行雲流水の如く 日本語教師の独り言

30数年前、北京で中国語を学んだのが縁なのか、今度は自分が中国の若者に日本語を教える立場に。

上海の仲間が大阪で結婚式

2017-05-08 18:23:36 | 日記
6日は、大阪・太閤園で三澤志洋君と宮下美恵さんの結婚式に参加した。三澤君とは上海駐在時代の2014年、日系企業関係者ら約30人で『日中関係は本当に最悪なのか―政治対立下の経済発信力』(日本僑報社)を出版した仲である。同書は2016年、世界図書出版公司から中国語版も出ている。北京、上海で開いた同書および中国版の出版記念式では、彼が周到な裏方を引き受けてくれた。頼りになる弟分のような存在だ。



関西空港からJRで1時間足らず、交通の便も良い。初めてきて驚いたが、太閤園は藤田財閥の邸宅を引き継いだ由緒ある場所だ。式場は神式の「豊生殿」。飛行機の都合で途中参加となったが、神殿に入ると、両家固めの杯が始まるところだった。新郎新婦が向き合う正面祭壇の先には、ガラス越しに庭が見え、野生のキジが舞い降りていた。突然、おとぎ話の世界に入り込んだような錯覚をした。





豊生殿の門には、両側に江戸時代の作という仁王像が対で置かれているが、どことなく愛嬌のある表情が面白かった。披露宴は100年の歴史を誇る「淀川邸」。なだらかな曲線を作る入母屋の破風が寺社を思わせ、重厚感を醸す。西洋人の新郎新婦が和装で披露宴を挙げているのに出くわした。よき伝統文化は国の境を超えて受け入れられるのだろう。



会場は、二間をつなげた「紹鴎の間」。床の間を背に新郎新婦が腰かけ、縦に二列長いテーブルが置かれている。手の込んだ欄干の彫刻をながめながら、気の置けない仲間と飲みかわす祝杯は格別である。参列者には、新郎新婦の友人として韓国人、中国人もいて、様々な言葉が飛び交う。





お酒の勢いでいつもの『乾杯』を歌えばいいのかと思っていたが、式次第を見ると、私は新郎側ゲスト代表のあいさつになっていた。中国からのお客さんも多かったので、二つの漢字について話をした。「縁」と「寿」である。

三澤君が最初に美恵さんを紹介してくれたのは、上海の居酒屋だった。笑顔を絶やさない気さくな人柄に、周囲がなごんだ。彼女よりも、本人がはしゃいでいる姿がまた、ほほえましかった。よく「お前にはもったいない女性だ」という言い方があるが、私は「これほどぴったり、相性のよい二人も珍しいのではないか」と強い印象を持った。日中共通の漢字、「縁」を思った。縁起を担ぐわけではないが、縁をことのほか大事にする中国で生まれた出会いだけに、さおさら深い絆を感じたのである。

「縁」が「寿」に発展する過程もごく自然に、スムーズに感じられた。中国の「寿」はもっぱら長寿を指し、祝儀の意味はない。つまり寿(ことぶき)=結婚は大和言葉である。漢字が伝わる前、古代の日本人は「言祝(ことほぐ)ぐ」と言い、言葉による祝の儀式を行っていた。すでに『古事記』に「ことほぐ」の用法がある。おそらく素朴な古人は、結婚の言祝ぎに、永きを願って「寿」の字を当てたのだろう。まさに今の二人に最もふさわしい言葉だと思い、この言葉を贈った。

披露宴では、相変わらず新郎が酔って、はしゃいでいた。いつものようにほほえましい光景だった。

最後に、三澤君が冒頭の共著に寄せた一文「脱日本ブランドが試されるPR」の、要点か所を以下に引用する。なお古い発想から抜けきれない日系企業には参考になるだろう。

--上述した家電メーカーと住宅メーカーに共通するのは、地道にワン・トゥー・ワンのコミュニケーションを通じ、自社製品の高機能・高付加価値性を中国メディアや中国人消費者に対して伝えてきたことにある。両者は「日本ブランド=品質がよく、中国人に最も合っているブランド」とのロジックをほとんど使用していない。「日本ブランド」を使用した高品質・高付加価値の訴求という乱暴なロジックを使う代わりに、メディアワークショップや契約者イベントを通じ、個別に、丁寧に自社製品の優位性を訴求した。
 一方、業績悪化を招いた日系企業は、過去の「ある意味」で効率的なコミュニケーション戦略による成功体験を捨て切れず、地道なワン・トゥー・ワンのコミュニケーションによる努力を怠ってきたように思う。このため、反日デモ直後は中国メディアに広告・報道を掲載してもらうことがかなわずブランドシェアを落とし、他国メーカーにブランドチェンジした中国人消費者を再び呼び戻すだけの自社製品のベネフィットを伝えることができなかった。

以上

日本取材ツアー・・・来年も継続!

2017-05-08 15:19:55 | 日記
5日、授業を終えてから上海に飛び、1泊の後、朝一の便で大阪での結婚式に参列。その日の夜には上海にとんぼ返りしてまた1泊し、7日、大学図書館での日本取材ツアー発表会を終えた。目の回るような数日だったが、続いた重要行事が終わり、ホッとした。

特に昨日の発表会には、新華社の発行する週刊誌『瞭望東方週刊』の副編集長で、親友の王啓広氏が広東省仏山から駆けつけ、花を添えてくれた。彼は同誌で学生原稿を掲載するべく、編集作業に取り組んでくれている。実にありがたい仲間だ。



計6人の学生たちはそれぞれ以下の通り、自分が取材したテーマについて、概要の紹介と感想を語った。

1)北九州市の公害問題において女性、母親たちが果たした役割と、現代に受け継がれる環境保護教育とのかかわり
2)企業による環境保護に対する取り組み、技術革新とリサイクル産業の現況
3)普及する軽自動車や開発中の水素自動車からみた日本の省エネ社会
4)福岡県朝倉市の「泥打ち祭り」を通じてみた農業と祭祀の関係
5)福岡県桂川町・古野農場の合鴨農法を通じて考察した自然農法の意義
6)熊本の地熱料理研究所で感じた自然との共生

(訪日ツアー概要の紹介は閲覧可https://v.qq.com/x/page/q0500caey4f.html)

PPTのほか映像を計4本使った、バリエーションに富む構成に加え、内容も一学期分の講義に匹敵するほど中身が濃かった。環境保護を通じ、彼女たちが異文化への理解、グローバルな視点、そして学ぶことの楽しさを持ち帰ってくれたことがひしひしと伝わってきた。目に涙を浮かべながら話す学生を前にし、父親がわが子をみるよう、こちらも感無量だった。取材に協力をいただいた多くの方に、改めて感謝を申し上げたい。ありがとうございました!

また、北九州で出会った篆刻書道家、師村妙石氏と中国の縁、亡くした長男への思いを描いたフィルムも発表し、多数の参加者から「感動した」と評価を得た。師村氏に書いていただいた「新緑」は額装し、その場で展示した。大学にとってかけがえのない宝物となった。日本取材ツアーは初めてだったが、出席した学院長、副院長からは、「素晴らしい取材ツアーだった。是非、来年以降も継続しよう」と発言があった。参加した大学の下級生からは、さっそく、「次回は私が参加したい」とアピールがあった。肩の荷を下ろす間もなく、さらに背中を押されるような気持で一連のイベントを終えた。もちろん、当夜は王啓広氏に大学の同僚を加え、日が変わるまで飲み明かした。



終了後、6人からはかけがえのない「新緑」の仲間ができた、とメッセージがとどいた。発表会のポスターデザインで、しおりまで作ってくれた。4年生の卒論が終わってから、汕頭名物の牛肉鍋で発表会の打ち上げをすることになった。



汕頭大学を舞台に、新たな日中コミュニケーションの場生むべく、引き続き努力したい。