行雲流水の如く 日本語教師の独り言

30数年前、北京で中国語を学んだのが縁なのか、今度は自分が中国の若者に日本語を教える立場に。

ようやく届いた東京の荷物・・・1か月半は短い

2016-10-15 20:55:04 | 日記
8月末に船便で送り出した東京からの荷物が昨日、深圳経由で届いた。2、3か月は覚悟していたが、1か月半の特急だった。南方の効率の良さを改めて認識した。書籍が10箱ほどあったが、まったく開封もされていなかった。

来週、北京の学術会議に出席の予定があったので、スーツやセーターが間に合ったのは大いに助かった。何よりもうれしかったのは、中国でずっとそばにおいていた二幅の絵が届いたことだ。



上海に赴任して間もなく、江蘇省蘇州の寒山寺の門前で買い求めた一幅の水墨画。老人が一人で岸壁に腰掛け、釣り糸を垂らしている。岸壁は力強い一筆で描かれ「独釣」と題がある。

柳宗元の詩「江雪」に以下の詩がある。

千山鳥飛絶 千山 鳥の飛ぶこと絶え
萬徑人蹤滅 万径 人の蹤(あと)滅(き)ゆ
孤舟蓑笠翁 孤舟(こしゅう) 蓑笠(さりゅう)の翁(おきな)
独釣寒江雪 独り釣る 寒江の雪

蓑と笠を身に着けただけの老人が一人、雪の降る中、舟て釣り糸を垂れている。山々には鳥の姿も見えず、道という道にも人影が消えた。老人の「独釣」が周囲の静寂をさらに際立たせる。老人は釣りに託し、黙考しているのだ。長い来し方を振り返り、人生の滋味に浸っている。人生そのものが孤独なのだ。だからこそ自分と向き合うしかない。孤独と向き合うことによって、それを我が物とすることができる。そうすることによってしか、孤独から逃れることはできない。私にはそう思える。

「独釣」は中国でしばしば取り入れられる画題だ。上海から北京へと、赴任地が変わっても持ち歩き、部屋の目立つ場所に置いて毎日眺めてきた。異国の地で記者の孤独を感じながら、その絵に思いを重ね合わせた。竿から垂れる糸は、白い余白の中で先が消えている。釣れる望みのない釣りをしながら、老人は何を自問しているのだろう。そんなことを問いかけ続けたが、少し答えが見えてきたような気がしている。私の欠くべからざる同行者なのだ。



もう一幅は北京に移ってから、骨董市場「潘家園」で見つけた真っ赤な背景の絵だ。袈裟のような着物を着た坊主頭の男が、背を向け、傘を差して歩いている。素足のようでもある。影は小さく、やわらかい動きは女性的だ。ここにも孤独がある。彼がこの世にいる唯一の証が影のように見える。人の微小さ、それでも確かさを持った息遣いがある。雨を避ける意思を持ち、確かに歩んでいるのだ。

この絵は事務所に置いていた。困難な仕事に出会うたび、自らの後姿を追うような気持で見続けてきた。彼もまた私の同行者なのだ。ようやく仲間がそろった。祝杯でも挙げたい気分だ。

在中国の外国人が3ランクに分けられるという話

2016-10-15 19:39:50 | 日記
先日、大学内の学生メディアから取材を受けた。取材自体は珍しくないが、テーマが面白かった。中国政府による新たな外国人ランク分け管理制度についての感想を聞きたいのだという。

中国では来年4月1日、訪中外国人に関する新たな就業許可新制度を導入するにあたり、今年10月1日から北京、上海、広東など全国9か所でテストを始めたと報じられた。従来、外国人は専門家と就業との2タイプに分けていたが、その管理を一元化し、今度はABCランクに格付けをする。中国人力資源社会保障省が発行する新聞『中国組織人事報』によると、A類は高度の専門性を持ち、またイノベーションにかかわる人材。B類は管理や技術の専門家であって、国際貿易やスポーツ、文化、教育文化の分野で中国人でも代替可能な仕事は制限を受ける可能性がある。C類は非技術、サービス部門の人材で、厳しく制限を受ける。

つまり、中国の経済社会建設に貢献する有能、有用な専門家は歓迎するが、中国人の就業機会を奪う一般職の人材や、必要度が低い単純労働の人材は排除するということだ。給与や教育水準、中国語能力、年齢などによってポイントをつけ、85点以上はA、それ未満で60点以上はB、それ以下はCとなる。

広東省はテストエリアの一つだが、今のところ大学には関係部門からの通知が来ていないという。北京でも動きがみない。各地方とも戸惑っているのだろう。構造改革が大きな政治課題の懸案になっており、実際、大都市は国際シンポジウムの開催や名誉市民称号の表彰などによって、とっくに優秀な人材の発掘や確保を進めている。地方間で外国人の人材争奪戦が繰り広げられているのだ。

学生記者から「どんな感想を?」と聞かれ、

「不透明な基準でランク付けされるのは気持ちいいもんじゃないよね。まあ肝心なのはビザだから、ビザさえもらえればどんなランクでも気にしない。むしろ気になるのは政府の評価じゃなくて、学生や大学からの評価かな」

と答えた。中国には200万人の外国人がおり、うち30万人が不法就労だと言われている。政府の意図は高級な人材を集める一方、こうした不要な違法分子を追い出すことある。改革開放後、外国の資本と技術に頼って成長を続けてきた中国が、ようやく外国の人材に対し選別を始めたということだ。外国人であれば猫も杓子も「外賓(ワイビン)」と言ってもてはやされた時代は終わったのだ。

だが露骨にランク分けするのはいかにも合理的な中国人的発想だ。中国人からすれば、優れた人はきちんとしかるべき評価を与え、称えるべきだということになるのだろう。平等主義に慣れた日本人にはちょっと抵抗があるに違いない。

中国の生産年齢人口(15~59歳)はすでに2012年から減少に転じている。高成長は望めない中、サービス産業やイノベーションで優位に立つ外資の導入が喫緊の課題である。と同時に、国内賃金の上昇で、安価な途上国の労働力に頼らなければならない時代も遠からずやってくる。自国民の就業機会を確保しつつ、代替の出来ない有益な外国人のみを呼び込む戦術は、頭で描くほど簡単ではないだろう。自分がニュースの渦中にいることに気づかされ、不思議な感覚がした学生からのインタビューだった。