行雲流水の如く 日本語教師の独り言

30数年前、北京で中国語を学んだのが縁なのか、今度は自分が中国の若者に日本語を教える立場に。

訪日取材発表会のタイトルは「温故知”新緑”」

2017-05-02 22:26:36 | 日記
3月25日から4月2日まで、汕頭大学新聞学院の学生6人が福岡、北九州、熊本をめぐった環境保護取材ツアーの成果発表会(分享会)が5月7日、同大学図書館の講堂で行われる。同学院では毎年、海外に取材ツアーを送り出しているが、その都度、同じように分享会が開かれる。参加学生が体験や感想を語り、興味を持つその他学生との質疑応答を通じ、成果を共有するという趣旨だ。

宣伝用のポスターが出来上がったが、中国人学生が抱いている日本のイメージを表すように、ほのぼのとしたイラストがちりばめられている。



取材チームの名前は「新緑」。日中に共通する春の言葉であり、中国語で同じ音の「心率」は心臓の鼓動を表す。人間が自然と共生する理念を体現したものだ。取材では日本の公害の経験や、伝統的な自然農法や農村祭祀を学んだ。だから分享会のタイトルは、「温故知新緑」とした。「日本報道の分享」とあるが、「の」はすでに中国でも店舗名にまで使われており、そのままで通用する。

政治色を取り除き、色眼鏡をつけずに日本を伝えようとすると、中国のネットではしばしば批判にさらされる。それが近年、日本旅行の広まりとともに、変化しているように思える。経済大国化の自信もあるだろう。強力な習近平体制が築かれ、国内かく乱の政治意図をもった「反日言論」が抑制されている側面も無視できない。正しい、開かれた目で隣国と向き合おうとする中国人の姿勢は、日中交流史において、かつてないほど高まっていると言ってもよい。そうした時代背景の中で、大学の日本取材ツアーが実現し、分享会が開かれる。

今回の取材ツアー費用はすべて大学が出した。他大学の新聞学院にはない特色だ。李嘉誠基金の強力な支えなしにはできない。実際に自分の目で見て、身をもって体験することが、国際感覚を身に着けることになるとの理念である。学生による記事や映像は内容さえ伴えば、新聞・雑誌やネットメディアが取り上げてくれる。すでに8本の原稿と2本の映像がメディアに送られ、掲載を検討中だ。市場があればチャンスがある。社会は日々刻々変化している。

振り替えって、同じことを日本でできるだろうか。大学は建物にお金をかけ、天下り官僚に高給を払うことはあっても、学生を育てることにこれだけの予算は割かないだろう。学生も隣国に対しそこまでの関心を失っている。日本の世界に対する無関心、不見識は、鎖国時代の再来さえ思わせる。

先日、北京の友人から、ある日本のライターがネットメディアに公表した中国の鎖国体制を批判する文章を送られたが、途中まで読んであきれてしまった。中国は1949年の建国後、かつてないほどグローバル化が進んでいる。それは中国が選ぶ選ばないとにかかわらず、抗うことのできない国際潮流である。自分たちの閉ざされた心のはけ口を他者に求めるような発想は、子どもの陰湿ないじめと同じで、どうみても健全とは言えない。そういう内向きの文章ばかりを喜んで掲載するネットメディアにも問題がある。

さらに言えば、寡占体制に甘んじる日本の伝統的メディアも、口では社会との共存を語りながら、社員以外の記事に目を向けるなど望むべくもない。パイが減り続ける中、発行部数頼りの経営から抜け出す勇気を持てない新聞は、自分の失敗を極度に恐れ、他紙の敵失にすがるしかないゆがんだ体質を生んでいる。他紙の誤報をこれでもかこれでもかと繰り返す大新聞は、業界自体の自滅という墓穴を掘っていることに気付かなければならない。これこそが鎖国的体質である。ニュース市場は閉ざされた空間の中でいびつな均衡を保ち、ますます情報のガラパゴス化が進んでいる。

新緑のような新鮮な目で、貪欲に外界を知ろうとする中国の若者たちそのものが、私にはまぶしい新緑に見える。環境保護について、虚心坦懐に日本の思想、制度、政策から多くのことを学んでいった。大学がそれを支援し、メディアが発信に力を貸そうとする。激変し、曲がり角に立つ時代の中で、社会が大きく変化しているのだ。だからこそ私は別の感慨を持つ。中国の教壇に立ち、母国を隣国としてながめながら、隣の芝生が青く見えないのが残念でならない。

「対」=「Yes」という中国の伝統思想

2017-05-02 18:07:28 | 日記
中国語で、「はい」と肯定する際に用いる表現は「対(dui)」である。初級中の初級だが、実はこれが中国の伝統思想を反映する一番深い言葉なのではないかと思っている。「あなたの発言/行いは正しい」というときにも使われるし、「対了」と言って、何か大事なことを思い出した際にも用いる。偏りのない、バランスの取れた判断、正鵠を得た見解、落ち着くところに落ち着いた、収まりのよい状態といった幅広いニュアンスがある。

中国では旧正月に、家の門の左右にめでたい対句を紙に書いて貼り、縁起を担ぐ習慣があるが、これは「対聯(dui lian=ついれん)」と呼ばれる。日本の正月は門の両サイドに門松を飾るが、同じものを二つ並べるだけだ。対句のように、異なるものを結び付け、バランスを図る「対」の感じがない。


(汕頭・小公園付近の老舗店)


(仏山・嶺南天地の涼茶店)

中国の「対」には肯定の意思表示ほか、「一対」と組み合わせを表す対称の意味や、両者が向き合う「面対」「対象」の意味もある。日本では肯定の意味では使われず、こうした用法だけが残っている。

先週の授業で神や天の話題を取り上げた際も、「対(つい)」が話題になった。日本人の生活文化、各種の年中行事や祭りの中に、神事は深く溶け込んでおり、学生から「日本の神について教えてほしい」と強い関心が寄せられた。宮崎駿監督作品『千与千寻(千と千尋の神隠し)』の影響もある。そこで日本の記紀神話に触れたのである。

『古事記』、特に『日本書紀』は『淮南子』など中国の史書にある陰陽思想を下敷きにして、天地創造を描いている。だが、天が生まれた後の神話は、日本独自のストーリーが展開され、『千と千尋』を思わせる八百万の神(やおよろずのかみ)のオンパレードである。

注目すべきは、記紀で若干の違いがある点だ。中国思想の影響が強い正史の日本書紀では、父イザナギと母イザナミの間に天照大神(アマテラス)、月読命(ツクヨミ)、須佐之男命(スサノオ)の三貴子が生まれる。だが、より古代の伝承に近い古事記は、イザナギが黄泉のけがれを落とすみそぎのため、左目を洗ったとき生まれたのがアマテラス、右目からはツクヨミ、鼻からはスサノオが生まれたとしている。

男女の一対からではなく、父の体の一部から神産みが行われている。そこには陰陽の「対」とは異なる思想がある。「海」が「産み」に通じるように、水の聖なる力に対する原初的な信仰が感じられる。あらゆるものに神の存在を認める、日本人の雑多で、多様な信仰につながる精神だ。

中国では、人間界の最高位にある皇帝のさらに上にあって地上世界を支配する「天」の思想が生まれた。天は対立を超越した不可侵の領域で、集権体制を支える理論的根拠となった。皇帝は天の子=天子と位置付けられたが、天命を失えば交代させられることも意味した。「対」が天を支えていた。対立の超克から真理をとらえる思考は、中庸にも表れている。中庸は、単純な「足して二で割る」ではなく、両極端を超越し、対立からさらなる高みにたどり着こうと模索する思想である。

だが、日本では天の教えが根を下ろさず、天は八百の万神が集う場所でしかなかった。天には八百万の神が混とんとしており、対の思想が生まれる余地はない。「お天道様」は太陽神と結びつけられた。人々は天よりも、神の化身を畏れた。天皇の権力は常に貴族や武士階級から挑戦を受け、安定した武力政権においても封建制の制約があった。決して強大な権力の集中を生まなかった日本の政治風土も無関係ではない。

「対」の思想を欠くことは、対立を避け、平和な状態を希求する温和な性向を生む。また、茶の湯や生け花の美が、人工的でない、自然な非対称にあることは、だれもが認めるところである。と同時に、「対」の座標軸がないため、正体不明の空気に流され、知らず知らずのうちに極端な一方向に流される危険もはらむ。日常生活の中で、YesもNoもはっきりさせない言い方がかくもはびこる社会は珍しい。「対」の発想を、対立の対象ではなく、対照、対称、対等の関係から生かすことができれば、この世はもっと暮らしやすくなるに違いない。

次回は、中国文学者、駒田信二氏の語る「対の思想」について触れてみたい。(続)