行雲流水の如く 日本語教師の独り言

30数年前、北京で中国語を学んだのが縁なのか、今度は自分が中国の若者に日本語を教える立場に。

規律検査委が前代未聞の処分取り消し・・・先生たちは拍手喝采!

2016-10-17 19:29:55 | 日記
中国の腐敗調査は党の規律検査委員会(中国語表記は「紀律検査委員会」=「紀委」)が行う。法律には規定のない機関だが、中央から地方の末端まで組織の目が張り巡らされ、法を超越した権限を持つ。習近平が大物官僚を次々と摘発している反腐敗キャンペーンは、みなこの「紀委」が調査をし、事実上の処分を決定している。トップである党中央規律検査委書記は、チャイナセブン(党中央常務委員7人)の一人、王岐山だ。日本式に言えば、泣く子も黙る「紀委」である。

その「紀委」が教師を〝冤罪〟に陥れる大失態を犯した。

ことの発端は教師節前日の9月9日金曜日午後、山西省長治市屯留県の高校2年を受け持つ教職員24人が休校になった後、酒宴を開いたことだ。教師節は政府が定めたもので、年に1回、教師に感謝する日である。休日にはならないが、半日休などにする学校はある。教師節の際、教師が保護者から金品を受け取る風習が常態化していたが、党・政府は「教育腐敗」として厳しく禁じるようになった。

問題の酒宴だが、トータルの支払いは計900元ほどで、割り勘で支払った。1人当たり40元、日本円で700円ほどのものだ。午後から休暇に入っており、公費を使ったわけでもないが、同県の「紀委」が党機関紙上で、教職員の行為を「モラル建設の要求を満たしておらず、全県の教育界、教師全員のイメージに泥を塗った」と痛烈に批判した。だれかが通報したのだろう。

もしこの批判が確定すれば、24人はもともと少ない給料を減らされ、当てにしていたボーナスも支払われない可能性が高い。彼ら、彼女らにとってはただ事では済まない事態だ。ネットでは処分の内容が流れ、いくら腐敗に厳しい世論も、教師たちには同情の声を送った。人民日報の微信(ウィー・チャット)調査でも58%が「杓子定規だ」と感じ、新華社も微信で「いいお経も坊さんの口が曲がっていたら悪いお経になる」と「紀委」の恣意的な処分を批判した。

我が大学でも、新聞学院の先生たちとバスを借りて遠出をしようかと話し合っていただけに、「割り勘が必須。お酒はやめようか」などと冗談を言い合っていた。誰に聞いても納得のゆかない処分であることは確かだった。

そして昨日の16日、とうとう問題を批判した「紀委」の上部機関である山西省長治市規律検査委が、「処理の根拠、処理の方法などに不適当かつ不適切な問題があった」と処分を取り消す通知を公表した。そのうえ、「事実に基づき、客観公正な立場で、関係者の責任を追及する」と宣言した。これもまた規律強化の結果であろう。

習近平の綱紀粛正キャンペーンはかなり広範に浸透している。時にこうした行き過ぎがあり、政府機関はヘトヘトに疲れているが、庶民からの受けは良い。これまでの腐敗が度を越していたからだ。父親が党幹部という地方の村出身の学生からは、「父親は以前、呼ばれた時だけ役所に行って、ふだんは農作業をしていたが、習近平が国家主席になってからは毎日朝から出勤するようになった」との話を聞いた。中国の指導部が、本気に何かを変えようとしていることは確かだ。

地に足のついた生き方を求める中国の若者たち

2016-10-17 15:59:17 | 日記
担当科目「ニュース事例研究」のクラスにユニークな女子学生がいる。半年間休学し、同級生と2人で中国の農村を旅して回り、今学期から戻ってきた3年生の女子だ。都市と農村との情報格差に関するテーマを取り上げた際、彼女の体験も話してもらった。すると「授業では一部分だったので、是非、私たちの報告会に来てほしい」と案内を受けた。昨晩、図書館のホールに足を運ぶと、100人以上の学生が集まっていた。



報告会のタイトルは「生活のより多くの可能性を探究する」とある。



招待状にある「不見不散(bujianbusan)」とは、「会わなければ別れない」つまり「必ず来てください」の意味だ。

雑多な都市文化から離れ、自然と向き合いながら人間の本来の姿、自分の進むべき道を探ろう、と彼女たちは遊学を選んだ。大学で書物に向き合うだけでは物足りなかったのだろう。休学なので、大学側は決して奨励できない立場だが、支持をする外国人教授が何人か会場にいた。

都会のホワイトカラーが砂漠のような日常に疑問を感じ、しばし田舎を旅するという話をよく聞く。だが、進学、就職と激しい競争にさらされる現代の中国人学生の中で、〝途中下車〟は珍しい。教育ママやパパにしてみれば、せっかく苦労して大学に進ませた娘の破天荒な行動を、そう簡単に承諾するわけにはゆかない。だが2人の熱意がそれを乗り越えた。両親を説得したのは、「独立した精神、自由な思想を持った人間になりたい」という言葉だった。

雲南省を中心に、各地の農村振興プログラムにボランティア参加するという形での旅だった。当初からそう考えていたわけではない。歩いているうちに、人に出会い、自然とそういう流れになったのだという。若者に不可欠の携帯アプリとなっている微信(ウィー・チャット)が、次の行動を決める貴重な情報源になった。

農村に自分たちでワラ入りの粘土を作り、レンガを積み上げて家を作った。井戸の水を汲み、畑の野菜を収穫し、料理を作った。残り物は家畜に与え、少しも無駄にはしなかった。環境に配慮した「持続可能な農業」を目指す欧米の「Permaculture(パーマカルチャー)」が、「朴門」という中国語になって実践されていることも知った。大学では学び得なかったことだ。

ギターで歌を歌いながら、道端で手作りのミルクティーを売る経験もした。農村のお年寄りを撮影し、即席の写真展を開いて地元の人々と心を通わせた。多くの農民が土地を捨てて都市に流れているが、彼女たちが訪れた農村では、すべての人が「この土地を愛しているから、出ていきたくない」と答えるのに圧倒された。地元の人々の気持ちを第一に考え、尊重しながら、都会の文化と融合を図っていくべきだ。彼女たちはこんな教訓も学んだ。

急ぎ過ぎた成長の陰で、人の心がすさんでいる。科学技術がもたらす成長への盲信、それによってもたらされた伝統的な農村文化の荒廃。どこまで行けば止まるのか、不安を乗せ疾走する高速鉄道の行方はだれにもわからない。少し立ち止まって考えようとする若い芽は、たとえ微小であっても大切にしなければならない。ささやかな一歩の積み重ねが、いつか大きな流れを生むかも知れない。むしろそうすることによってしか、未来は見えてこない。

報告会では、ギターで自作の曲も披露した。現地での記録映像に加え、旅先で知り合った人々と会場から音声チャットで対話する趣向もあった。自分たちが楽しんでいるさまが目の前で感じられる会だった。学生からの質問で、将来の計画を尋ねられた2人は、

「有機農業をやりたい!できれば自分たちのブランドでミルクティーも売りたい!」

と答えた。「生活が成り立つ目算はあるのか?」と畳みかけられると、

「今の社会、食べていく道はいくらでもある。生活するのに困ることはない」

と、自信をもって言い返した。大学の敷地内にすでに農地を確保しているという。週末、彼女たちの畑に行って汗を流すのも悪くはない。早速、ボランティア(義工)を名乗り出ておいた。

アニメを通じて中国に流入する日本語の音訳(続き)

2016-10-17 01:08:38 | 日記
アニメの影響で、日本語の音がそのまま中国語の漢字で音訳されているケースが目立つようになった、といくつかの例を挙げたら、もっとあると教えられた。

「米那桑三(minasan)」 みなさん
「纳尼(nani)」 なに!?
「啊里嘎脱(aligatuo)」 ありがとう
「撒腰那拉(sayaonala)」 さようなら

まだまだ増えそうな勢いだ。

2014年5月11日、読売新聞紙面に書いたコラムを思い出した。日中の言語交流に関するものだ。参考のため以下に添付する。



日中「友好」に代わる漢字
◇中国駐在編集委員 加藤隆則    

 先日、中国の時事雑誌編集長と会食をした際、「今日の服装はすごく『萌』だね」と言われてびっくりした。「萌」は中国語で「meng」と発音する。日本のアニメで使われる「萌(も)え」が伝わり、ネットを中心に「かわいい」といった意味で広く使われている。彼の年齢は50歳近い。情報のグローバル化で自由に国境を行き交う若年世代が新時代の言葉を創造している。
 日本留学経験のある39歳の中国人女性は、中学生の娘に「テストはできた?」と尋ねたところ、「微妙(びみょー)」と日本語で返答されたので驚いた。日本のアニメで覚えたものだ。中国語の「微妙(weimiao)」は表現しがたいものを形容する言葉だが、「びみょー」は否定的な意味を含む。これもまた日本式漢字の輸入と言ってよい。
 一方、日本の漢字には中国の文化史も刻まれている。一つの漢字に異なる音読みがあるのは、中国から伝わった時期、地域の違いを反映する。また、「湯」は熱い水だが、現代中国語では主にスープの意。「湯」は中国元来の用法をとどめる。中国は字体も簡略化され、日本の方が原形に近い。
 漢字を日常的に使用している日中は、交流も深いが誤解も生まれやすい。たとえば理解と了解。日本では「あなたの主張は理解するが了解はしない」と言うが、中国では「了解したが理解はできない」となる。相手の意向を受け入れる度合いが逆だ。同じ文字、異なる文化による相互理解はかくも難しい。
 日中友好という言葉がある。1972年の国交正常化を機に多用されてきた両国特有の政治スローガンだ。戦争の歴史を乗り越えようとする特別な意志が込められているが、「友好」の文字と意味を共有していると信じられてきた。
 中国は日本の軍国主義と戦争被害者である一般国民を分け、後者に「友好」を呼びかけてきた。片や日本はA級戦犯と戦死した兵士を合祀(ごうし)することに多くの人々が違和感を持たないまま戦争の反省を続け、「友好」を夢見てきた。漢字は同じでも中身は異なっていた。
 「日中関係は戦後最悪」と言われる。そこには国交正常化から、日本が中国の改革・開放政策を支援した80、90年代に至る蜜月時代の思い出が下敷きにある。先人の努力は尊いが、援助する側とされる側の関係から、中国が国内総生産(GDP)で日本を超え、相互依存へと経済的な関係が変わった今日、過去との比較から突破口は見つからない。
 言葉の交流が物語るように、若い世代は次々と新たな動きを生んでいる。貴重な遺産を引き継ぎつつ、その上に新たな関係を築くべき時が来ている。「友好」に代わる新たな漢字を創造すべきではないのか。

表語文字の中国語に大きな変化が起きている

2016-10-17 01:06:39 | 日記
中国語の漢字は一つ一つが固有の音と意味を持つ表語文字だ。だが外来語にはその音に漢字の音を当てる場合もある。これは音訳と呼ばれる。幽黙(youmo ユーモア)や巧克力(qiaokeli チョコレート)、麦克風(maikefeng マイクロフォン)などは、原語のイメージをうまく表した好例である。

日本人は自分たちの言葉を表す文字として漢字を借用し、漢字の意味もまた取り込んできた。さらに和製漢字も考案し、それが中国に逆輸入されるケースもある。近代以降、日本人が真っ先に西洋の概念を漢字に翻訳したが、大半は中国の日本留学生がそのまま持ち帰った。インターネットで言語の行き来が頻繁になると、「人気」「宅男」「宅女」「萌」などが流入し、中にはすでに辞書に採用されている。

日本語が入ってくるパターンは表語文字としての漢字の形態ばかりかだと思っていたが、アニメの影響で、日本語の音がそのまま中国語の漢字で音訳されているケースが目立つようになった。日中の言語交流史においては前例のない現象ではないかと思う。

若者と携帯のチャットでやり取りをしていると、こんなスタンプが押されてくる。



卡哇伊(kawayi カワイイ!)。「カワイイ」の中国語訳はすでに「可愛」(keai)が定着しているが、それには飽き足らず音まで入ってきたというわけだ。



干吧爹(ganbadie 頑張って!)。中国語には「加油!」(jiayou 頑張れ)の用語があるが、それと並んで使われているのだ。



西奈(xinai 死ね~)。言葉通りに受け止めてはいけない。遊びで相手を非難しているだけだ。

次のように、漢字ならではの意味と音のミックス翻訳もある。



壁咚(bidong 壁ドン)。恥ずかしながら、私は中国語で初めて「壁ドン」の意味を知った。

学内には、約1キロにわたるコンクリート壁に、芸術専攻の学生が思い思いの絵や造形美術を展示したスペースがある。



そこでこんな絵を見つけた。



「ちくしょう」「調子こいてんじゃねーぞ」「誰に向かってもの言ってるんだ」と日本語がそのまま書かれている。抗日戦争で日本軍兵士の常套句「バカヤロー」が有名になっているのも困ったものだが、決して日常会話とは言えないアニメ言語をそのまま真似るのもどうかと思う。余裕ができたら、日中言語の比較を含め、文化交流に関する講座も開こうと思っている。