討までは必要でない。

 史学が一人に集めた物と言うように、話がバラバラでもある。宇摩説としては、余り役立たないので一気に省きたい所だが、折角、原文と現解釈を進めてきたので、この部分を抜くのも気になる。

 こんなわけで、止まってしまったが、検討してみるので、講座はしばらく、休講となりそうだ。この間、これまで書いてきた、宇摩説の過去記事を読み直して頂ければ幸いである

 また、「建国と今」などの写真を見直して頂ければ、宇摩説の理解がし良いと思う。

 こんなことで、今週中は、今後をどうするか、いろいろ考えてみたいと思っている。

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7 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
古代出雲の鉄 (井上特殊鋼)
2008-06-01 17:02:05
そういえば司馬遼太郎氏が「街道を行く(砂鉄の道)」を取材しているとき、鉄の神といわれる金屋子神社(島根県安来市)を参拝したのだが、この神社の風情が中世的であることを残念がっていた。スサノオ神話より想定される古代鉄の古さとでその手がかりを、掴みたかったのかもしれない。地元のものが「ここは戦国時代、尼子と毛利の激戦があって古いものが多く消失した。」との説明に少し残念そうにしていたと日立金属のかたから伺ったことがある。
しかし、最近この地域で弥生時代の鉄器が多数発掘されその量も北九州に準ずるものだという。その時代は実は大和は鉄器がほとんど発掘されておらず、この地がいかに先進地域だったかをうかがわせる話で生きていれば司馬遼太郎氏もさぞ喜んだことだろうと思われます。
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ありがとうございました (古代鉄鋼の書生)
2008-12-16 19:04:07
 色々さがしてやっと、古事記と特殊鋼の関係が浮かび上がるきっかけとなりました。どうもありがとうございました。
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スサノオの首都 (探偵八雲)
2009-08-07 15:38:50
 安来には須賀社という古社がある。これは古事記にしたがって解釈すると、スサノオミコトの須賀の宮の名残ということになりはしないだろうか?
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特殊鋼と古代 (日本海旅ファン)
2009-08-27 17:32:14
 そういえば安来には超有名な日立金属って特殊鋼メーカーがありましたよね。なるほど特殊鋼ってのスサノオがこの地でオロチか取り出した天叢雲剣をルーツとしているんですね。
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神話と古事記の融合 (たたら)
2009-09-10 20:17:06
スサノオがアマテラスに天叢雲剣を渡したのは、出雲が大和へ鉄器を供給したという、考古学的な見地と対応するのではと思います。しかし出雲神にはスサノオとオオクニヌシという2人の大物の神様がいるのかというのは、弥生後期の出雲の状況を見ればわかります。島根県安来市を中心とする東部出雲王朝(スサノオ)と島根県出雲市を中心とする西部出雲王朝(オオクニヌシ)があったのです。東部出雲王朝は早期に発達し、長きに渡って繁栄しヤマトへの鉄器供給を行った。西部出雲王朝は東部の分家として発達したが、東部よりも発展しやがて、北陸あたりまでの日本海沿岸に渡る大国家を作りました。それで大国主といわれます。しかし、それより少し遅れて大和が発展し、西部王朝は短命に終わり、これが国譲りに対応します。一方、大和から見ても東部王朝は本宗家だったので、スサノオとアマテラスは兄弟と言う設定になっていますが、この事情のため滅ぼさなかったと考えられ、この子孫が蘇我氏のような大豪族になって行くと思われます。
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蘇我? (名倉)
2009-12-29 19:32:37
 蘇我氏ではなく古い葛城系の源流ではないかと思います。
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Unknown (安綱)
2010-10-21 20:39:40
 ここ、雲伯の地は弥生の考古学的にも興味深いんですね。
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