年末から年始にかけ『陶淵明全集・上下』(岩波文庫)をめくっていて、ある表現が目に留まった。『詠貧士』と題する晩年の詩で、清貧の文人をたたえた作品だが、これまでは読んでもさして気にかけなかった。ふだん歩き慣れた道で、ふとした気まぐれから路傍の花を見つけたような驚きだった。その詩は世俗を遠ざけた高士(仲蔚)をこう称えていた。
擧世無知者 止有一劉龔 此士胡獨然 實由罕所同 介焉安其業 所樂非窮通
(世間ではだれも仲蔚を知る者はなく、劉龔という友人だけが彼を認めていた。なぜ劉龔というこの士のみがただ一人心を通わせたのか。それは世にも珍しく彼のみが志を同じくしていたことによる。すなわち栄達に未練なく、自分の仕事に打ち込み、成否にも心をとらわれなかったからだ)(松枝茂夫・和田武司訳)
目に留まったのは「士」の一文字、そしてその志を「栄達に拘泥せず、仕事に打ち込む」とした表現だ。そのわけは、昨年11月に亡くなった高倉健さんと深い関係がある。
健さんの訃報は中国でも速報された。中国では文化大革命が終結した直後の1978年、初の海外作品の一つとして公開された健さん主演の映画「君よ憤怒の河を渉(わた)れ」(中国名「追捕」)が、観客数延べ1億人にのぼる大ヒットとなり、多数の高倉健ファンを生んだ。追悼には国内スターを越える熱があったが、中でも、チャン・イーモウ(張芸謀)監督が2009年、著名映画評論家・魏君子のインタビューに答え、健さんを「士」と評した記事がインターネットで転載され、話題を呼んでいた。以来、私は「士」の意味を問い続けてきた。
インタビュー記事は、チャン監督が健さんを主人公に招いた映画「単騎、千里を走る。」のエピソードに触れていた。当時、健さんは70歳を過ぎていたが、自分の出番を撮り終えても暗くなるまで約3時間、周囲に気付かれないよう撮影を見守った。仕事を終えたロケ隊が車で去るのを、深くお辞儀して見送った。派手な銀幕のスターとは無縁の、謙虚で堅実な役者の姿だった。監督は「細かいことの全てに偽りがなく、心の表現だった。これこそが『士』だ」と語った。記事のタイトルは「士の徳行」だった。
「士」とは何か。中国の字典には「古代の身分階級」「兵士」などとあるだけだ。周囲の中国人に聞くと、忠義心にかかわる「士は己を知る者のために死す」という春秋戦国時代の故事成語を引用し、「高徳を備えた人物。男の中の男だ」と答えが返ってきた。大上段に構えたようでストンと落ちないが、人の徳にかかわる評価であることは間違いない。世俗的な権勢や名声ではなく、言動に表れた品格によるものだ。チャン監督が伝えたかったのは、国や民族の英雄が示す一大事の徳目ではなく、日常のささいな所作の中で表現される徳行だった。つまり「栄達に未練なく、自分の仕事に打ち込み、成否にも心をとらわれない」士である。
現代文における「士」は日中とも、専門職の呼称に使われる言葉だ。職業とは切っても切り離すことができない。近年、中国では訪日観光が大ブームだが、日本滞在中に感銘を受けた土産話としてよく耳にするものの一つが、ハイヤーの運転手が帽子を脱ぎ、深々と礼をする姿だ。サービス精神もさることながら、黙々と与えられた仕事に徹する日本人は、外からは極めて新鮮に映る。こうした職業意識もまた士に通ずるのではないか。
日本人にとっては、士を職人気質(かたぎ)とも評してもしっくりくる。その仕事へのこだわりが繊細で精巧なもの作り文化を支えてきた。国土が狭く、資源の少ない日本はこうした人の力に頼って世界における今の地位を築いたし、これからも同じ道を発展させていくしかないことは自明である。
陶淵明の詩に触れ、士の姿がはっきりと輪郭を結んできた。士とは、職業を自己表現、自己実現の重要な場だと考え、浅薄な名声や地位に拘泥せず、理想と徳行を妥協せずに追い求める人、である。健さんを追悼しながら日中両国の人々は共に、失われつつある士の姿を思慕したのではないか。そんな感慨を深めた年越しであった。
「田園詩人」とも評される陶淵明(365~427)は、「菊を採る東籬の下 悠然として南山を見る」(『飲酒』)の名句で知られる。飢えのために自らを曲げて仕官する生活を捨て、精神の解放を求め田畑で鍬を振るう清貧の通を選んだ。生への執着と運命を甘受する覚悟の間で苦悩し、人生を享受するすべを求道者のように探し続けた。激しく、超越したその思想は、魯迅や林語堂など中国の文人に愛されてきた。困難な状況にある現代の知識人にもしばしば、「大化の中に縦浪(しょうろう)し 喜ばずまた懼(おそ)れず」(『形影神』)(人生の大きな変化に身を委ね、ささいなことに一喜一憂しない)との心構えが自戒の言として引用される。
軽佻浮薄な文化がはびこる現代にあって、陶淵明が描いた「士」の姿、そして彼を生んだ中国が健さんに贈った「士」の評価を、もう一度かみしめたい。
擧世無知者 止有一劉龔 此士胡獨然 實由罕所同 介焉安其業 所樂非窮通
(世間ではだれも仲蔚を知る者はなく、劉龔という友人だけが彼を認めていた。なぜ劉龔というこの士のみがただ一人心を通わせたのか。それは世にも珍しく彼のみが志を同じくしていたことによる。すなわち栄達に未練なく、自分の仕事に打ち込み、成否にも心をとらわれなかったからだ)(松枝茂夫・和田武司訳)
目に留まったのは「士」の一文字、そしてその志を「栄達に拘泥せず、仕事に打ち込む」とした表現だ。そのわけは、昨年11月に亡くなった高倉健さんと深い関係がある。
健さんの訃報は中国でも速報された。中国では文化大革命が終結した直後の1978年、初の海外作品の一つとして公開された健さん主演の映画「君よ憤怒の河を渉(わた)れ」(中国名「追捕」)が、観客数延べ1億人にのぼる大ヒットとなり、多数の高倉健ファンを生んだ。追悼には国内スターを越える熱があったが、中でも、チャン・イーモウ(張芸謀)監督が2009年、著名映画評論家・魏君子のインタビューに答え、健さんを「士」と評した記事がインターネットで転載され、話題を呼んでいた。以来、私は「士」の意味を問い続けてきた。
インタビュー記事は、チャン監督が健さんを主人公に招いた映画「単騎、千里を走る。」のエピソードに触れていた。当時、健さんは70歳を過ぎていたが、自分の出番を撮り終えても暗くなるまで約3時間、周囲に気付かれないよう撮影を見守った。仕事を終えたロケ隊が車で去るのを、深くお辞儀して見送った。派手な銀幕のスターとは無縁の、謙虚で堅実な役者の姿だった。監督は「細かいことの全てに偽りがなく、心の表現だった。これこそが『士』だ」と語った。記事のタイトルは「士の徳行」だった。
「士」とは何か。中国の字典には「古代の身分階級」「兵士」などとあるだけだ。周囲の中国人に聞くと、忠義心にかかわる「士は己を知る者のために死す」という春秋戦国時代の故事成語を引用し、「高徳を備えた人物。男の中の男だ」と答えが返ってきた。大上段に構えたようでストンと落ちないが、人の徳にかかわる評価であることは間違いない。世俗的な権勢や名声ではなく、言動に表れた品格によるものだ。チャン監督が伝えたかったのは、国や民族の英雄が示す一大事の徳目ではなく、日常のささいな所作の中で表現される徳行だった。つまり「栄達に未練なく、自分の仕事に打ち込み、成否にも心をとらわれない」士である。
現代文における「士」は日中とも、専門職の呼称に使われる言葉だ。職業とは切っても切り離すことができない。近年、中国では訪日観光が大ブームだが、日本滞在中に感銘を受けた土産話としてよく耳にするものの一つが、ハイヤーの運転手が帽子を脱ぎ、深々と礼をする姿だ。サービス精神もさることながら、黙々と与えられた仕事に徹する日本人は、外からは極めて新鮮に映る。こうした職業意識もまた士に通ずるのではないか。
日本人にとっては、士を職人気質(かたぎ)とも評してもしっくりくる。その仕事へのこだわりが繊細で精巧なもの作り文化を支えてきた。国土が狭く、資源の少ない日本はこうした人の力に頼って世界における今の地位を築いたし、これからも同じ道を発展させていくしかないことは自明である。
陶淵明の詩に触れ、士の姿がはっきりと輪郭を結んできた。士とは、職業を自己表現、自己実現の重要な場だと考え、浅薄な名声や地位に拘泥せず、理想と徳行を妥協せずに追い求める人、である。健さんを追悼しながら日中両国の人々は共に、失われつつある士の姿を思慕したのではないか。そんな感慨を深めた年越しであった。
「田園詩人」とも評される陶淵明(365~427)は、「菊を採る東籬の下 悠然として南山を見る」(『飲酒』)の名句で知られる。飢えのために自らを曲げて仕官する生活を捨て、精神の解放を求め田畑で鍬を振るう清貧の通を選んだ。生への執着と運命を甘受する覚悟の間で苦悩し、人生を享受するすべを求道者のように探し続けた。激しく、超越したその思想は、魯迅や林語堂など中国の文人に愛されてきた。困難な状況にある現代の知識人にもしばしば、「大化の中に縦浪(しょうろう)し 喜ばずまた懼(おそ)れず」(『形影神』)(人生の大きな変化に身を委ね、ささいなことに一喜一憂しない)との心構えが自戒の言として引用される。
軽佻浮薄な文化がはびこる現代にあって、陶淵明が描いた「士」の姿、そして彼を生んだ中国が健さんに贈った「士」の評価を、もう一度かみしめたい。
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