はじめに
下の小さな写真は、伊予三島市市政50年記念の三島太鼓台で先に載せたものだが、この写真で書き漏らしが有る事に気付いたので、「三島太鼓2」として、追加しておこうと思う。
太鼓台の行列の一番手前(右端)に、寒川町・江之元の船神輿が写っている。カキ棒と飾り幕が見えている。この山車の運行に歌われるのが、「船神輿歌」だ。
兵庫・高砂の太鼓台
太鼓台行列の左端に、やや低く見える太鼓台が有る。これは兵庫県高砂市の殿さまが作った太鼓台と伝えられる。布団の数は二枚だった。
明治初期に四国に見せ物として来て、坂出辺りから、西へ見せて回った物だが、次第に入りが少なくなって運行が出来なくなり、三島で売却して、帰宅費用にしたと伝えられる。
山陽道を下っている間は、好調だったのだろう。そこで、もっと田舎の四国に行けばと、坂出辺りに上陸して、西に向かった。
しかし、次第に観客が減少してカキ手の費用さえ出なくなって開催不可能となった。この理由は、先に書いた通り、全国一豪華な太鼓台の地に迷い込んだのだから当然だ。
三島で売却したから、三島の祭りで、兵庫・高砂の太鼓台が見える。珍しい、事が起こっている。
上は三島に残る高砂の太鼓台。
下は、今の高砂の太鼓台で、布団はここも一枚増えたようだ。
三島や左端のように、布団に反りがが有るのは珍しい。殿さまが関係して区別したかったのだろう。右の二台が布団締めも残り原型に近い。(高砂太鼓などで検索した)
三島に残る物と細かく比べても、殆ど同じものだ。たぶん、殿さまは作り直したのであろう。
それにしても、この太鼓台は、宇摩説から言えば、奇しくも故郷に戻って来た事になる。不思議なエニシと云える。と云う訳で、三島の祭りは東西の代表的太鼓台が運行されるだけでなく、遠い兵庫県の高砂の太鼓台まで見えるのである。
なお、豊岡や、寒川は祭日が違うので、最初の写真のように、一度に見る事は不可能だ。三島祭りでは、三島太鼓と高砂太鼓は見られる。
山に付いて
後ろに写っている山が、法皇山脈で、滑らかに小高い所が、水波峰(加賀山)である。神話に出てくる神名が使われている山は全国的に珍しい。
この山の右の方に、豊受山が有る。豊受大神の名を持つ山で、20年ごとの遷宮をする豊受神社もある。宇摩平野から見ると姿が変わる不思議な山である。
左側には、平石山が、やや小さいが水波峰に似た山で小高くなっている。これらは、先に、「やさしい古事記講座」や、地名などで何度も書いて来た山である。
水波峰と加賀山
水波峰は北側(宇摩平野)に中之庄と西側の具定があり、具定では「加賀山」と云う。この中之庄の太鼓台が、元は「水波」と云ったが今は変えられている。
布団には、昇降の龍の布団締めが有る。下側に螺鈿(らでん)等を使ったり、彫刻された上枠が見える。
布団の配色は、先に書いた中田井の上下が逆になっている。布団締めが龍の太鼓台は、配色が変わっているのだ、このように、全く逆の所が多い。
「中之庄」の下に見えるのが、掛け布団であり、その向こうにある飾り幕がほとんど見えない。掛け布団の上に、金縄と云う注連縄の一部が写っている。
なお、この水波峰の東からの昇り口が、中之庄の東にある中曽根町石床と云う。この地に明治まで、「天日隅宮」があった。
これは記紀に残る大国主の宮で有り、やさしい古事記他で取り上げた。また、再開すると、大国主の国譲りで出てくる。先の講座でも取り上げているので、直ぐ見たい人はいざ!で。
大国主は大変人間的で誠実、現在でも、共感呼ぶ人物です。だから、国固めと云う大きな仕事が出来たのでしょう。
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川原町の太鼓台の起源はよく判りませんが、高砂の太鼓台(播州では屋台(ヤッサ)と言う)に誤りがあるので、一言。
今の高砂の太鼓台としての写真は、高砂ではなく大宮八幡(三木市)の屋台と思われます。
川原町のHPには『高砂市次郎助町の太鼓台を購入』となっているので、高砂神社の屋台になります。現在の高砂神社の屋台は、神輿屋根型です。ただし、高砂もその昔は布団屋根屋台だったようです。
川原町の太鼓台に近いのは、同じ高砂市内の曽根天満宮の屋台になります。ここは昔から全て反り屋根布団屋台(布団は3段)です。
写真の三木の屋台は平屋根が基本ですが、最近少し反った屋根の屋台ができてきたようですが、高砂の反り屋根布団屋台とは細部が違います。
平屋根布団屋台は淡路のだんじりの流れで関西一円に分布していますが、反り屋根布団屋台と神輿屋根屋台は播州のみです。(播州では布団屋根に反りがあるのは珍しいものではありません。)
反り屋根布団屋台は布団締めではなく梵天が付き、布団を締めるのは伊達綱になります。
川原町の太鼓台は曽根の屋台から、天幕、伊達綱、梵天、昼提灯を取り去り、水引幕、高欄掛けを四国風に変えているように見受けられます。