行雲流水の如く 日本語教師の独り言

30数年前、北京で中国語を学んだのが縁なのか、今度は自分が中国の若者に日本語を教える立場に。

「身内の恥を外で言いふらしてはならない」という中国のことわざ

2016-10-25 22:25:23 | 日記
「家丑不可外扬(jiachou buke waiyang ジャーチヨウ・ブクゥ・ワイヤン)」

日本語に訳せば「身内の恥を外にさらさない」という中国のことわざだ。「家」と「メンツ」を重んじる中国の文化を色濃く反映した象徴的な言葉だと常々感じている。だが中国のメディアが適当ではない使い方をしているのをときどき見かける。

たとえば、習近平国家主席が外遊し、訪問先で「中国はGDPで世界2位になったが、一人当たりの数値はだいぶ劣っている。まだまだ先進国の水準には程遠い」と発言すると、「国家主席はあえて身内の恥さらす度量を示した」などと評する。習近平に限らず、毛沢東も鄧小平も、中国の歴代指導者は自分たちが遅れていることを認めてきたし、今さらそれが「身内の恥」だとは言えない。ましてインターネット時代において、たいていの事実は隠しようがない。

また、中国で政府の不祥事や反社会的事件が起き、それについてある中国人識者が外国メディアにコメントをすると、「わざわざ国の恥をそとに吹聴した売国奴だ」とインターネットで攻撃される。これもまた本来の言葉の意味を取り違えている。外国とつながっただけで迫害された文化大革命時代を彷彿させる情景だ。中国国内で事件を隠蔽しているのならともかく、大きな社会問題となっている事柄について、国内から関心が集まるのは当然であり、かつそれは大国の証であるのだから、むしろ歓迎すべきである。

そういう時、私は逆に「大国的風度(大国の度量)」こそふさわしいと周辺に話す。たいていの者はそれで納得してくれる。偏った意見を持つ者は一部分でしかない。どこの国も同じである。だがインターネットばかりを見ていると、あたかも特定の意見が大多数を代表しているかのように錯覚してしまう。外国のメディアはこの点、安易なステレオタイプな報道に陥らないよう、自戒しなければならない。

では、このことわざはどんな時に使うのがふさわしいか。ある日系企業で最近、起きた話がある。

日本人上司が経理を担当する中国人部下の不正を疑い(実際は単なる思い違いだったのだが)、その部下に直接問いただすことをせず、内緒で取引先に金銭の出入りを問い合わせた。中国人の部下は経験が豊富で、取引先との関係も深い。日本人は組織の力を信じるが、中国は深い人間関係で成り立っている社会である。部下と取引先の中国人はツーカーの仲だ。そこでどういうことが起きたか。取引先の中国人が部下に個人的な関係を通じてこう伝えたのだ。

「お宅の上司からこんな問い合わせが来たけど、全くあなたを信用していないんだね。やり口がずるくて、姑息だ。『家丑不可外扬』ということをわかっていないダメな上司だね。気を付けた方がいいよ」

日本人の上司はこうして、自分の身内から背を向けられるだけでなく、取引先からも軽蔑される。彼はおそらく、日本で覚えた生半可なリスク管理のマニュアルに従い、適切に処理をしたと思っているのだろうが、全く正反対の結果を招いている。金銭問題で人を疑うのはよほど注意しないといけない。もし疑問があるのであれば、はっきり面と向かって尋ねればよい。相手はそれを根に持ったりはしない。むしろ裏でコソコソやる陰湿なやり方の方がはるかに反発を受ける。

日本では名の通った一流企業での出来事だ。特異なケースだとは思えない。最近、そういう上司が増えているのではないか。部下を信用せず、他社を頼る上司。新聞社で言うと、自社の記者が送ってきた原稿を信用せず、他社の記事に過剰反応を起こす出来の悪いデスクたちだ。そんな職場ではまともなコミュニケーションが生まれない。ろくな紙面ができない。

私の方が日本人の恥をさらしたようで、「家丑不可外扬」と言いたくなった。