行雲流水の如く 日本語教師の独り言

30数年前、北京で中国語を学んだのが縁なのか、今度は自分が中国の若者に日本語を教える立場に。

端午の節句に屈原を想う

2017-05-06 05:16:15 | 日記
5月5日、ジャーナリズムの授業で「今日は何の日か知ってる?」と聞いたら、何人かがすかさず「こどもの日」と答えた。学生たちの日本に関する知識にはしばしば驚かせられる。

中国の子どもの日は、主として旧社会主義国が定めた国際児童デーの伝統を引き継ぐ6月1日で、5月5日は日本オリジナルである。中国で日本の5月5日を説明する際は、こどもの日ではなく、端午の節句と言ったほうがわかりやすい。端午節は中国から伝わった。ただし中国は伝統にしたがった農暦で、一か月ほど遅れる。ちまきを食べる習慣も中国発だが、それ以外は日中でほとんど違う。

ちまきは、中国戦国時代の楚に生まれた憂国詩人、屈原と深い縁がある。屈原は王族の家系に生まれ、各国が連衡して勢力を強める秦に対抗する戦術を説いた。だが国王は君側の奸によって目が曇り、秦の懐柔策にはまって身を亡ぼす。祖国の衰亡を悲観した屈原は、自らの悲運を嘆き、絶望の末、湖南省の川に石を抱いて入水自殺する。

「世の人はみな濁っているが、私だけは澄んでいる。回りのみんなは酔っているが、私だけは醒めている」

後の人々は、このように孤高を詠じる屈原像をつくって英雄視した。直言を容れられず、都を追われた忠臣らはみな、彼の境遇に心を寄せた。魚に食べられずに屈原に届くよう、人々は米を笹の葉に包んで川に投げ入れるようになった。これがちまきとの結びつきだ。中国ではこの日、各地でドラゴンボート(龍船)の競争をする祭りも行われる。穢れを清める水をあがめ、また恐れる信仰もあったに違いない。



日本では、男児の成長を願うこいのぼりに、水との縁が残されている。こいが激流をのぼって竜になるとの伝説は、中国に由来する。登竜門の故事は日本でもよく知られている。中国ではまだ時期が早いが、端午節を祝い、屈原の『九章』から気に入った句を引用する(日加田誠『屈原』岩波新書から)。

忠誠をつくして君に仕えたが
かえって群れから離れて余計者となった
小ざかしく媚びることを忘れて衆にそむいたが
明君の察したもうのを待っていた

言葉と行いは互に相証し
心は顔に現れるものだ
臣を視ること君に若かずとは
判断の証しが手近にあるからだ

私はひたすら君に仕えて身を顧みなかったが
ああ、それは衆人に仇とされるところだった
ひたすら君を思うて余念なかったが
それはまた衆人に敵とされるところだった

心をいちずにしてためらわなかったが
ああ、それは身を危うくすることだった
つとめて君に親しんで余念なかったが
そこに禍を招く道があったのだ

君を思うこと私より忠実なものはない
ともすれば身の貴賤をも忘れて
君に仕えてふたごころ無く
ただうろうろとするばかりで君に取り入るすべも知らなかった

忠なる者が何の罪あって罰にあうのか
それは私の思いもよらぬことだった
為すことが衆人と異なる故に転落して
また衆人の笑いとなった

さまざまにとがめられ謗られても
なんと言いとくすべもない
こころは抑えられて君に達せず
妨げられて明らかにするすべもない

心ふさいでたたずめども
わが心中を察するものなく
言うことのかずかずあれど伝えられず
志をのべようとしてその路がない

退いて黙っておれば誰も知らず
進んで叫んでも聞く者はない
いよいよ失望して思いとまどい
心はもだえて思いくるしむ

昔、夢は天にのぼり
魂は中途で行くことができず
そこでたたり神に占わせると
「お前の志はゆきつまって助けがない」と

「それでは結局ひとり危うく孤立するのか」と問えば
「君を慕っても頼みにならぬ」という
かくて金をも溶かす讒言にあい
はたして今や危い目にあった

羹にこりてはなますを吹くという
なんでこの志を変えようとせぬのか
梯子を棄てて天に上がろうとするように
依然として始めの態度を固執するのか

・・・・・・・・・

わがまごころの信ぜられぬを恐れ
重ねて自分の心を明らかにした
この美しいものを抱いてひとり暮らし
よくよく考えて身を害から遠ざけよう


無念の叫びが聞こえてくる。はるか昔の故事ではない。今の社会にも似たようなことは起きている。だが、力を握る者が人の口を封じ、勇なき者たちは見て見ぬふりをしている。黙して語らない社会には、絶望もないが、希望も芽を摘まれる。