行雲流水の如く 日本語教師の独り言

30数年前、北京で中国語を学んだのが縁なのか、今度は自分が中国の若者に日本語を教える立場に。

異なる文化を知るための第一歩・・・それは自分の文化を知ること

2016-10-28 20:51:48 | 日記
上海駐在中、しばしば南京に足を運び、地元の人々と交わり、南京事件と向き合う記事を書いてきた。「日中関係は南京から」との信念は今も変わらない。困難なことから目をそらせば、真の相互理解につながらない。だから靖国問題は格好のテーマでもある。異文化のコミュニケーションは学際間の研究が進んでいるが、メディア論においても重要なテーマである。メディアが世論に与える影響は無視できない。

メディアは、ステレオタイプの世論に縛られ、受け手の求めるものを伝える「蛙の子は蛙」のような補強機能を持つと同時に(いわゆる大衆迎合と呼ばれるものもそうであるが)、複雑な政治問題については争点を単純化して伝え、世論を容易に誘導する作用も持っている。後者の機能については、メディアがしばしばその誘惑に抗することができず、誤った世論操作に手を染める。ナショナリズムのからむ異文化同士のコミュニケーションにおいては特にその危険が大きく、戦争はその極端な例である。

この点においては、ドイツに生まれ育ち、米国のオレゴン大学などで学んだK.Sシタラムが、自身の特異な人生経験を踏まえ、貴重な考え方を提供してくれる。『異文化間コミュニケーション(FOUNDATIONS OF INTERCULTURAL COMMUNICATION)』(1985東京創元社、御堂岡潔訳)に詳しい。

シタラムによれば、コミュニケーションの過程をMSN(Mind心、Sense感覚、Mediaメディア)の三つに分ける。それぞれが情報の保持(心)、知覚(感覚)、表現(メディア)の役割を担う。「心」「感覚」という概念が直感を重んじるインドの文化を感じさせる。

情報の送り手、受け手とも心の中に異なる文化的背景を持ったメッセージが貯蔵されている。心の中では記憶によってメッセージが取捨選択される。ここに価値の葛藤が生じる。周囲の環境は感覚器官を通じて知覚され、情報を出し入れするチャンネルとして働く。メッセージは感覚のフィルターにかけられるのだ。メッセージの交換を行うのがメディアであって、言語による場合も非言語による場合もある。メディアの形態もまた文化が影響を及ぼす。

シタラムは宗教や民族によって、よって立つ文化的価値、背景が異なり、相互のコミュニケーションのためにはこうした文化への理解、尊重が欠かせないと説いた。多宗教、他民族のインドで育ち、同じく多くの文化が葛藤する米国で学んだ経験に裏付けられたものだ。今では新鮮味がないが、時代的背景を考えれば、欧米中心のエスノセントリズム(自自文化中心主義)に対抗した先駆的な功績がある。不十分ながら日本文化への言及も少なくない。

例えばこんなくだりがある。

「アジアの諸文化では、非暴力的なコミュニケーション方法が非常に尊重されている。例えば日本では、人々はビジネスの交渉の場で力を示すのを避ける傾向にある。日本人は交渉相手に『いいえ』ということ言うことすらためらう。同意できない際に『いいえ』と言わずにすむ別の方法を、いくつか持っているのである。なされた質問に対し返答しないというのがその一例である。経験の乏しいアメリカ人の実業家が日本の実業界で意思疎通を図ろうとする際、日本人が積極的ではないということに留意しようと努めるかもしれない。それでも、みずからの優越性を示そうとするときは、積極的な実業家としての自分のイメージを押し出して、行動してしまうだろう」

シタラムの著で興味深かったのは、1972年のニクソン訪中で、通信衛星インテルサットⅣが米国民に生放送でベールに包まれた共産国の素顔を伝え、米中の相互理解に大きな役割を果たしたことを強調していることだ。訳者が指摘するように、ニクソン・ショックによよって、密接と思われていた日米交流への反省が生まれ、そこからから日本での異文化コミュニケーション研究に火が付いたとすれば、日米、米中、日中はそれぞれコミュニケーションにおいても不可分に結びついていると言える。

気が付いたら靖国神社研究を申し出た女子学生と3人で作った連絡用のチャットグループの名が、「靖国神社小分隊加油!」となっていた。「加油」は「がんばれ」の意味だ。若者たちのこの軽さ、明るさもまた文化の一つなのだろう。(続く)

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