「大人の古事記講座」59 国生み 伊予の二名島 阿波
前回の58は体調が悪くて、やさしい古事記の27の紹介だけになったが、あまり追加することもない。讃岐は弥生遺物から、伊予と同じであり、東は阿波と同じである。
遺跡や遺物が、燧灘を中心とする平形銅剣と、東・東南の銅鐸文化圏、西・西南の広矛文化圏の三つであり、弥生時代はイヨ・アワ・ウワの国であった。
今日の粟(阿波)は、オオゲツヒメと言う女神であり、この女神だけは、別の話も伝わっている。つまり、各地の長官としては、異例の存在だったことを示している。
やさしい古事記講座28 国生み7 阿波(粟)
http://kabu003himiko.iza.ne.jp/blog/entry/388436/
* ここには、伊予の二名島の原文が再録されている。また、痛切の紹介もあるので、宇摩説との違いが良く分かるだろう。
* このオオゲツヒメから、五穀の種を得る話があり、それまでは五穀の主をしていた事を思わせるし、五穀全てで弊害も出てきたものだろう。
* アワの長官になっていたのも、国々から問題が多く出たことを思わせる。また、アワは粟、アズキ(小豆)、キビ(黍)など、縄文時代の食料を地名にする地域である。
* アワのオオゲツヒメは特殊な地位に在ったことと、アワが近畿地方の窓口であったから、青銅器などは、近畿と一致するし、よりよいものが出土している。
* 古事記冒頭で、アマノミナカヌシ・タカミムスビ・カミムスビの3巨頭で建国と書いた。このカミムスビが近畿の代表であり、アワに居たのである。
* 四国の吉野川は、まっすぐ流れている上流が、宇摩説で高天原と比定する宇摩郡の山間部の銅山川である。高知側から流れ込む支流の方が長いので、銅山川が支流とされている。
* 銅山川も非常に後世の名であり、徳島では「伊予川」と呼び、これらの地域をソラとも言う。この流域には、記紀・万葉に関係する不思議な人々を祭祀する神社が残る。神社などで別に紹介する。
* 宇摩説は最初の冒頭でも史学の解釈と違って、多くの歴史的解明を進めたが、国生みでも、多くの解明が進んでいるし、これらは弥生遺跡・遺物、地名などと整合している。
時間が来たので以上で終わる。
* 今回も短いので、上記で紹介した「やさしい古事記講座」(28) 阿波 のコピーを載せる
<コピー>
古事記の原文は、重複になるので、何度か外したが、見直すのに不便な状況となっていると、勝手に思うので、ここに再録しておきます。
古事記原文(再録)
次生、伊豫(予)之二名島。此島者、身一而、有面四。面毎有名。
故、伊予国謂(言)、愛比売。讃岐国、言、飯依比古。粟国、言、大宜都比売。土左国、言、建依別。
昨日で、讃岐まで終わり、今日は、「阿波の国、大宜都比売神」の解釈です。その前に、昨日の、イザ!ブログに、nihonnhsanihonnさんから、「さぬき」だけ、3音節の地名です、と言う、コメントを頂いた。
気付かなかったが、弥生時代は三国だ、と示した地名は、「イヨ」、「アワ」、「ウワ」と、2音節です。3音節より古い事は、確かです。これによって、言語学的にも、昨日の解明が、補足されます。
2音節の地名は、弥生時代か、以前に付いたといえる。この地名の違いは、別の方面にも使うことが出来るし、言語の発展の研究資料となる。地名や言語に興味のある人は、調べて見ると好い。ここで紹介しておきます。
先に、言語学でも革命が起こると、言ったのですが、2音の地名を、弥生時代か、それ以前と仮説として研究すれば、新しい言語学の突破口になるでしょう。
通説解釈
1、(講談社)は、大宜都比売 ケは穀物・食物の意。食物をつかさどる女神。下に、五穀の起源を語った大気都比売の神話が記されている。
2、(岩波古語辞典)には、ケは多く、笥、日(複数)、気、異、卦、消、来、木などがある。最初の笥(気)が、食物入れたり、盛ったりする器である。
宇摩説解釈
食と言えば、最初の内に出てきた、「ウマシアシカビヒコヂの神」が、思い出される。そして、天之常立神・国之常立神の、亦の名、豊受大神も思い出される。
この豊受大神の、トヨウケは、ウが産む、生むなどの、発生を意味する語だ。ケは食物とすれば、食物を発する神と言う意味になる。これは、宇摩志(略)神が、稲作で国を固めていることを思えば、古代は食の確保は大きな問題だったのだ。
高天原は、食の確保、保証、指導、祈願、種の支給などで、国々をまとめた比重が高いために、高天原の大きな仕事の一つである。だから、後には、稲作等の農業を指導する専属の女神・神が居たと言える。
この後の、「神生み」で、豊受比売が出てくるが、宇摩志(略)神や、豊受大神の後任として、女神が居たのである。女神なのは、畑作、稲作などの技術がほぼ完成して、問題なく指導できるようになっていたことを示すものだ。
次の、「神生み」で出てくる、「豊受比売神」と、この「国生み」で出ている、「阿波国、大宜都比売神」がある。この二人は、「ケ」が共通している。そこで、検討することにした。
ウケは、「ウガ・ウカ」の母音変化であろう。ウカの神も、「ウカノミタマの神」など、食物の神である。このように、「う」が、食の神に共通している。
大宜都比売神は、「おおげつひめ」であるが、何度か言ったように、日本語は中韓の母音が省略される。すると、この大宜都比売神のオオケツも、ウが抜けているとも考えられる。
つまり、「おおけつひめ」は、「おお・うけ・つ・かみ」だったのであろう。こうなると、トヨウケとオオウケは、トヨ(豊)とオオ(多)の違いで、同じ意味になる。呼び方が変わっても、実態が同じなら、同じ神と言えそうだ。
トヨウケの神は、一代ではなく、何代も続いていたから、(オオウケ)と呼ばれたり、呼び替えで、何時も有ったか、とにかく、 豊受比売神と、大宜都比売神は、豊受大神の後を継いだ女神である。
伊勢神宮の外宮の神は、豊受比売神で、内宮の食事の神と言う話もある。これは、朝廷の記録に残るもので、迷彩されたものだ。古くから、豊受大神との区別が付き難いのだが、ここに、明快な答えを出しておいた。
粟の国解釈
阿波の国は、「粟国」と、古事記にあるように、粟の産地である。淡路のアワジも「粟路」であり、粟の産地を示している。隣に、「「小豆島(しょうどしま、あずき)」の小豆があり、吉備が、黍の産地だ。
阿波・淡路島・小豆島・吉備は、全て、稲作前の食料であり、畑作物だ。縄文時代の主食とも言えるだろう。阿波には、麻植郡(おえぐん)があり、麻も五穀の一つである。弥生時代も続いてであろうが、縄文時代の穀倉だったようだ。
日本書紀では、五穀はバラバラで、迷彩されているようだ。これらは、後の「大宜都比売神は、五穀の神」の話もあり、後に出てくるので、その時に書くことにする。
<以上>
アワ(阿波)は粟でもあり、黍(吉備)・小豆など、この周囲に穀物の地名が多い。縄文以来の原始農業なのだろうか?とにかく、この一帯は、稲作前の穀倉地帯と言えそうだ。
大きな地名で残るのは、地域の人々だけの穀物ではなく、大量に作られて、各地に配布された事を思わせる。つまり、稲作前から、穀物の大量生産地があり、倭人伝に言う、交易が行われていた事も案じさせる。
類似の事は、縄文時代の”貝塚”にも見られ、日本が縄文時代から交易国家であった事を示している。宇摩説で、各地の遺跡や、日本近海の海流から、古代から交易に利用されたとする論拠である。
とにかく、稲作で国固めの前にも、穀物による交易が行われていたのであり、神話(=弥生)時代に入って、五穀が揃ったのであり、以後、稲作が主流の国になっていくのだ。