友人から、あなたは詩作がおもしろい、と評価をいただいていい気になり、詩について語ることとします。
現代詩の目標は何か。これって知られていません。私なりの解釈をまとめてみます。
なお、その視点は野村喜和夫「現代詩作マニュアル」を読んで知ったものです。言ってみれば、この投稿は私なりの再解釈です。で、単語の選び方が理系人間に分かる言葉に偏っています。
現代詩の目標は思想・感情を伝えて美と感動を与えることではありません。それは、できたらいいなというくらいの位置づけです。この点を目標にした古い詩と目指すところが違うので、最近の詩はおもしろくないという人が多いです。現代において思想・感情を伝える詩は、他の人も指摘するように、ポピュラーミュージックの歌詞です。
現代詩の目標は、おのおのの言語圏(日本語、英語、その他たくさん)において、言語のリバースエンジニアリングと開発です。
人間の自然言語の仕組みをすべて知り尽くした人はいません。今まで作られた中で美しい言葉はこれだったと知っている人はいます。でも、まだ気づかれていない言葉遣いがあるやもしれませんし、いつの間にか変わっていることもありますし、変えうるものです。それを、わざと今までにない言葉遣いを試し、人々にどんな反応を引き起こすのか確認し、あわよくば好評なら後で使える文例にしよう、というのが現代詩の目標なのです。
コンピュータに関わる人間が使う単語で説明すると、自然言語に RFC はないので、わざとイレギュラーなデータを作って反応を見ることでシステムの挙動を探ろうというわけです。
知人にそれを話すと、それは科学でやるべきで芸術でやるのは効率が悪い、と言われました。確かに効率が悪いです。でも、全ケースを網羅しようとすると本当に読めないものだらけになっちゃうので、ある程度読めそうだという勘を働かせるのは読み続けるのに重要だと思っています。
だから現代詩の詩集はリバースエンジニアリング用のゴミデータが並んだ本なんです。こんな本に思想・感情を期待して読んだらつまらないに決まっているんです。では現代詩を読み続ける人は何を期待しているかというと、リバースエンジニアリング自体が目的となっていて、自分にゴミデータを与えてみてどんな反応を引き起こすのかを知るのが面白いんです。
私も、これが芸術かと問われると答えが難しいです。少なくとも、うまくいっていないならうまくいっていないと選別した方がいいかもしれません。すべての現代詩を最初から芸術とありがたがるのは止めた方がいいと思います。すると私が書いた詩も選別されちゃうんでしょうね。
ほとんどの人は、だったら現代詩は読まないと見切りをつけると思います。でも、私は「現代詩作マニュアル」を読んで現代詩がなぜああなったのか回答を得た気がしましたし、その目標を面白いと思いましたし、作風を変えました。
とはいえ、美しくないものを読んでもらえるかと思うと厳しいです。偶然に NHK 教育「あの人に会いたい」にて西条八十のフィルムを見たら、「流行歌はどれだけの人を動かしたかで値打ちが決まるんですよ。芸術の心とは別にね」と喝破しておられました。人に歌ってもらってきた経験から語る重い言葉です。
現代詩の目標は何か。これって知られていません。私なりの解釈をまとめてみます。
なお、その視点は野村喜和夫「現代詩作マニュアル」を読んで知ったものです。言ってみれば、この投稿は私なりの再解釈です。で、単語の選び方が理系人間に分かる言葉に偏っています。
現代詩の目標は思想・感情を伝えて美と感動を与えることではありません。それは、できたらいいなというくらいの位置づけです。この点を目標にした古い詩と目指すところが違うので、最近の詩はおもしろくないという人が多いです。現代において思想・感情を伝える詩は、他の人も指摘するように、ポピュラーミュージックの歌詞です。
現代詩の目標は、おのおのの言語圏(日本語、英語、その他たくさん)において、言語のリバースエンジニアリングと開発です。
人間の自然言語の仕組みをすべて知り尽くした人はいません。今まで作られた中で美しい言葉はこれだったと知っている人はいます。でも、まだ気づかれていない言葉遣いがあるやもしれませんし、いつの間にか変わっていることもありますし、変えうるものです。それを、わざと今までにない言葉遣いを試し、人々にどんな反応を引き起こすのか確認し、あわよくば好評なら後で使える文例にしよう、というのが現代詩の目標なのです。
コンピュータに関わる人間が使う単語で説明すると、自然言語に RFC はないので、わざとイレギュラーなデータを作って反応を見ることでシステムの挙動を探ろうというわけです。
知人にそれを話すと、それは科学でやるべきで芸術でやるのは効率が悪い、と言われました。確かに効率が悪いです。でも、全ケースを網羅しようとすると本当に読めないものだらけになっちゃうので、ある程度読めそうだという勘を働かせるのは読み続けるのに重要だと思っています。
だから現代詩の詩集はリバースエンジニアリング用のゴミデータが並んだ本なんです。こんな本に思想・感情を期待して読んだらつまらないに決まっているんです。では現代詩を読み続ける人は何を期待しているかというと、リバースエンジニアリング自体が目的となっていて、自分にゴミデータを与えてみてどんな反応を引き起こすのかを知るのが面白いんです。
私も、これが芸術かと問われると答えが難しいです。少なくとも、うまくいっていないならうまくいっていないと選別した方がいいかもしれません。すべての現代詩を最初から芸術とありがたがるのは止めた方がいいと思います。すると私が書いた詩も選別されちゃうんでしょうね。
ほとんどの人は、だったら現代詩は読まないと見切りをつけると思います。でも、私は「現代詩作マニュアル」を読んで現代詩がなぜああなったのか回答を得た気がしましたし、その目標を面白いと思いましたし、作風を変えました。
とはいえ、美しくないものを読んでもらえるかと思うと厳しいです。偶然に NHK 教育「あの人に会いたい」にて西条八十のフィルムを見たら、「流行歌はどれだけの人を動かしたかで値打ちが決まるんですよ。芸術の心とは別にね」と喝破しておられました。人に歌ってもらってきた経験から語る重い言葉です。