8月末に船便で送り出した東京からの荷物が昨日、深圳経由で届いた。2、3か月は覚悟していたが、1か月半の特急だった。南方の効率の良さを改めて認識した。書籍が10箱ほどあったが、まったく開封もされていなかった。
来週、北京の学術会議に出席の予定があったので、スーツやセーターが間に合ったのは大いに助かった。何よりもうれしかったのは、中国でずっとそばにおいていた二幅の絵が届いたことだ。
上海に赴任して間もなく、江蘇省蘇州の寒山寺の門前で買い求めた一幅の水墨画。老人が一人で岸壁に腰掛け、釣り糸を垂らしている。岸壁は力強い一筆で描かれ「独釣」と題がある。
柳宗元の詩「江雪」に以下の詩がある。
千山鳥飛絶 千山 鳥の飛ぶこと絶え
萬徑人蹤滅 万径 人の蹤(あと)滅(き)ゆ
孤舟蓑笠翁 孤舟(こしゅう) 蓑笠(さりゅう)の翁(おきな)
独釣寒江雪 独り釣る 寒江の雪
蓑と笠を身に着けただけの老人が一人、雪の降る中、舟て釣り糸を垂れている。山々には鳥の姿も見えず、道という道にも人影が消えた。老人の「独釣」が周囲の静寂をさらに際立たせる。老人は釣りに託し、黙考しているのだ。長い来し方を振り返り、人生の滋味に浸っている。人生そのものが孤独なのだ。だからこそ自分と向き合うしかない。孤独と向き合うことによって、それを我が物とすることができる。そうすることによってしか、孤独から逃れることはできない。私にはそう思える。
「独釣」は中国でしばしば取り入れられる画題だ。上海から北京へと、赴任地が変わっても持ち歩き、部屋の目立つ場所に置いて毎日眺めてきた。異国の地で記者の孤独を感じながら、その絵に思いを重ね合わせた。竿から垂れる糸は、白い余白の中で先が消えている。釣れる望みのない釣りをしながら、老人は何を自問しているのだろう。そんなことを問いかけ続けたが、少し答えが見えてきたような気がしている。私の欠くべからざる同行者なのだ。
もう一幅は北京に移ってから、骨董市場「潘家園」で見つけた真っ赤な背景の絵だ。袈裟のような着物を着た坊主頭の男が、背を向け、傘を差して歩いている。素足のようでもある。影は小さく、やわらかい動きは女性的だ。ここにも孤独がある。彼がこの世にいる唯一の証が影のように見える。人の微小さ、それでも確かさを持った息遣いがある。雨を避ける意思を持ち、確かに歩んでいるのだ。
この絵は事務所に置いていた。困難な仕事に出会うたび、自らの後姿を追うような気持で見続けてきた。彼もまた私の同行者なのだ。ようやく仲間がそろった。祝杯でも挙げたい気分だ。
来週、北京の学術会議に出席の予定があったので、スーツやセーターが間に合ったのは大いに助かった。何よりもうれしかったのは、中国でずっとそばにおいていた二幅の絵が届いたことだ。
上海に赴任して間もなく、江蘇省蘇州の寒山寺の門前で買い求めた一幅の水墨画。老人が一人で岸壁に腰掛け、釣り糸を垂らしている。岸壁は力強い一筆で描かれ「独釣」と題がある。
柳宗元の詩「江雪」に以下の詩がある。
千山鳥飛絶 千山 鳥の飛ぶこと絶え
萬徑人蹤滅 万径 人の蹤(あと)滅(き)ゆ
孤舟蓑笠翁 孤舟(こしゅう) 蓑笠(さりゅう)の翁(おきな)
独釣寒江雪 独り釣る 寒江の雪
蓑と笠を身に着けただけの老人が一人、雪の降る中、舟て釣り糸を垂れている。山々には鳥の姿も見えず、道という道にも人影が消えた。老人の「独釣」が周囲の静寂をさらに際立たせる。老人は釣りに託し、黙考しているのだ。長い来し方を振り返り、人生の滋味に浸っている。人生そのものが孤独なのだ。だからこそ自分と向き合うしかない。孤独と向き合うことによって、それを我が物とすることができる。そうすることによってしか、孤独から逃れることはできない。私にはそう思える。
「独釣」は中国でしばしば取り入れられる画題だ。上海から北京へと、赴任地が変わっても持ち歩き、部屋の目立つ場所に置いて毎日眺めてきた。異国の地で記者の孤独を感じながら、その絵に思いを重ね合わせた。竿から垂れる糸は、白い余白の中で先が消えている。釣れる望みのない釣りをしながら、老人は何を自問しているのだろう。そんなことを問いかけ続けたが、少し答えが見えてきたような気がしている。私の欠くべからざる同行者なのだ。
もう一幅は北京に移ってから、骨董市場「潘家園」で見つけた真っ赤な背景の絵だ。袈裟のような着物を着た坊主頭の男が、背を向け、傘を差して歩いている。素足のようでもある。影は小さく、やわらかい動きは女性的だ。ここにも孤独がある。彼がこの世にいる唯一の証が影のように見える。人の微小さ、それでも確かさを持った息遣いがある。雨を避ける意思を持ち、確かに歩んでいるのだ。
この絵は事務所に置いていた。困難な仕事に出会うたび、自らの後姿を追うような気持で見続けてきた。彼もまた私の同行者なのだ。ようやく仲間がそろった。祝杯でも挙げたい気分だ。