株式投資と邪馬台国女王、卑弥呼

"卑弥呼"と"株"。株は49年,古事記は30余年で、邪馬台国=北四国の独自見解です。

古事記が基礎の宇摩説の倭人伝(25) 卑弥呼と皇帝と太鼓台13 まとめ1(宇摩説と太鼓台)

2009-08-22 00:08:18 | 古代史、卑弥呼、神輿太鼓、倭人伝

 

  はじめに

 

 YouTubeで、邪馬台国の動画が有って、現状の考古学者の近畿説と九州説が話されていた。九州か近畿は常識になっている、説の紹介である。

 

 これらの説の宇摩説の違いを書くつもりで始めると、何故か後の動画が無くなった。そこで、動画の一々に対応した宇摩説が書けなくなってしまった。

 

 だから、近畿説も九州説も、距離や方向が間違いと云う説に対応して、宇摩説は倭人伝の使者として日本に来た、皇帝臣下、テイシュン(梯儁)の旅行記として初めて解いた行程を示した。

 

  宇摩説の行程(卑弥呼の用心、行程・都の迷彩)

 

 宇摩説の行程は、壱岐から宗像(松原)について、陸路で八幡を通り、宇佐辺りから水行となって、豊予海峡を南進し、宇和に着き、ここから再び遂行して高知の伊与喜辺りに着く。

 

 伊与喜から陸路で山中に入り、一月の迷路を進んで、宇摩ではなく、卑弥呼は西条の会見場で、使者と対談した。これは、著書3で書いている。

 

 つまり、卑弥呼は行程の迷彩だけではなく、最後の用心に、都の位置も迷彩して宇摩の西の端で合った。だから、城柵なども作られていたと書いている。

 

  卑弥呼の外交(国益のぶつかり合い)

 

 外交とは、昔も今も、駆け引きと用心が必要なのだ。外交は自己の利益の為の交渉だから、「友愛」などと惚けた外交は存在しない。

 

 何度も書いて来たが、皇帝から贈られた物は、卑弥呼が贈った物に対して異常に多い。学者は皇帝は太っ腹、立場維持・顕示の戦略など、気楽な解釈をしている。

 

 だが、宇摩説は中国に伝わる「東海の夢の国(理想国家)」視察のために、使者が持ち帰れない量を出して、後日、調査員の使者と共に送ったと解いている。

 

 古代でも、外交は力が関係し、間違うと、弱い方は征服されるのだ。それなりの抵抗が出来ないと正当な外交は成立しない。平和運動組織のお花畑の夢思考では、属国になる以外道は無い。

 

 つまり、民主党+共産党+社民党の政権では、日本は日本が様々に侵略されて、行く行くは、我慢を重ね、人命、人権も無視され、金を払い続ける(搾取される)国になるしかない。

 

 古代史でも、人間の思考は殆ど進化が無いから、正しく解くと、現在や将来の日本国や人々の為の学問となる物だ。今役立たないのは、間違った解釈の為だ

 

 とにかく、鳩山他の民主党や左翼報道、平和団体は、1,800年ほど前の卑弥呼の足元にも及ばぬ脳無しの集まりだと言える。だから、平気で日本を破滅に導くのである。

 

 中韓が日本に何時も、「歴史を勉強しろ」と、言うが、本当に、勉強してから、政権を取って頂きたい。脳無しのままでは子孫に立ち上がれないほど大きな瑕疵を残す。

 

  宇摩説の行程の補足

 

 さて、戻って、宇摩説は倭人伝の行程の方向や、距離を修正しない初めての革命的新説である。しかも、この行程には、ホーライエンヤと云う船の祭りが残っている。

 

 これまで、エンヤは掛け声だと思い込んで、エンヤを検討しなかった。が、今回初めて検討すると、遠・耶か、遠・也らしい。梯儁に聞いた中国語だとすれば、「宝来、遠也」となろう。

 

 中国語は全く知らないので、「宝来遠也」が、句(文?。言葉)になっているかどうか知らないが、何となく、合っていそうだ。合っていれば、ホーライエンヤの祭りと言葉の初めての解明になる。

 

 また、この行程には、使者と宝物を歓迎して、多くの旗が立てられた事を示すハタ地名、福岡・八幡、伊予・八幡浜、土佐・幡多郡と、地名でも、行程の補足が出来る。

 

 そして、卑弥呼時代に近いとされる広鉾の多い出土地とも、一致して、考古学的にも、この行程は証明できる。しかも、広鉾の一番多い出土地が壱岐であり、二番目が宇和なのである。

 

 こうして、宇摩説の行程は、これまでの諸説が締めせ無かった、多くの補足をも伴って、証明出来るから、革命の古代史、宇摩説と云う。

 

  宇摩説の誕生(と著書)

 

 宇摩説は古事記のウマシアシカビヒコヂ(宇摩志阿斯可備比古遅)の解明から始まった。そして、十数年かけて、古事記の解明を進めて解明し、初めての本(著書1)を出した。

 

 その後、地域で幾つか講演を頼まれて話した。この中に老人会の様な講演で、船神輿や、太鼓台の謎が質問されて、太鼓台の謎を調査研究する事になった。

 

 それまで、無縁だと思っていた太鼓台や、船神輿は、倭人伝に関係すると、気が付いた。だから、最初の著書1(『神話と宇摩』)には太鼓台の記述は無い(ほとんど、古事記の解説である)。

 

  この後、太鼓台の調査と、研究が始まって、調べる内に子供の頃に聞いた謎の伝承が、次々に思いだされてし、古事記によって古代が判っていたから、解明は早かった。

 

 著書2(『謎の女性像は卑弥呼』)で、船神輿歌を、解明が未完成ながら取り上げている。今思うと、この歌には中国語が多く入っている。先に解いたように、「蓬莱遠也」もそうだ。

 

 これらの事で、日本人は卑弥呼時代も、初めての物、初めての言葉など、知識欲が極めて旺盛だった事が判る。 そして、自己の能力を高める事に熱心だった。

 

  宇摩説と太鼓台

 

 随分回り道をしたが、古事記の最初に、高天原は宇摩だったと、幾つもの証拠(固有名詞)が有り、古事記から宇摩が都で高天原であり、邪馬台国だと判明した。

 

 この場所への行程が、先に述べた倭人伝に一致するのであり、この宇摩に、船神輿と太鼓台が存在する。この飾りは、宮殿。宮殿の門、龍、海の女神で一致する。

 

 この図柄が示す出来事は、歴史上、倭人伝の卑弥呼しか存在しない。こうして、地元の伝承に一致する「女神が太鼓台を作って全国に行った」が、史実だったと判明した。

 

 この太鼓台が、宇摩寄り省略されているが、布団を載せる、布団締めに昇降の龍などが残って、大阪や長崎に今も残る事を紹介した。

 

 もちろん、これは現在残る地域の両端であり、これより内の地域は、先に書いた高砂市のように、各地に残っている。これらを、全て調べるなら、まだ、新しい謎の解明と証拠が集まるだろう。

 

 なお、東は奈良にも有る。京都も在ったように記憶するので、大阪が東の端では無い。奈良と京都は、まだ未調査で、載せなかっただけだ。

 

 今回、概要を書きながら、やや、太鼓台を詳しくしたのは、いよいよ、布団山車を担ぐ所も含めて、秋の祭りのシーズンに入る。

 

 地元の長い歴史を語る太鼓台の伝承と形態を集めて、いずれ、各地の最後の解明をしたいものと思っている。出来れば、本にする予定である。

 

   =================

 相場師ブログランキング  人気ブログランキング【ブログの殿堂】 ありがとうございます



二つの「ポチ」が、大きな励みになっています。


 *相場師ブログ・ブログの殿堂は、Gooの「株式投資と邪馬台国女王、卑弥呼」を登録しています。

 

 皆さんのお陰で、順調に上がり、10位近くに来ています。

 

 ブログの写真を集めたアルバムは、ココログの「建国と今」にあります。写真が良い人は、「建国と今」で検索して見に行ってください。

 

 * また、ブログやランキングに妨害が入っています。

 

  個人ではない不法侵入者

 

  私のPCに常時不法侵入する者(admin)が居る。この侵入は24時間体制で行われていて、個人が対応する事は不可能だ。つまり、巨大な不法侵入組織を持てる組織・団体が作った物だ。

 

 こんな犯罪組織を持てるのは、「創価学会」しかないだろう。

 

 この宗教は、暴力、集団(組織)ストーカーなど、池田大作王(自称)のために多くの犯罪を犯している犯罪者のオゥムの麻原と同じ思考で、日本の王になろうと暗躍している



最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。