行雲流水の如く 日本語教師の独り言

30数年前、北京で中国語を学んだのが縁なのか、今度は自分が中国の若者に日本語を教える立場に。

陶淵明『飲酒』忘憂の物に浮かべて、人生の価値を味わう

2016-03-10 23:16:16 | 日記
酒の呼び名は人それぞれいく通りもあるだろう。勇気を与えてくれる液体、友情を確かめる絆、愛を伝える使者、孤独をいやす薬。数え切れないほど中国の酒席に参加し、「酒を飲むことは気持ちを飲むこと」とも教わった。アルコール度数が50度以上もある白酒を一気にのどから流し込み、胃が焼けるような感覚を味わう。その激しさが感情の深さなのだという。

陶淵明は酒を「忘憂の物」と言った。「菊を採る 東籬の下、悠然として南山を見る」で知られる『飲酒』の「其七」に以下の句がある。

秋菊(しゅうきく) 佳色(かしょく)あり、
露をまとうてその英(はなぶさ)を掇(と)る。
此の忘憂の物に汎(う)かべて、
我が世を遺(わす)るるの情を遠くす。
一觴(いっしょう) 独り進むと雖も、
杯尽きて壺自ずから傾く。
日入りて群動(ぐんどう)息(や)み、
帰鳥 林に趨(おもむ)いて鳴く。
嘯傲(しゅうごう)す 東軒の下、
聊(いささ)か復(ま)た此の生を得たり。
(岩波文庫『陶淵明全集』)

「觴」は古代の杯である。菊は不老長寿の花とされる。風を引くと菊花茶を飲めと言われる。その菊が鮮やかな花を咲かせ、露に濡れている。手に取って杯に満たした酒、その名も「忘憂の物」に浮かべてみる。自然とともにある自分の境遇に満ち足り、俗世間を離れた思いがますます深まる。一人で酌をしているうちに、みるみる酒が進む。気が付くと酒樽にはもう空で、ごろんと転がっている。もう日は暮れて、動物たちは身を縮かませて休み、鳥も林のねぐらへ鳴きながら帰っていく。東の軒先からは月が見えるのだろう。だれにも気兼ねすることなく、自然に歌が出てくる。今日も自分の好きなように過ごした。まずまずの1日だった。

「得此生(此の生を得たり)」とはうまい言い方だと思う。順(順境)もあり、背(逆境)もある人生をいかに生きるべきか。起伏の中に、真の価値を追い求めた詩人の言葉である。



『飲酒』其十七も好きな一句であるが、別の機会に譲る。今日はまだ飲んでいない。どうしようか。「行き行きて故路を失うも、道に任さば或いは能く通ぜん」


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1 コメント

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いい話 (中井)
2016-03-12 04:27:51
心温まるエピソードですね。
六つ目のパラグラフに「ジャパンウイークがあ、」と誤植に気づきましたので、一筆。
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